一章最終話[そして始まる物語]
――光が眩しかった。
白い天井。白い寝台。窓から優しい陽の光が差し込んでいる。
どこだここ?
目を擦り、俺はゆっくりと体を起こした。
「――おやおや、ようやくお目覚めですか」
ねっとりとした声。
顔を向けると、ソイツ――ズークが扉を開けて部屋に入ってくるところだった。
「まったく、突然倒れたかと思えば……あれから“三日”も目を覚まさないとは……教会は貴方の寝室ではないのですがね……」
やや棘のある口調。だが、俺を見るズークの目は、心做しか柔らかく見えた。
「……おっさんは?」
「ヴァルド殿なら、夜明けに出て行きました。皆と復興の打ち合わせだとか……一つ、言伝を預かっています」
そう言うとズークは、机の上にあったそれを手に取り、俺に渡してきた。
「貴方が起きたら、これを渡してくれ、と」
封に入った手紙。
受け取った俺は、すぐに内容を確認した。
『――ロズレッドの所にて待つ』
それだけ。書かれていた文字はそれだけだった。
おっさんらしいな。
俺は思わず頬を緩めた。
「……さて、目を覚ましたのなら、早く出て行っていただきましょうか? 貴方以外にも、寝台が必要な怪我人は大勢いるのですから」
溜め息混じりに言うズーク。
「分ーったよ。しゃあねぇな……」
相変わらず、嫌な奴だ。
俺は布団をめくり、立ち上がろうとして――ふと気づいた。
手も足も、きっちりと包帯が巻かれている。
白く清潔で、しかも、薬品みたいな匂いが仄かに漂う。
「……これ、もしかしてアンタが?」
「それがなにか? 私は医者ではありませんが……“僧侶”ですので。救える命は救う義務がある」
ズークは肩を竦め、まるで退屈な雑務でもこなしたように言った。
「いやありがとう……助かったよ。あの時も、さ」
「ふん……いりませんよ。感謝なら、神にでも。私はその代理人にすぎませんから」
そう言って、ズークはくるりと背を向けた。
「――シノ・シルヴァーン」
突然名前を呼ばれて、俺は動きを止める。
「私は……貴方が憎い。私の大切だった人達の人生を狂わせた貴方が大嫌いだ。それは、今でも変わらない。変わりませんが、しかし――」
吐き出される感情。俺は静かにそれを聞いた。
「――もう、能無しとは呼びません。貴方は……この村の料理人だ。それだけは、認めましょう」
そのまま去っていく背中に俺は、
「へっ、俺だって嫌いだよ。クソ神父!」
笑って言ってやった。
***
外に出ると、暖かく穏やかな風が俺の頬を撫でた。
村は、まだ傷だらけだ。
家の半分が崩れたままのところも多い。焼けた木材の臭いが風に混じる。
けれど――それでも、人の声があった。
誰かが「釘が足りねぇぞ!」と叫び、別の誰かが「こっちの板はまだ使える!」と叫ぶ。
生きている。
あの災厄に焼かれた村が、少しずつ息を吹き返そうとしているように、俺には見えた。
「――あ、お兄ちゃん!」
幼い声に立ち止まる。
誰だ? と思って振り向くと、小さな女の子が俺に笑顔を向けて手を振っていた。
どこかで見た顔だ。えーっと、どこだっけ……?
思い出すのに苦労していると、
「おやまあアンタ! この間は娘を助けてくれてありがとうね! お陰でワイバーンの餌にならずに済んだ! 本当に、感謝しかないよ!」
「ああ、あの時の……」
思い出した。
三日前の景色……道で転んだ子供と襲い来るワイバーン、そこに割り込んだ俺。そして、母親のホッとした顔。
「よかった。娘さん、元気そうで」
母親が笑って、深く頭を下げる。
その隣で、少女は恥ずかしそうに母の服の裾を握っていた。
「お兄ちゃん、えっと……その」
「ん? どうした?」
俺が聞き返すと、少女はもじもじと視線を落としたまま、小さな両手で何かを差し出してきた。
「これ……あげる!」
「俺に?」
手の平に乗っていたのは、小さなパンが一個。形は少し不格好で、ところどころ焦げがあるけど、ふわりとした香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「……これ、もしかして、君が?」
問いかけると、少女はこくんと頷く。
母親が笑って言った。
「復興の手伝いでねぇ、村の女達で炊き出しをしてるんだよ。この娘も『お兄ちゃんにお礼がしたい!』って聞かなくてねぇ。朝からこねて焼いたんだよ、そのパン」
「そっか……それじゃ、ありがたくいただくよ!」
俺はそっと受け取り、早速一口齧った。
少し粉っぽい。けど、甘い。
きっと、砂糖なんてろくに残ってないだろうに、それでも、笑顔になれる味がした。
「うん、美味い。ありがとな!」
俺が言うと、少女はぱあっと顔を輝かせて母親の陰から飛び出した。
「ほんと!? また作るね!」
「おう! そん時は俺もなんか作ってやるよ! とびっきり美味いやつをさ!」
そう言って頭を撫でると、少女は嬉しそうに笑い、母親と手を繋いで去っていった。
パンをもう一口。
口いっぱいに広がる優しい味が、朝の空きっ腹を少しだけ満たしてくれた。
「…………よし。行くか」
おっさんが待ってる。
俺は村のはずれを目指して再び歩き出した。
***
人々の喧騒、焼けた田畑を抜けて、静かな丘を登っていく。
まるで何事もなかったような青空の下、見覚えのある墓標の前に見覚えのある背中が見えて、俺は足を止めた。
「よお、寝坊助! 遅えぞ!」
威勢のいい声と共に振り向いたのは、誰あろうおっさんだ。
「悪ぃ! 心配かけた!」
「ガッハッハ! 心配なんかしちゃいねえよ! てめえはやってのけた! もう無力な子供じゃねえ! 一人前の料理人で、村の“英雄”なんだからよ!」
「英雄って……んな大袈裟な」
照れくさい響きに、俺は思わず頬を掻いた。
「大袈裟でもなんでもねえさ! てめえがいなきゃ、この村はとっくに灰だ! 俺だって、生きちゃいなかった!」
「いや、皆が頑張ったんだ。俺だけじゃねぇ」
「その皆が認めてんだよ! ここに来るまでの間、誰とも会わなかったのか?」
そう言われて、俺は道中のことを思い出す。
村の皆……老人と、若者と、子供達。広場で、民家の前で、田んぼ道で、色んな人とすれ違ったけど、俺に向けられたその表情は、どれも笑顔だった。
「……な? もうてめえのことを能無しなんて呼ぶ奴はいねえ! 誰もな! 証拠だってある!」
そう言うと、おっさんは俺に一枚の紙を差し出してきた。
「これは?」
「鑑定書だ! 俺が作り直した! まあ……見てみろ!」
言われるがまま、俺は受け取った紙に目を通す。
鑑定書。そこに刻まれた文字は、丁寧で、それでいて力強い。
名前と年齢、性別。俺に関する基本的な情報と、それから――
『職業――“料理人”』
その下には、教会のシンボルらしき印影と――“とある人物”の署名が刻まれていた。
「……“ズーク・ラストマーデ”?」
俺が驚いて顔を上げると、おっさんはにやりと口の端を吊り上げた。
「驚いたか? あの野郎、頼んでもねえのに書きやがった! 『形式上必要だ』とか抜かしてよ! ったく、真面目な神父様だぜ!」
「そっか……」
――この村の料理人だ。
ズークのあの言葉の意味が、今ようやく胸の奥まで届いた気がした。
「大事なもんだ! ちゃんと持っとけよ!」
「おう!」
俺は紙をそっと折り、胸ポケットにしまった。
「……ありがとな、おっさん」
「いいってことよ! だが――」
おっさんは腕を組み、少し真面目な表情になって言う。
「この印を貰ったってことは、てめえは名実共に料理人だ! もう後戻りできねえ! 分かってんな?」
「ああ、分かってる!」
威勢よく返事をすると、おっさんは満足そうに頷いた。
「よっし! ……んじゃ、いいか? こっからが本題だ!」
「本題?」
俺が首を傾げると、おっさんはニヤリと口角を上げながら、懐から一枚の封筒を取り出した。
深紅の封蝋には、見慣れぬ紋章。剣と皿、そして――王冠。
「おいおい、今度はなんだよ?」
「近々、王都で料理大会が開かれる! そいつは、その推薦状だ!」
「……は?」
言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。
「料理大会? 王都で……?」
「インバース中の料理人が集まるでっかいやつだ! てめえには、それに出てもらう! 俺の弟子としてな!」
「はぁ!?」
思わず叫んだ。
話が急過ぎる!
「なんで俺が!? まだ村の復興だって途中だぞ!?」
声を張り上げる俺に、おっさんはどっしりと腕を組みながら笑った。
「だから、だ! 村はまだ傷が深え! 店の方も、建て直すには時間が掛かる、しばらくは休業だ! その間、てめえを遊ばせておくのは勿体ねえだろ?」
「それは……」
「だったら、ちょうどいい機会だ! てめえにはよ……世界を見てほしいんだ!」
「おっさん……」
言葉の一つ一つが、真っ直ぐで熱かった。
確かに、おっさんの言う通りだ。
いい機会。俺にとっては色んな意味でそうだった。
――“勇者を探せ”。
どこぞの神の言葉を思い出す。
そうだ……俺には、俺の目的もある。
結局の所、この村には“勇者”という職業の人物はいなかったみたいだし……ここはお言葉に甘えて、王都とやらに行くのもいいだろう。
「……でも、俺なんかが行っていいのか? 王都の料理人なんて、皆すっげぇ連中なんじゃ……」
「ガッハッハ! 今更なに言ってやがる! てめえはあの司災獣の前で料理した男だぞ! あれ以上に怖えもんがあんのかよ!」
そう言って、おっさんは俺の背中を思い切り叩く。
バシン、と大袈裟な音がして、肺の空気が半分抜けた。
「痛っ……! 相変わらず力加減ってもんを知らねぇな!」
「へッ! こんくらいで潰れんなら王都の厨房なんざ立てねえよ!」
笑いながら、封筒を俺の手にぐいと押し付ける。
ずっしりとした重みが、紙とは思えない程に感じられた。
「出発は明朝だ! 馬車を手配してるからな! 今日中に準備しとけよ!」
「話が早えっての! はぁ……分ーったよ!」
俺が肩をすくめて答えると、おっさんは「その意気だ!」と笑い――
「そうと決まりゃあ……もう一つ、渡しておきてえモンがある!」
そう言うと、おっさんはロズレッドの墓の方に歩いていった。
そこで、俺はふと気付く。
ちょっと前まで墓標としてそこに突き立っていたものが、なくなっている。
代わりに置いてあったのは――鞘に納められた一振りの包丁だった。
「おら、受け取れ!」
渡される包丁。俺は、それを受け取ろうと手を伸ばして、一瞬躊躇した。
「なんだあ? 安心しろ! ちゃんと洗って研ぎ直してある! 切れ味は折り紙付きだぜ!」
「いや、そうじゃなくて……」
この包丁は――
「――“ロズレッドの”だろ? いいのかよ?」
「んだよ、そんなことか……いいんだ。アイツは……倅は、遂に料理人にはなれなかったからな……」
その時のおっさんの顔は、とても寂しそうで、悲しげに見えた。
「だからよ……この包丁は、てめえに託す! ロズレッドのやつが歩めなかった料理人の道を、てめえが継いでくれ! 頼む!」
「おっさん……ああ、分かったよ」
それだけ言って、俺は包丁を受け取った。
鞘を少しだけ引いてみる。刃が、陽の光を受けて鋭く輝いた。
「重てぇな……」
「ったり前だ! アイツの魂が入ってんだからな!」
おっさんは腕を組み、にかっと笑った。
「ありがとう……大事にする」
「おう! ちゃんと手入れしろよ? 次見た時、錆の一つでも付いてたらぶん殴るからな!」
「はははっ、気を付ける!」
俺は笑いながら、包丁を腰のベルトに差し込んだ。
ロズレッド、今は亡き友へ。
――アンタの魂は受け取った。
見ていてくれ。
俺が、アンタの道を続けてみせるよ。
温かな風が、俺達の間を通り過ぎていった。
「よし、用はこんだけだ! 明日は早えぞ! 今日はとにかく休んでろ!」
「おう!」
貰った色んなものを胸に、俺は歩き出す。
空は、どこまでも晴れていた。
これにて第一章は完結!
でも、物語はまだまだ続きます!
次の第二章も、乞うご期待!
※ここまで読んでくれた方に心よりの感謝を!




