77.フォレスト地方領主と伝承
ドレスコード無しなのは正直なところ助かる。一応私やエレンの分はいつでも用意してあるけれど、普通の冒険者見習いにそれを要求するのは酷というか嵩張るし、マジックバックパックを持っていない状態では必要が無いならただの邪魔でしかないからね。
『……あんまり時間は無いわね。考察は一先ずここまで、みんな支度をしてちょうだい。お化粧は学生らしくあればいいわ。失礼にならない程度の私服は持っているでしょう?』
「ああ、俺たちは大丈夫だが……ミランダたちは大丈夫か?」
「はい、さすがに半年経っていますし、リリー先輩方にお付き合いいただいてウィシュメリア的な私服も見立てて戴きましたから」
「ひぃさまや私たちの向こうでの普段着はこちらではドレス扱いですから……」
流石リリーちゃん。出来た奥さん……じゃなかった、彼女だ。うっかり私も失念していたよ、ホント。確かにミランダちゃんやセレスちゃんたちは精霊王国での身分高いし……。ミランダちゃんのお父さんは宰相でセレスちゃんのお父さんは実は外務補佐官だったらしくて。つくづく学院長の失態が精霊王国との国際問題に発展しなくて良かったと思う。勉強や研究だけできていればいいような時代はもう過ぎ去ったのに気付かなかったのか、言い訳が通用すると考えていたのかは分からないけれど。
『おっけ。じゃあ支度してちょうだい。できたらお互いにチェックしてね』
「はい。じゃあみんな急いで、でも領主様に会うのだから妥協はしないでしっかりね。先輩とウィンター伯爵家が笑われてしまうから。それじゃあ解散」
***
しばらくして一行が案内された迎賓館の食堂は他国のように過度に豪華な装飾品などは無いもののしっかりと見れば分かるくらいには高品質の調度品にて整えられていて迎賓館に相応しい様相を見せていた。
ウィンテル達が勧めに従い着席して待つこと数分ののちに壮年の筋肉逞しい男性と歳を召した学者風の老人が入って来たので一同は起立して二人に会釈をする。
「よい。今夜は堅苦しい事は無しのほうが良かろう?導師ウィンテル殿」
『お心遣いに感謝します』
「まず自己紹介といこうか。私がフォレスト地方を陛下に代わり治めるゲイリー・ガンプ。爵位は男爵を賜っている。そしてこちらは歴史学と考古学に詳しい賢者で私の補佐を務めるクリストフだ」
『お目にかかり光栄です。私につきましてはご存じの御様子ですので他の者達を紹介させて戴きますね』
「よろしく頼む」
『まずこちらの四人ですが、学院最上級生になります私の妹エレンとその幼なじみたち、リリー、ラミエル、ドゥエルフです。それから彼女たちは精霊王国コッタンからの留学生で、代表者はミランダ・イーサニア侯爵令嬢になります』
「イーサニア?まさか王国宰相の……?」
『そのまさか、です。私は彼女たちにギルド総本部より付けられた護衛になります』
「なるほど……」
お互いの自己紹介を終えた後は領主様の計らいでまず食事を摂ってから小難しい話をしようということになり昨今の話題を中心に和やかな夕食を摂ることが出来た。やがてその夕食会も終わり食後のお茶が配られたあたりで本題に入ることになった。
「それでウィンテル嬢とミランダ嬢が命を狙われていると言う件について詳しい話を聞いても良いだろうか?」
『はい。お嬢様が巻き込まれてしまいました以上は……ただ、他言無用に願います』
「うむ。では早速頼む」
現時点に於いて細部は一部端折るものの説明出来る部分に於いてのみ領主様に事の起こりから丁寧に説明を重ねていく。
『……そしてこちらの似顔絵ですがお嬢様を誘拐し、私達の命を狙う暗殺者、サンドラになります。どうぞお納め下さいませ』
「ううむ、なんとも厄介な。ともあれクリストフよ、この会合が終わり次第手配を掛けよ」
「はっ」
「事情についてはあいわかった。我が娘の件に付いては不幸な事故と言う事で良い。幸いにして命は助かったしの。そなたらが気に病む必要はないぞ」
『ありがとうございます。この上はかの暗殺者を必ずや討ち果たして見せたいと思います』
「だが無理はするでないぞ。生きてこそが一番大事なのだからな」
領主様の温かい言葉にようやくホッと一息を皆つけたようで、不安そうな表情を見せていたのが一様に安堵の表情を浮かべていた。
『ところでクリストフ様は歴史にお詳しいとお聞きしました。差し支え無ければお聞きしたい事があります』
「何なりと」
『“雨の森”と不可思議な濃霧、そしてその奥にあると言われる古代の城について何か伝承などありませんでしょうか』
古代の城という言葉にクリストフ様の表情が驚きの反応を見せているのが見て取れている。やはりあの古文書以外にはこの地方に伝わる伝承くらいしか情報が無いということなのだろう。
「ふむ。その前に導師殿はあの濃霧を如何様に考えておられますかな?」
『一種の結界だと考えています。シェルファに在る迷いの大森林的な』
「成る程。半分正解で半分間違いですな」
『と仰いますと?』
まず、とクリストフ様は領都レイニームーンの由来と“雨の森”についての関係を説明して下さった。要約すると元々あの森の濃霧は古代に於いては森全体を覆い尽くす程であり一年の大半を小雨のような濃霧に包まれていることから“雨の森”と呼ばれていたのだそうだ。ただ、その濃霧も満月の晩に天気雨が降るような時にだけまるで魔法が解除されたかのように消え去るという現象が起きるといい、その年はモンスターの大量発生や作物の豊作などが理由は不明ながら起きていたらしい。
ここレイニームーンは最初は都市ではなく対モンスターとしての城塞的な拠点であったらしくそのあとに現在の第二城壁を築き上げて今のような城塞都市に発展したとのことで城塞が作られる原因となった一つの要因である月夜の天気雨から名前を取ったのだと言う。
『と言う事はもしかすると今年は……』
「はい。どうやらその年のようではありますが、ただ不思議な事に今年に入ってから今まで月夜の天気雨は確認されていません」
『うーん……では別の要因があるということなのでしょうか。では先ほどの濃霧についての間違いというのはどういうことなのでしょう?』
「それについては古代の城……我々は悪魔の城と呼んでおりますがそれと関連しておりますので一緒にご説明致します」
昔、向こう見ずな若者が一人濃霧の正体を解明してやると周囲の反対を振り切って自ら濃霧に足を踏み入れたものの、やはり方角を狂わせるような感覚に道を見失い、それでも頑なに前へ前へと歩き進めたところ突然身体が光に包まれて気が付けば見知らぬ古びた城壁に囲まれた何となくまがまがしいとてつもなく巨大な館の前にいたそうだ。
この館は背後にある濃霧には影響されず頭上を見上げれば青空が広がっていたことから森の抜けた先だろうと考えた若者は一先ず日の在るうちにと館の中を伺う事にしたものの人の気配は感じられず。ただ異様な重苦しい音と気配を感じて足を踏み入れるのを思わず躊躇ってしまうほどではあったが好奇心と功名心が勝ったその若者は恐る恐る巨大なアーチ門から中に入ったその中で驚愕で余りの恐ろしさに泡を喰って無我夢中に逃げ出したのだという。
「その若者はどこをどうやって辿ったのか分からぬままに気が付けば森の外へと逃げ出す事に成功したようで当時レイニームーンにいたフェンリルの神官殿に伝えたと言う館の内部についての話が伝承として受け継がれております」
『それをお聞きしても?』
「はい。曰く、円筒形の巨大な水槽がやたら広い柱の見当たらない場所に所狭しと並べられ、底の方には得体の知れぬ肉塊が沈んでおり、そこから見たこともない大きさのモンスターが生えていたそうです。一部は若者をその凶悪な瞳で眺めたそうで、それで若者は一目散に逃げ出したのだと」
私を含め皆が一様に顔を引きつらせているのが分かる。そして私は前世の知識で似たような事例があることを思い出してしまっていた。
(まさか、そんな。でも……これは生物兵器としてのクローン技術に基づく培養ポットとしか思えない)
(けれども前世でも某超大国が小規模な実験に成功しただけだというレベルだったのに……ダナン帝国時代の技術スペックって一体……)
そこでふと私は思い当たる。まさか今年の大繁殖は実はこの館の…………。




