76.濃霧の謎
小さな女の子が誘拐され危険地帯と化した森の中に置き去りされたという事実にその場にいた誰もが顔を歪めて息を飲んでいた。しかも領主様の一人娘。おそらく城壁の外に出ることはほとんど無いだろうに大丈夫だったのだろうか。
「幸いにもお嬢様はなんとか自力で北城壁門までお戻りになられたのですが、余程に怖い思いと体験を為されたのか、我々に保護されてすぐに高熱を出されて、ひどくうなされて。専属医の指示によりバハル湖付近にある保養所にて静養される事になり昨日、奥様と護衛の精鋭一個小隊を引き連れ大型転移陣にて王都経由で出発されました」
誘拐された状況はよく分からないが少なくとも第一城壁の中でしかも領主様の一人娘を難なく攫える実力の持ち主はそんなにいないはずだ。顔とかは見ているのだろうか。特徴とか服装とか。そして森の中で何を見たのだろうか。
「ハミルトンさん。少しお聞きしても宜しいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「警戒態勢が強化された理由は分かりましたけれど犯人についての手掛かりは得られたのですか?さすがに何も得られない状態では気休めのような気がするのですが」
黙り込んで考え込んだ私に変わってラミエルちゃんがハミルトンさんに質問に回る。ふとみんなを見回せばそれぞれが一心に真面目な真剣そのものの表情で話の要点をメモに取ったり状況を整理したり囁くような小さな声で意見を交換しあったりしていた。
「はい。こちらにお嬢様のうわごとを纏めた物と、静養に向かわれる直前に意識を僅かな間ではありますが戻されまして。その際にやり取りされた記録がございます」
「拝見しても宜しいですか?」
「どうぞ」
ラミエルちゃんと私が覗き込んだ、箇条書きで纏められた内容は次の通りだった。
・霧の中から大きな鎌を持った化け物が出てきた。
・みんなと遊んだ場所なのに真っ白、怖い。
・女の人みたいな男の人
・さっきまでかくれんぼしてたのに、ここはどこ?
・やだ、死にたくない、置いていかないで!
・そんな貴族の女の子なんて知らないよ、助けて!
そして意識を戻した際に女の子が語ったとされる言葉を見た私はもう泣きそうだった。
《女の人みたいな男の人が笑いながら私に言ったの。お前の命をえさにしてとある貴族の女をこの街に確実に来させるためにわるいがここで喰われろ、って……》
そう、この子は完全に巻き込まれたんだ。私たちの問題に。学校にも行っていない幼い少女が私とミランダちゃんの為に危うく無惨に殺されてしまうところだった。私たちの、せい、で。
「失礼ですが……ウィンテルさん。それからそちらのお嬢さんも……何か心当たりがあるんですね?」
『申し訳ございません……領主様のお嬢さんには私たち二人のせいで酷い目に遭わせてしまいました……』
「私たちはこの犯人を知っています。……名前をサンドラ。暗殺者です」
「…………つまり、お二人は命を狙われていると言う事ですか。しかし……そちらのお嬢さんは外国の貴族のような話し方に聞こえますが」
『……申し訳ありません。ここから先は機密扱いになるようなお話しになります。一度ハミルトン様は上役の方にお伺いなさって下さいませんか?今回の騒動には陛下、賢者の学院学院長代理、他国のさる高貴な方々、そして冒険者ギルド総本部のギルドマスターが関わっているのです』
「分かりました。確かに私では手に余りますね。少々お時間が掛かるかも知れませんし、間もなく夕暮れです。今夜は騎士団の迎賓館にお泊まりなさっては如何ですか?案内させますので」
『……お心遣いありがとうございます。ただ、協力者が心配すると思いますのでメッセージカードを頼んでもよろしいでしょうか?』
「承知致しました。案内係に配達先を告げて下されば確実にお届け致します。それではまた、後程」
***
しばらくして先程の女性騎士に案内され領都騎士団本部敷地内にある迎賓館に私たちは案内されようやく荷物を下ろす事になった。部屋は個室に別れるわけではなく、大部屋とそこから複数の寝室に通じるという構造だったので私は安堵した。これなら何かがあっても直ぐにみんなと合流できるから。
案内してくれた騎士さんに封をしたメッセージを託して見送ったあと、想定外の状況になってしまった今後に付いてみんなと相談する事にした。
『さてと。少々予定に狂いが生じてしまったけれどその代わりに貴重な情報もあったわね』
「はい、お姉様。巻き込まれた女の子には申し訳ない事になってしまいましたが、濃霧に関する情報が得られたのは大きいと思います」
関与を認めてしまえば引き止められるのは至極当然であり、それにしかるべき方々に状況を説明するのは必要な事だとは思うので私たちへの気遣いというよりはあからさまな足止めと思われる迎賓館への宿泊の勧めには素直に応じることにした。それにここならある程度の安全性が確保できるのは確かだし。
それからこの森の不可思議な濃霧についての情報を得る為にはここレイニームーンにおける伝承などに何かしらヒントがあるんじゃないかと思うから。ここの濃霧ほどおかしな濃霧はそう他には無いと思うのだ。
『じゃあまず、この森の濃霧についてまとめましょうか。エレン、特徴を言ってみて?』
「えっと、ある境界線を境にそこから先は濃霧だけど手前側には溢れて来ないのと、ほとんど周りが見えないくらいの濃密さ、かな」
『そうだね。じゃあリリーちゃん、これってなんだと思う?』
「ええと、人為的な結界ですか?シェルファにある迷いの大森林みたいな。ただ、中からモンスターが出てくる辺り確定出来ない気はしますけれど」
『結界というのはいい線行ってると思うわ。じゃあ最後にミランダちゃん、巻き込まれた女の子の証言にあった“真っ白”ってなんだと思う?』
「…………そうですね。霧には違いないとは思いますが、先程の結界的な濃霧では無いと思います」
『理由は?』
「人為的な結界は施術者なら拡張可能ですが、さすがにエルフかハイエルフのような長寿種族でもない限り生存していない気がします。それから仮に結界的な濃霧だとした場合女の子の証言で普段から“みんなと遊んで”いるような外周部分まで覆われたことになり、それはそれで今頃大騒ぎになっているはず。そうなっていないということは恐らくマジックアイテム的な物品から湧きだす濃霧なのではないでしょうか?」
うんうん。なかなかどうしてみんな良く理解できているみたい。特にミランダちゃんはお飾り貴族令嬢と言うわけではなくてきちんと情報を纏めて持ちうる知識に照らし合わせて考えを導き出せる知性は備えているようで、同じフェンリル信徒として将来が楽しみだと思う。さて、私も今回の濃霧はミランダちゃんとは別口の理由でマジックアイテム的な物品から湧きだす濃霧だと考えている。
『みんなちゃんと考えているね?私もその通りだと思うけれど、マジックアイテムによる濃霧だという根拠についてはミランダちゃんの導きとはまた別口なんだ』
「…………あぁっっ!」
『セレスちゃんは気が付いたみたいだね?言ってごらん』
「はい、今回の事件で意図的に濃霧を発生させたと見られるサンドラは現代人で、ウィシュメリアにて暗躍し始めたのもごく最近です」
『はい、正解。結界的な濃霧をサンドラのような一暗殺者レベルでどうこうなんてまず無理だよ。私にも出来るかどうかわからないと思うしね。だからあれは人為的な濃霧』
さすがはマジックアイテムや魔術的な結界に関する講義を専門的に受講している魔法語魔術師のセレスちゃん。ちょっとヒントを与えたらすぐに気が付いてくれたから良かった。ミランダちゃんの考察も決して間違っているわけじゃないし、私たちの考察と揃えてお互いに補強しあえているから全くもって問題ない。
『あの本にあった濃霧の奥にあるという古城は正直、かなり怪しいんだけど今回は無視。だから濃霧結界には入らないし、生きて帰ることを最優先して。全員で帰還する事が最大の使命だからね?』
「はい、先輩。肝に銘じておきます」
『じゃあ次の情報整理に入りましょうか』
……と私が話題転換した時に部屋のドアをノックする音が聞こえたのでどうぞ、と返事をすると先程とは別の女性騎士さんが伝言を私たちに伝えに来たようだった。
「皆様方、本日十九時に夕食をご用意させて戴きますので食堂の方へその際ご案内致します。なお、領主様も臨席なされますが、正装である必要はありませんので、ご安心くださいませ。それではまた、後程。失礼致しました」




