56.最後の末裔
久しぶりに二人きりの夜を過ごし若い頃さながらのひとときを堪能した翌朝、ウィリアムは自分の胸に頬を寄せて眠る妻フェルリシアの穏やかな寝顔を、寄り添い合わせたままの素肌からその温もりを感じながら眺め安堵していた。どうやら情緒不安は取り払われたようだった。
「ん……。……おはようございます、あなた……」
『おはよう、フェルリシア。身体は……大丈夫か?』
「ええ……。優しく……して下さいましたし……何よりあなたに……変わらぬ愛をいただきましたから」
『そうか。……あの日から私たちは二人で一つだ。あの子たちのためにも必ず幸せになろう』
「ええ……必ず」
ドレン侯爵夫人リッシアはドレン侯爵と結婚する前はリッシア・レンシェと名乗りオリンポス火山麓の地方都市にてひっそりと薬屋を営んでいたらしい。
リン・エンシェには他にラン・エンシェ、レン・エンシェというそれぞれエフリートとグラヴィティの寵愛を受けた三つ子の姉がいたことが有名だったが実は翌年に双子の妹たちが生まれていてすぐにレンシェ家に養女として出されている事実はほとんど知られていない。双子はリン・レンシェ、レン・レンシェと名付けられそれぞれフェンリルとノヴァの寵愛を受けたとされている。
つまり、フェルリシアはリン・レンシェの血を引く末裔でありウィンテルとエレンは非公式ながらエンシェ家の血を引く最後の血族になるのである。エレンはリリーと結ばれることを望んでいるからウィンテルが娘を設けなければ何らかの介入が無いかぎりは途絶えることになるのだが……まぁそんなことは大したことではない。
この事実を知っているのはギルドギダンにて盟約を結んだメンバーだけだ。迂闊に、たとえ愛娘たちとはいえども話せるような内容ではない。ほんの少しでも漏れれば200年前の再現になる可能性すら否定できないからだ。そしてそのようなことは私たちが盟約を結んだ、我らが主神にしてウィンテルに恩寵を与えた本人、フェンリル神ことナーシャ・フェルリシア様が望まぬ結果になってしまう。……なんとしてでも盟約は果たさねばならないのだ。すべての幸せの為に。
『なぁ、フェルリシア。“寵愛”は揃っていると思うか?』
「いいえ。ただ……今回は“寵愛”に加えてハヅキさんたち“守護”も無視出来ないような気がするわ」
『ふむぅ……』
「恐らく“寵愛”四神のうち、フェンリルはエレン。ノヴァはリリーちゃん。エフリートはラミエルちゃん。新たに判明した“守護”四家のうち二人はアイシャさんとハヅキさんで間違いないと思うわ」
『……それは前“恩寵”持ちとしての勘、か?』
「ええ。同じ雰囲気を感じるのよ……」
『分かった。……さて、先に湯を貰って来なさい。女性は時間がかかるのだろう?』
「ええ。ありがとう、ウィル。それではね」
愛する妻が汗を流しに行くのを見送ったウィリアムは何かを見落としているような気はしてしばらく天蓋を無言で見つめていたのだけれども。
『……ふぅ。焦って推論を急ぎすぎてもダメだな。切り替えるべき、か……』
二人が身仕度を整えフェルリシアの手料理としての簡素な、それでも栄養はきちんと摂れる朝食を済ませる頃には旅行カバンを携えたフォーリン姉妹が訪れていた。
「「おじ様、おば様。この度はお招き下さいましてありがとうございます」」
マリアとアイシャが綺麗に声を揃えて出迎えたウィリアムとフェルリシアに旅行への招待を感謝しお礼を述べてお辞儀する。
『この前の防衛戦はお疲れさま。そして高等魔法語魔術師へのランクアップおめでとう、マリアさん』
「今回はランクアップのお祝いも兼ねてるから、ゆっくり身体を休めて楽しんでくださいね?」
伯爵邸攻防戦の起きたあの夜、王立地下図書館もまたシャドウドラゴンによる大規模歪みが発生して件の境界結界が襲われた。その際マリアは探索隊隊長ミッシェルとともに迎撃戦に参加し多大な貢献をあげた事が認められて今回のランクアップになったのだ。
「ありがとうございます。けれども……おば様の域にはまだまだですから、精進しなければ」
「お姉ちゃんてば私みたいに特化してないからすごいよね。全体的に使いこなせるんだもの」
「あら。アイシャだってちゃんと修練を重ねれば伸びるはずよ?素質はあるのだから」
「うー。なんか前世でも似たようなこと言われたような…………」
「それだけ貴女のことを大事に考えていらっしゃったのよ、前世の貴女のお姉さんも」
相変わらず仲の良い姉妹だと感心していたウィリアムがそろそろ移動しようかとフェルリシアに声を掛け、頷いたフェルリシアが転移門の魔法を唱える。
『さて、ウィンテルたちが待っているだろうから行こう。二人とも、楽しい休暇を』
「さ、マリアさんにアイシャちゃん。どうぞ?」
夫妻に促され目の前に展開された光輝く転移門の開かれた大扉を荷物とともに姉妹が潜り行く。最後にフェルリシアが潜るとその背後で開かれていた大扉は音もなく静かに閉じてその輝きを失い、その空間に何事もなかったかのように掻き消えたのだった。
***
フェルリシアの転移門はウィンテルたちが滞在している、王家が管理する保養所の入り口前に出現したらしく開かれた保養所の装飾が施された鋼鉄製の門の内側にはウィンテルが保養所付きの執事さんと一緒に待ち構えていた。
「お父様、お母様。マリア先輩、アイシャちゃん。お仕事お疲れ様でした。みんなは屋敷の方にいます」
「ウィリアム様、フェルリシア様。お久しぶりでございます。此度もわたくし、シュミッツが皆様のお世話をさせて戴きます、どうぞ宜しくお願い致します」
『うん、元気そうで何よりだなシュミッツ』
「今回は大勢できてしまって大変でしょう?申し訳ないのだけれども宜しくお願いしますね」
「いえいえ大変賑やかで楽しゅうございますよ、フェルリシア様。皆も張り切っておりますゆえ、そちらのお嬢様方共々どうぞお気になさらずごゆるりとお過ごしくださいませ」
出迎えたウィンテルに続いてシュミッツと名乗る初老の男性が歓迎の挨拶を述べると夫妻と挨拶を交わし荷物を預かって保養所の本館にあたる屋敷へと案内していく。ウィンテルはと言うとさりげなく有無を言わさずマリアの荷物を預かりながらやや声を潜めて姉妹に尋ねるのだった。
「先輩、アイシャちゃん。昨日のアレ……学院の執務室からはどんな感じだったのですか?」




