54.バハル湖
最終改稿日2015/04/12
古王国ウィシュメリアの国土の実に25%を占める面積をもつ広大な湖、バハル湖は未だに幾つかの謎を持っている。
例えばバハル湖は王都ラドルを含む幾つかの都市の大事な水源であり、その湖水は王国をぐるりと取り囲むシャープル山脈のただ一ヶ所を長い年月をかけて削り取ったのだと思われるグランフリーズ大峡谷を流れ下り南に位置する海上王国シャーキンの国土を海まで一直線に貫き注いでいるが、このバハル湖に流れ込むような河川は存在していない。
それにもかかわらずバハル湖の水量は一年中変わらずに一定の水量をたもっているのである。また、バハル湖の湖底は岸からある一定の距離を離れると急激に深くなっていてすり鉢状の形をしているとの古文書が近年王立地下図書館から発掘されたが何故すり鉢状の形をしているのかについては一切謎に包まれている。国土の北西に巨大な活火山であるオリンポス火山があるため、バハル湖も昔は火山の噴火口で活動を終えた後に湖になったのだという荒唐無稽な説を唱えた学者も現われたが、この大きさの火山が一度でも噴火しているのであれば、いくら気の遠くなるほどの昔の話とは言え残されているはずの痕跡や伝承、または創世の神話などへの記述、オリンポス火山麓にあるような火山活動に付随する様々な鉱物や温泉など特有な地形など、それらの記述や証拠がまったく。そう、まったく残されていないというのはおかしいだろう。
しかしながら他に説明できるものがあるのかと言われれば未だにこれと言った説明は出来ないのが現状なのだという。湖底調査をすれば何かわかるのかもしれないが透明度が高く澄み切ったバハル湖も中心部の深い部分においては光を通さない深い闇に包まれており、また長時間潜ったうえで探索できるような余裕を備えた実力者は大陸全土でも限られているため今のところ調査はなされていない。
「……やれやれ、次から次へと。切りの無い……」
『ぼやいている暇があるのでしたら仕事してくださいな、あなた。休暇が減りますよ?』
ウィンテルたちがまだ浜辺で休暇を楽しんでいる頃賢者の学院学院長執務室では学院長代理代行では処理が出来なかった書類の山を目の前にして、学院長代理と学院長代理補佐がひたすら処理を続けていた。
「……おじさま、おばさま。お茶をお持ちしましたの、休憩いたしませんか?」
『あら、マリちゃんじゃない。悪いわね……あなた、一息いれましょう?』
「そうだな、今日中には終わりそうだし……」
アイシャの姉、マリアがお茶の準備が出来ましたと顔を出したので二人は一息入れることにしたのだった。
「マリアお姉ちゃん、終わったよぅ……って、あたしのお茶は?」
「もちろんあるわよ、アイシャ。手洗ってきなさいな」
執務室と事務局を何度も書類を抱えて朝から往復するばかりか、そのうちに図書館との書類のやり取りにまで駆り出されたアイシャは目に見えてへたばっていた。
『アイシャちゃん、ご苦労様。おかげさまで今日中には終わりそうよ。明日にはみんなと合流出来そうだわ』
「うむ、フォーリン姉妹のおかげだな。明日からの休暇を楽しんでくれたまえ」
「ありがとうございます、おじさま、おばさま。……それにしてもあのハヅキさん。不思議な子ですね。神官という訳でもないのに高位の司祭様のような気配を纏って、それでいてあのような特殊な弓を軽々と扱うし。見知らぬ世界だというのに順応性も高く、そして年齢の割に知性も高いだなんて」
『どうやらハヅキさんのいた世界は私たちの世界よりも平和だったみたいね。そして教育環境も良かったみたい。女性の地位も高かったらしいし……本当に羨ましいわ』
お姉ちゃんとフェルリシア様が葉月ちゃんについてお喋りをしているのを聞き流しながらアイシャは西の山脈に沈み始めた太陽の光を反射するバハル湖の湖面を眺めていた。最初のうちはキラキラと輝く湖面をなんとなく綺麗だなくらいで眺めていたものの、いつもと何かが違うような気がしてお茶の入ったカップを置き、一人執務室のバルコニーへと出ていた。
「…………?」
学院長執務室は賢者の学院最上階にあり、そこからはバハル湖も良く見ることができた。
「……おかしい。なんだか……静かすぎる気がする……?」
気が付けば自分の隣にはウィリアム様が来ていて険しい顔つきでじっと同じようにバハル湖の方を見つめていた。
「……ウィリアム様」
「……精霊たちが戸惑っている。特にウンディーネ……それから、これは……?」
……と、その時だった。アイシャとウィリアムが見つめる先のバハル湖全体に中心部から何かが波紋のように広がって行くかのようなものが見えた気がしたと思った時に背後からフェルリシア様が突然自分とウィリアム様に叫んだ。
『二人とも伏せて!!視線を逸らしなさい!!』
「「?!」」
咄嗟に視線をバハル湖から逸らしてバルコニーに転がるように伏せると自分たちの立っていた、丁度顔の位置あたりを濃密な何かのエネルギーの塊みたいなものが吹き抜けて行くのを感じた気がした。
「今のは一体……?」
「マズい、ノームが悲鳴をあげている!くるぞっ、何かにしっかり掴まれ!!」
ウィリアム様が叫ぶが早いかドンッと地面の方から強い衝撃が建物を貫き時間にしてほんの数秒、強烈な揺れを感じさせられたのだった。
***
ウィシュメリア王国においては地震は有史においてはほんの数回しか記録がないくらいに地震と無縁の国であり、先程の揺れに驚いたのか王都中が騒然としていた。ふとバハル湖の方を見やればいつもと同じような雰囲気に戻っており先程のような違和感を感じるようなことはなくなっていた。
『あなた。今はどうなのかしら?』
「……落ち着いて着ているようだが……」
『そう。……やっぱり、湖底には何かがありそうねぇ、あそこは』
「……確かリン様が一度探索されているはずなのだが……全ての記録が所在不明の現状ではわからん」
フェルリシア様とウィリアム様が驚くべき事実をさらりと言ってのけるのをアイシャとマリアは驚愕して聞いていた。
『……あら。フォーリン家ではまだ伝えてなかったのね。んー。取り敢えず今のは他言無用よ?混乱するだけだしね』
「……あの。おばさま?あなた方は一体……?」
『……今は教えられないわ。無用な知識は不幸のもとよ?』
「今は、ですか。……分かりました」
『賢明な子は好きよ。さ、悪いけれど……散らばった書類の整理、頼めるかしら。アイシャちゃんはもう少し休んだらまた配達お願いね。あなたは……レックスの所に行って情報交換してくださいな』
そう言ってフェルリシア様は黙々と作業を再開され、私とお姉ちゃんはその補佐を、ウィリアム様は隣の図書館へとそれぞれの与えられた仕事を再開するのだった。




