52.大切なあなたに抱擁を 後編
記念日シリーズ 8月9日 ハグの日 です。
かなり長めなので前後編に分割して同時投稿しています。
最終改稿日2015/04/12
狂っているとはいえシルフ程度の攻撃力では致命的な失敗を重ねない限り問題は起きないはずだから、問題になるとすれば大物がいつぞやみたいに浅い階層で歪みより這い出てきてしまった時だ。それを考慮するとなれば一時的とは言ってもこの場を離れるという選択肢は消滅する。誰もいない時に万一大物がここまで上がってきてしまって、そこに安全だと認識しているはずの救援隊と第一探索隊が撤収してきて鉢合わせしてしまったらさすがに一時的な混乱と想像できないレベルの被害が出てしまうに違いない。そしてこのフロアには救援を即座に呼べるような伝声器は今後の設置予定はあっても現実は設置されて無い。となればとるべき手段はただ一つ。
『アイシャちゃん。次の攻撃であいつらを一掃したらこの緊急帰還用の呪符で司書長室前に飛んでレックスさんに直接状況説明と応援要請を。そして二枚目で即座に戻って来てくれる?その間くらいなら一人でも何とかなる自信は多分あると思うから』
「……了解。でも病み上がりなんだから私が戻るまでは近接戦闘はおろか中距離もなるべく避けて。出来れば可能な限り不測に備えて防御に徹して欲しいな。そして応援が来たらそのケガの手当て、するからね?」
先ほど吹き飛ばされた際に擦過傷が出来たみたいでブラウスの白く薄い生地に滲み始めた出血の染みをアイシャちゃんが目敏く確認して告げてくる。私は頷きそれぞれの放つ魔法の攻撃対象確認を行い。
『じゃあ私が右側半分を、アイシャちゃんは左側半分をお願いね』
「了解」
『簡易詠唱、「氷槍連撃」!』
「簡易詠唱、「ファイアボール」!」
周囲に損害を与えないようにと考えて私は目標を個別に単体指定できる魔法を選んだというのにアイシャちゃんのそれは範囲内のモノを全て派手に爆発と爆風に巻き込む魔法。当然のことながら狂ったシルフたちと共に机や椅子が纏めて吹き飛ぶと同時にフロア中に大音響の爆発音がこだまする。
『ちょっ?!それは範囲系じゃない、何考えてるのよ本当にもうっ!!』
「派手な音響狼煙を打ち上げただけだって。じゃ、応援呼んですぐ戻るから絶対に無茶したらダメだからね。特に今日みたいな日に」
『え、今日って?』
一方的に私に言いたいことを告げると私の疑問に応えることも無く文字通り彼方へ飛び去るアイシャちゃんに思わずため息がでてしまう。そして気を取り直して少しずつ輝きを失い始めているような気がする境界結界の門に刻まれた淡い光を放ち続ける古代文字を眺めながら、これは本当に修復できる代物なのだろうかと段々不安になってきてしまう。
そんなに強くない狂った精霊程度の魔物が表にでてきてしまったし…………。……あれ?そう言えばあの狂った精霊たちはここから出てきたのだっけ……?
……違う。私はいきなり背後の至近距離から魔法攻撃を受けて吹き飛ばされたはずだ。いくらなんでも精霊力を感知できる私がこの離れた距離を多数見逃すことの方が難しい。
……ということは導き出される答えはただ一つ。
『いけないっ!!』
私はすぐさま上階に通じるフロアの反対側の階段付近にまで全力後退する。さすがに体力不足が祟り息が直ぐにあがってしまって苦しくなるが再び不意討ちを貰うなんて事はしたくない。
『か、簡易詠唱「氷翼飛翔」』
そして背中に機動力を確保する為の氷翼を展開して、さらに魔法金属製の魔術効果にボーナスが付く事が最近判明したデスサイズを構えて警戒態勢に入り直す。願わくば、歪みが来ないようにと願いつつ。そしてその手の願い事は大抵叶わないこともすぐに理解させられて、歪み始めたフロア中央部のその予想外すぎる現象規模に絶句しながら。
『…………ちょっと。冗談、でしょ?………………何よ、それ……』
ようやく絞り出したその言葉は我ながら情けないと思えるほどに震えていて。そして一気に血の気が引いていくのが自分でも良く分かる。歪みの規模がはっきりする少し前からずっと本能が全力で逃げろと喚きたてているのに足が竦んでしまい一歩たりとも動けない。
動けない原因であるフロアの中心付近に現れたその歪みの高さは、まるで。そう、まさにこれから巨人族が出てきますよと言わんばかりの規模だった。
『……えっと。えっとえっと、どうしよう、これ。……あ、腕がでてきちゃった。ふっとい足まで……』
さすがに予想外過ぎて思考が停止状態のまま再起動してくれない。そして、ふと気が付いてしまった。その一番気付きたくないことに。
『…………腕の本数、多くない?……あれ。普通はあれ以外は二本、だよね?』
『…………』
『…………ちょっと勘弁してよぉぉぉぉおおおおお!!!』
『あんなの表に出してしまったら、私なんかじゃ手に負えなくなっちゃぅよ!!』
何かしらの理由で上手くこちら側に出現できていないでいる、その推定巨人族。まず間違いなく推定ヘカトンケイレスとしか思えないそれを歪みの向こう側へと押し遣るべく、全泣きに近い感情に加えて恐慌状態に陥りつつも余りある責任感だけで後から思えばとてつもない判断ミスをやらかして、多重詠唱を起動し全力攻撃をしようと行動開始してしまった。
『……(中略)……天より来たりし貫く槍よ、わが敵の時を永遠に止めよ!「氷槍貫襲」!』
自分の頭上に形作られた直径2メートルほどの先端が鋭く尖った巨大な氷の槍が。詠唱の完成とともに加速度的に飛びこんで行き。歪みから何とか出てこようと藻掻き振り回している左側三本の腕のうち二本を二の腕辺りからあっさりと消し飛ばし貫通して、そのまま向こう側の壁に激しい振動と轟音を振りまきながら激突と共にでかい穴を開けてしまった。けれども私はまだ動いている巨人族だけしか視界に入らずにいてごっそりと予想以上に喪失感を感じるほど持って行かれた魔力量に激しい眩暈を覚えながらも呟くのだ。
『まだ、追い返すには、程遠い、という、の?』
「何なの!今の轟音と爆発と振動は……?!あ、ウィンちゃんお待たせって、ちょっ凄い脂汗だよ大丈夫?……ってなんだ、あれ……」
『巨人族ヘカトンケイレスを歪みからでないように今氷槍で腕二本消し飛ばしたとこっ!もう結界は機能していないからこのフロアを立入禁止指定するよう伝えて頂戴!…………次は絶対外さない。その肩ごとその半身消し飛ばす、か、ら……?』
あれ?と感じる間もなく私の身体はそのままバランスを崩して床の上に転がり伏した挙げ句にぴくりとも自信の意志で動くことが出来ないくらいに激しい疲労感に襲われ意識までが飛びそうになってしまった。
「…………やっぱり。膨大な魔力を一度に消費したことによる突発的な魔力切れ、だね。ウィンちゃん。ま、すぐには起き上がれないはずだからそのまま転がって少し落ち付きなさいよ、まったくもう……。恐慌状態のまま魔力管理もまともに出来ないのに上位四種混合を才能と運だけで発動させるなんて無茶苦茶もいいとこだよ?……今回という今回はさすがに後でお説教だからね。よーくそこで頭冷やして反省しなさい!」
思わず恐怖心を抱く程に感情の消えた顔を見せたアイシャちゃんは床に転がったままぴくりとも動けない私に静かな、そしてドスをきかせた声色で、無理無茶を越えて無謀なことをやらかしてその結果無防備に床に転がったままでしか居れない私に対して本気で怒っているんだからね、とはっきりと言い放ち周囲に設置型の簡易身隠し系結界器具を四方に配置すると私を置き去りにして、どう言う理由か分からないが出てくることも引っ込む事も出来なくなっているその哀れな巨人族を処置するべく魔術の届く距離まで近づいて行く。
「ふむ。本当に出てこれないようだねぇ、これ。何か段差に引っ掛かったかのように」
近づいても危険は無いと分かり更に接近して冷静にアイシャちゃんは観察しているようだった。
「ま、このままではいつまで経っても歪みが閉じないし。棲息地圏内に飛ばしてしまった方が早いかな。結構な出血で抵抗力もおちているだろうしね。「テレポート」」
アイシャちゃん、卒院からわずか一年間でどこまで歩き回ったんだろう……。ヘカトンケイレスの棲息地ってかなり離れていたようなきがするんだけどな。巨人族の消失と同時に閉じていく大規模歪みを漠然と眺めながらそんなことを考えていると。
「アイシャちゃんお待たせ!矢の準備に手間取っちゃった」
「悪いね、葉月ちゃん。真理お姉ちゃんから確か秋川の魔祓い浄めの舞を教わって修得していたよね。だから試しにこのフロアの中心で舞を納めて、その四本の“刻止矢”で神域、つまりこちらでいう結界を展開してみてほしいのよ」
「そうだね、じゃあやってみる。偶然とはいえ秋川の神社で祀っているのは時神様、こちらで言えばフェンリル様だからもしかしたら、もしかするかもだし」
階段を布袋で包んだ大きな、おそらく彼女の為に作られた和式の弓を背中に背負い右手に握り込まれた4本の漆黒に銀色の羽を付けた特殊な矢を携えて息を切らして駆け下りてきた葉月ちゃんは一瞬見えないはずの私が居る場所を見て小さく首を傾げた後、アイシャちゃんのところへ走っていく。そして真剣なな顔でアイシャちゃんと葉月ちゃんが打合せを行い、背中に背負っていた、夏海の家で古くより伝えられた手順に従って再現された和式の儀式用弓と同じく再現された儀式用の四本の矢を腰の矢筒に納めると、弓手に弓を、引き手に清らかな音の鳴る鈴を持って幼かったあの七夕の夜に真理さんが舞ってくれたその舞を真剣に奉納し始める。アイシャちゃんはというと邪魔が入らないようにフロアの入り口にて見張りをしていて、緊急を知らされて降りてきた救援隊の相手をしているようだった。
そうしているうちに舞の奉納を無事に終えた葉月ちゃんはその場から広大なフロアの四隅の更に天井近くの角に寸分の狂いなく、神域を創る為に唱える詔を声を張り上げ力強く一句一言間違える事もなく言葉を紡ぎきり“刻止矢”をまるでそこに在るのが当然というかのように中てていく。
そして最後の刻止矢が納まると同時に明らかにフロア全域の空気が清浄に満たされたことが分かり神域作成に成功したのだ、と分かってホッとした。
「……ところでアイシャちゃん。そこに隠されているのはウィンちゃんなの?」
「あ、やっぱり分かるんだ?……そ、まーた暴走して制御不能に陥って魔力切れになって……身動き出来ないとか言うから。本当にこの子ったら燐ちゃんの頃から自覚出来ないだもん」
一仕事を終えた葉月ちゃんにありがとう、悪いけれど後はお願い、とアイシャちゃんは労いの言葉とともに私の事を託したらしく救援隊を引き連れ機能が失われかけている境界結界についての今後と現状についての話し合いを始めていた。アイシャちゃんなら葉月ちゃんの神域結界についても上手く説明してくれるだろうし。
「本当に昔から。……そう、本当に、貴女は……無茶をし過ぎだよ?ウィンちゃん。やたら周りのことは気にするくせに、自分の事は全く無頓着で……」
身隠しの結界を解除した葉月ちゃんは倒れたままの私をそっと抱き起こすと、そのまま少しだけ身体の態勢を整え直してしっかり抱きしめなおし言葉を続ける。
「貴女が私たちを大事に考えてくれているのと同じく、私たちもみんな貴女のことを大事にしていつも心配して、貴女の事を想わない日は一日たりともないんだよ?」
「日本に居たときからずっと、だよ。だから……ね?」
私の背中に回された葉月ちゃんの両腕にしっかりと力強さと意志、そして優しさと気遣いが込められて抱擁してくれているのが伝わってくる。
だから。だから私も。
だらんとしたまま意思に反して動いてくれない私の両腕に。腕がダメならせめて指先に。
お願いだから動いて。ほんの少しだけでもいいから葉月ちゃんの想いに応えさせて。
……どうか、お願いだから動いて……!
「!……ぁ」
指先が葉月ちゃんの衣服に触れ、そしてほとんど力も入らない震えるばかりのその腕を。
葉月ちゃんの温かさを指先に確かに感じながら、時間を掛けてゆっくり。ゆっくりとその背中に這わす。
『……ごめん、ね。ずっと分かった振りして……本当はずっと無自覚も同然だった、なんて』
いつ外れてもおかしくないその指先がまだ葉月ちゃんの背中に在るうちに。……ううん、違う。外れないように。私の想いを指先からその手のひらへ。そして、温かな背中から葉月ちゃんの心に。
しっかりと伝わるように、確かな想いを込めた抱擁をあなたへ。
『…………ありがとう』




