51.大切なあなたに抱擁を 前編
記念日シリーズ 8月9日 ハグの日 です。
かなり長めなので前後編に分割して同時投稿しています。
最終改稿日2015/04/12
葉月ちゃんがこの世界にやってきてからしばらく経つ今日は王立地下図書館が午前中で閉館になる闇の日。葉月ちゃんの護衛も兼ねている私は今の一時的な職務に就いてからも闇の日は午後休を特例措置で戴く許可を貰っていて、帰宅する為の支度や準備、事務方への引継事項の確認を終えたら葉月ちゃんを王立地下図書館に葉月ちゃんの職場である司書長室へ迎えに行くのが役目だった。
そして今日は賢者の学院で臨時講師をしているアイシャちゃんも午後に別段やらなければならないことも講義もなく暇だというので、良い機会だから気分転換に私と葉月ちゃん、アイシャちゃんの三人でハバル湖そばの伯爵家が管理するクァウオ庭園まで馬車で避暑に行くことにして前日から調整を行っていたのだった。
王立地下図書館食堂入り口にて葉月ちゃんを迎えに行った後にアイシャちゃんと合流した後は普段なら混み合う食堂を避けて図書館前庭の木陰にてお弁当を広げるのだが、今日は闇の日。図書館関係者は午後休となるほとんどの人がまっすぐ帰宅して自宅でゆっくり食事を摂る人が多いのと、いつもよりも日差しが強くまさに夏本番といった気温の為、涼しい図書館食堂にてゆったりと寛ぎながら昼食を摂ることにしたのだった。
『そう言えば葉月ちゃん。もう新しい生活には慣れた?……まだ色々不便だとは思うのだけれども』
「あ、うん。そうだね。……正直に言えば科学文明と魔導文明のギャップにはまだ慣れないかな。私、まだ……魔力のコントロールが上手く出来ないから」
『そっかぁ。もう少ししたらお母さんが復帰すると思うから、そうしたら一度経過確認を兼ねてコツを伝授してもらおうよ。葉月ちゃんの魔力の質はお母さんの扱う魔力に良く似ているから』
「私の扱う魔力の質は生憎、攻撃性が高いタイプなんだよねー。葉月ちゃんはほら、結界や魔祓をする家系だったから防御性質が高いんだと思うんだ」
「アイシャちゃんは魔祓を失ってしまったんだっけ。あれってこちらの世界でも通用するのかなぁ?」
「……どうなんだろう。ま、取り敢えずフェルリシア様に葉月ちゃんの魔力鑑定して頂くときにまとめて色々聞いてみよう?」
『そうだね。もう少ししたら学院も夏期休暇に入るし、そうすればみんな余裕が出来ると思うから色々調整出来るんじゃないかな』
異世界日本での生活は電気に頼ることが多い文明社会だったのだけれども、その電気に相当するのがこの世界の魔導文明における魔力で、幸いにして葉月ちゃんにも魔力を扱う事は可能なことが判明して安堵した時のことは今でも鮮明に覚えている。魔導製品を動かす為には自身の魔力を使う必要がある為で、多量に使う必要はほとんど無いとはいえこの世界で生きていくのに全く魔力が扱えないと言うのは不便云々を通り越して場合によっては命に関わる可能性を否定できなかったからだ。
先日の伯爵邸攻防戦において学院長代理と学院長代理補佐――つまりウィンター伯爵夫妻が絶対安静の療養生活に入ってしまった影響は予想通り甚大だった。代理補佐であるお父さんの受け持つ仕事は技官長のヨーク先生を中心に事務方と技官たちが一致団結した結果なんとか今のところは不都合が起こることなく学院運営を動かせているようだった。問題は学院の顔でもある学院長代理を一時的とはいえ代行出来る人間がいないと言う問題であり、通常であれば陛下の署名による許可を得て謹慎中のメンドゥーダ侯爵が一時的に復職するということになるのが普通だというところ、陛下も両親同様に政務不可レベルの療養中の為その方法が取れず関係者はかなり頭を抱えて悩ませていたようだった。
「まぁ、私よりウィンちゃんの方が大変だからね。ウィンちゃん、異世界日本にいた頃よりは丈夫だとは思うけれど……それでも普通の人よりは身体弱いんだから倒れないようにね?学院長の代理の代行様」
『う……。決裁書類の確認とか、権限の代理執行くらいだからそんなに心配しなくても大丈夫だよぅ、葉月ちゃん』
「そうだねー。幸い小規模な歪みくらいしか最近発生してないし、何とかなるんじゃない?」
「アイシャちゃん、そういう事はあまり口にしないほうが……フラグ立っちゃうよ?」
「大丈夫だって。これくらいの軽口で立つようなら毎日発生しちゃうから、ここ」
そう。結局、代理代行は私が司書職を休む形で就く事になってしまった。私、肩書きだけは立派だけどまだ19歳の若輩者なのにこんな要職に代行とはいえ就いても大丈夫なんだろうか。爵位も貰っていないのに。
代行に就くよう要請してきた宮廷魔術師長代理で学院の大先輩でもある、女性として初めて宮廷魔術師ナンバー2の座に登り詰め、謹慎中のパリウス様に代わり見事に代理を務めていらっしゃるリディア・ケスティラル女伯様にその不安をぶつけてお尋ねしたところ、貴女以外に安心して職務を任せられる人がいないからお母さんが復帰するまで何が何でも頑張ってね、と爽やかな笑顔で押し切られてしまったのだった。それはそれでどうなんだろうとこの国の人材不足と教育や育成に思わず眩暈がしてしまった。
「ふー、美味しかった。でもまさかこっちでも和食が食べられるなんて思わなかったよ。どうしてなの?」
『あー、実はこれ所謂裏メニューなのよ。私も前世記憶を思い出すにつれてどうしても食べたくなっちゃって。それで食材を調べたら和食に使われるような食材があると分かって、ここの料理長さんに作り方を教えて時々出してもらってるの』
さすがに緑茶は在庫が無かったらしく、代わりに食後の紅茶をいただきながらお喋りを楽しみ、そろそろ閉館時間だから庭園へ向けて出発しようかと席を立った途端に緊急事態を示す警報音が鳴り響き伝声器からレックスさんの声が流れ始めたのだった。
《図書館司書長より各員へ緊急連絡。地下42階にて大規模歪みが発生した》
《詳細不明なるも大型の魔物に図書館閉扉確認作業中の第一探索隊が遭遇、交戦中との連絡あり》
《即応救援隊は直ちに臨時編成を行い現地へ救援に向かえ。甲種警戒体制を発令する》
《館内に残留中の民間人を除く各員全てへ通達。臨時規定に基づく特別支援態勢を要請する。直ちに所定の行動に移られたし》
《繰り返す。大規模歪み発生確認、不確定名大型魔物と交戦中。甲種警戒体制発令、臨時規定に基づく行動を残留中の各員に要請する》
「……アイシャちゃーん?」
「うそー…………」
何が大丈夫よ、とアイシャちゃんに引きつった笑顔を向ける葉月ちゃんと絶句するアイシャちゃんを後目に私はこれからのことを考えていた。遭遇戦に入った第一探索隊はミッシェル王立地下図書館探索隊隊長が直々に率いる、探索隊の中では精鋭中の精鋭だからそう簡単には崩れないはずだ。だから問題があるとすれば後方支援側、つまり私たちの状況だろう。
閉館間際ともなれば必要最低限の人員くらいしかいないはず。従って通常のマニュアルではまともに対応出来ない為、少人数体制時の臨時規定に従って行動しなければならない。例えば通常では甲種指定の場合直ちに屋外へ避難するような事務職は臨時規定の場合、逆に武装して欠員のでた戦闘班に支援要員として臨時編成をされる場合もある。あくまでケースバイケースではあるけれども。そして臨時規定では陛下の署名に基づき館内にいる民間人を除くすべての協定締結機関関係者に支援を要請することが可能となっている。
『ま、しょうがないね。葉月ちゃんは司書長室へ戻ってレックスさんの補佐をお願い。アイシャちゃんと私は臨時規定の甲種発令時における項目に該当するからこれから受付に出頭して即応救援予備として待機するわ』
「落ち着いたら葉月ちゃんを迎えに行くからさ、部屋で待っててよ。ウィンちゃんの事は任せて頂戴」
「ん、またあとでね。ケガしないでよ?」
バイバイと手を振りあってそれぞれの役割を果たすべく別れて、私とアイシャちゃんは騒然としているロビーの受付に行き協定に基づく支援の自己申告の列に並び順番を待つ。
『賢者の学院所属、学院長代理代行及び名誉導師、「魔術の申し子」初等精魔語魔術師ウィンテル・ウィンターならびに同所属、学院臨時講師、「魔雲の申し子」高等魔法語魔術師アイシャ・フォーリン両名。臨時規定に基づき支援要員として出頭しました。指示をお願いします』
私の声がホールに響くと一瞬だけ静寂が戻り、そして大きくどよめいた。まさかここに私たちみたいな二つ名持ちクラスがいるとは思ってもみなかったらしい。受付にいた男性は私の申請を受理すると受付備え付けの遠隔通話護符を取出し今まさに出発しようとしていた臨時編成救援隊に待機要請を出したようで、早速私に下へ降りて加護の付与要請をしてきた。なかなかの即断即決。ふと胸の記章と名札を見れば彼は館長付きの秘書室長さんだったようだ。なるほど、と納得するとアイシャちゃんと共に急いで待たせている救援隊のもとへと駆け付けることにした。因みにアイシャちゃんは私の護衛としての行動を認められた。やはり即断即決だった。
《司書長補佐官より追加情報を報告致します。交戦中の対象名が判明しました》
《現在交戦中の大型魔物はシャドウドラゴンと判明。戦況は膠着、至急事態打開の援軍を要請するとのこと》
《負傷者情報あり、重傷一名他は軽傷との事。各員の迅速なる対応をお願い申し上げます》
館内に伝声器を通じて葉月ちゃんの落ち着いた良く通る声が響き渡る。葉月ちゃんは最近緊急時のアナウンスを任せられるようになり、その透き通った声と常に落ち着いた物言いに評価が高まってきているらしい。一部にはファンらしき者も増えているらしいとも聞いたので、間違いが起きないように当面はウィンター伯爵家庇護下にある存在という事をさりげなく印象付けながら休憩時間と通勤で司書長室から離れる時は必ず一人きりにならないようにと事情を知る関係者各位にお願いをしている。
「こっちだ!急いでくれ。重傷者の搬送もしなけりゃならんからな」
『はい。相手は闇属性竜種との事なので防具に闇属性攻撃への耐性と、武器に対抗属性である光属性を付与します。これらは精霊語系の付与になりますので、魔法語や神霊語系統の付与魔術との重ね掛けは可能です』
「それは助かる。取り敢えず時間が惜しい、早速頼む」
『わかりました。では始めますね』
私が加護の詠唱と、その効果を高め、そして詠唱時間短縮を目的に両手で空間に複雑な紋様の魔方陣を二重に描き、手早く付与魔術を発動させて加護を全員に無事付与する事に成功した。
『お待たせしました。付与成功です』
「ありがとう。では急ぐぞ、全員テレポーターから地下40階へそして戦闘態勢にて突入する。さあ行け!行け!行け!」
私たちに敬礼して地下へと突入する救援隊を見送ったあと、そのまま私は手近な椅子に腰掛けて背もたれに身体を預ける。そんな私にアイシャちゃんは市販品には見えない魔力回復薬らしきものを数本マジックバックパックから取り出して私にそれらを飲むようにと勧めてくる。
「ウィンちゃんお疲れ。それ、自作のマナ増強ポーション。味を調えてあるから少し効果落ちてるけれど……全部飲めばそこそこ毎分辺りの自然回復量が増強されるから幾分マシになるはずだよ?」
私はありがたくそれらを受け取りゆっくりと言われた通りに全部飲み干した。
『ありがとう。助かるよ、アイシャちゃん』
「どういたしまして。ところでさっきの臨時編成された救援隊リーダーってさ。探索隊の人じゃなかったね。部外者に指揮を執らせるって事は上級者、ってことかな?」
『多分あの人はフェンリル神殿騎士団の人だと思う。足の運び方がそんな感じに見えた気がする』
そんな話をしながら私たちは実力者が救援隊を率いて行った事についうっかりと甲種警戒体制であることも忘れて、警戒を緩めてお喋りに夢中になってしまい。
アイシャちゃんがそれに気が付いて顔色を青くした時には思いもよらない不意討ちを背中からまともに受けた私が椅子ごと吹き飛ばされて床に転がり、強かに打ち付けた半身の痛みに思わず顔を歪めていた。
「ウィンちゃん?!一体何事……、っ、そんな、うそっ?!境界結界を突破して敵襲だなんて!!」
あり得ない状態にアイシャちゃんが驚愕の表情で思わず叫び声をあげている。無理もない。史上現在に至るまで各地に発見されている地下図書館の境界結界が突破されたという記録は残されていないのだから。
『……先日の戦いで相当損傷していた、ということなのね。それにしても狂った精霊程度に突破されるなんてね……』
「ざっと、シルフっぽいのが10体はいるね……しかも境界結界が機能していないとなると大物が来たら手に負えないよ?……ウィンちゃんどうするの?」




