14.クァウオの花が散る頃に
最終改稿日 2016/07/09
時折そよぐ暖かさを増した春風が吹く度に枝を揺らされたクァウオが残り少ない季節を精一杯愉しめとばかりにその花びらを舞わせていくのをエレンとリリーは寄り添い、お互いの腰に手を添えて眺めていた。
全ての決着が付くまでの一週間。寝食お風呂、勉強も全て一緒に過ごしたエレンとリリーはお互いのことを深く考え理解を深めて愛し合うような仲にまで発展してしまっていたのだった。
「綺麗だね、エレンちゃん…………」
「ん、色々あったけれど……。リリーと無事にこの日を迎える事ができて幸せだわ」
エレンはリリーの頬に軽くキスをして本当に幸せそうに微笑む。
「頑張った甲斐があったわ……。ねぇ、ミランダ」
「はい、ウィンテル様……」
ウィンテルとミランダは少し離れた場所に建てられたあずまやに設けられた簡素な寝台二つにそれぞれ身体を安めながら池のほとりに並んで腰掛ける妹とその彼女を微笑ましく見守っていた。
シーズン最後の氷の日。フェルリシア伯爵夫人の主催で王立自然公園の一角にあるウィンター伯爵家所有のクァウオが見事な庭園にはウィンテルとエレンの親しい友人たちが招かれていた。また、ミランダたちもお付きの侍女たちを含めて招かれ思い思いに寛いでいた。食べ物や飲み物を出す屋台も設置され、庭園は和気藹々とした和やかな空気に包まれている。
「それにしてもセレスさんとアリアさんが恋仲だったなんてね。……怪我が治って本当に良かったわ」
「ええ、あの2人は身分違いの恋仲になってしまい、本来であれば引き裂かれてしまうはずだったんですけれど、わたくしがアリアをセレスの侍女に推薦して、何とか離ればなれにならないようにしたのです」
「そっか。今日はお母さんが宣言したとおり、ここでの身分分けは禁止されているから…………久しぶりの気兼ねない恋を楽しめるといいわね」
「はい…………」
今回の“華見の会”にあたりフェルリシア伯爵夫人が身分分けを禁じた理由はミランダたち異国の貴族制度に囚われる少女たちが本来の自分のままに楽しんで欲しいという願いであった。
そしてミランダは始まりに先立ち、自分の言葉でエレンとリリーに犯した過ちを謝罪し、この頃にはエレンもリリーもミランダたちの事が分かっていたし、出来ればお友達になって欲しかったから罰というわけではないけれども身分関係無くお友達として接して欲しいとミランダたちを許した。
最初のうちは慣れていない状態のお嬢様たちも次第に打ち解け今ではあちらこちらで年頃の少女らしいおしゃべりに花を咲かせている。
「ミランダ。貴女は…………どうして交ざらないの?」
ウィンテルは自分よりは動けるであろうミランダに不思議そうに尋ねる。皆と打ち解けた異国の少女たちが時折食べ物などを持ってきてくれながらミランダを誘うのだけれども、ミランダはいつもお礼は言うが動こうとはしない。自分はいいから楽しんでいらっしゃいと微笑むばかりで。
「いいんです。わたくしは……」
ミランダは相変わらず微笑んで…………そして寂しそうだった。
「ははーん、失恋したんだったよね、そう言えば」
「……はい」
「しょうがないわね。恋愛はそういうものだから。けれどもいい経験はしたと思っているのでしょう?」
「そうですね……」
ウィンテルは少し考えたあと自分の簡易寝台にミランダを呼び寄せると突然ミランダを自分の、春用の軽い布団のなかに引きずり込んでぎゅっと背中から抱きしめた。
「きゃあっ?!な、な、なにを…………?」
「んー?うん、最後に頑張った貴女へのご褒美。それから道を戻した貴女へのご褒美も。……イヤ?」
想像外の事態にじたじたと慌てるミランダの肩越しにウィンテルは抱きしめたまま、その耳元に囁きかける。その言葉に耳の先まで朱に染めたミランダはおとなしくなり身体をウィンテルに預けて恥ずかしそうに呟いた。
「イヤじゃない、です………………」
「くすくす。可愛い子。……貴女さ、一人っ子というわけではないけれども、こうやって甘えられる年上の存在がいないでしょう?」
「はい。でも、どうしてそれを?」
「雰囲気ににじみでていたもの。私が一番上だからがんばらなきゃいけない、我慢しなきゃいけない、ってね」
「……あぅ……」
「貴女の立場が、本来の貴女を隠してしまい、無理をさせ続けてしまったのもこれまでの一因ではないのかしら?」
背中に感じる幼い頃に母から感じたきりの温かい温もりにミランダは心底ホッとしていた。
確かに未来の王太子妃候補としての教育が始まってからは例え家族の、家族だけの場であっても甘えることは許されなくなってしまい、辛く悲しい時でさえ誰にも頼ることも甘える事も出来ずに一人枕を濡らすだけだった。
「ミランダ?貴女の国のことについては私は口出しできないけれども。これからは辛くなったら私に甘えなさい。…………貴女が望んでいる限り貴女のお姉ちゃんになってあげるから」
「………………えっ?」
思わぬ申し出にミランダは『本当に?信じられない』といった表情を見せながらもじわじわとこぼれはじめる涙を堪えることもできずに振り返り、微笑むウィンテルが肯定の頷きを返してくるのを確認するや再び俯いて、声を押し殺しながら噎び泣き始めた。
「ミランダ。貴女は頑張ったわ。いいえ、頑張り過ぎた。だからね、これからは…………甘えなさい?壊れるほど頑張らなくていいから。これからも貴女は辛いこともあるでしょう。けれども、これからは……私が貴女を癒してあげるわ、お姉ちゃんとしてね。だから……安心して素敵なレディになれるよう、精進なさい。大丈夫、貴女はなれるわ。私が認めた子だもの…………」
ウィンテルは俯いたままのミランダにゆっくりと心を込めて、自分の体温を伝えるように抱きしめながら想いを伝える。
「…………私の大事な、大好きな妹の一人になってもらえるかしら?ミランダ」
とうとう感極まってしまったミランダは感情を抑えることも出来ずに数年ぶりに大きな声を上げてウィンテルの胸元に振り返り、顔を埋めて、しがみついて泣きじゃくり始めた。
ミランダの突然の泣き声にぎょっとしたコッタン組のお嬢様たちは、ウィンテルが慈愛に満ちた微笑みで頭を撫でながらあやしている様を見てホッと胸を撫で下ろし、ウィンテルに対して『ひぃさまをお願いします』と言うかのように一様に深くお辞儀をしていた。やはりお嬢様たちもミランダのことに気が付いてはいたのだろうけれども身分のせいでどうにも出来なかったのだろうと察したウィンテルは頷いて撫でていた手を皆に振りにっこりと笑っていた。
その様子を眺めていたエレンは半ば呆れていたようにしていたけれど、そこがウィンテルの魅力の一つだと諦めて恋人、リリーに向き直った。
「ほんと、お姉ちゃんって追い詰められた女の子に弱いよね。あの様子だとミランダさんもリリーと同じく妹扱いになってるよ」
「エレンちゃんは……いやなの?」
「イヤじゃないけれど……お姉ちゃんが無理をしてないか心配になるの」
「そう……。だったらその時は私たちがお姉ちゃんを癒してあげようよ」
「………………そうだね。うん、そうしよう。リリー、ありがとうね」
ひとしきり泣いてようやく落ち着いたミランダを抱き抱え、腫れぼった瞳の回りを蒸したタオルで癒しながらマリスさんが持ってきてくれた気分が落ち着く効能があるとされるハーブティーをサイドテーブルに置いてもらう。
「スッキリ、した?」
「はい……ありがとうございます」
ようやく自然な笑顔を見せてくれたミランダはとても愛らしかった。おもわずその顔を胸に抱きしめたくなるくらいに。
この笑顔を隠してしまうなんてなんてもったいないことをあの国の人達はしているのだろう。……本当にもったいない。
「ミランダ。落ち着いたら……みんなのところにいって、楽しんでいらっしゃい?みんな貴女が来るのをさっきから待っているもの」
「はい、ウィンテルお姉様……本当に、ありがとうございました…………」
「ん。いい子、いい子」
寝台から降りてマリスに身だしなみを整えるのを手伝ってもらいながら、ハーブティーを飲み……ぺこりとお辞儀をしてお嬢様たちの方へ歩いて行くミランダを見送ると、ウィンテルはようやく肩の荷が降りたかのように深くため息をつき、残っていたマリスに苦笑される。
「ウィンテル様、お茶をお持ち致しましょうか?」
「うん……そうね、アールグレイをお願いします」
畏まりました、とマリスが側を辞しあずまやの中は静寂に包まれる。
窓の外には柔らかな春の日差し。歓談の声。心地よい爽やかな風がクァウオの枝を揺らしシーズンの終わりを告げるように薄いピンクの花びらを散らしていく。
けれども彼女たちという“華”はこれからだ。これから更に成長し磨かれ愛でられ輝いていく。
「お母さん」
「なあに、ウィンテル」
「少し、疲れちゃった……抱っこ、して欲しいの…………」
「あらあら。甘えん坊さんね…………いいわ、いらっしゃい?」
フェルリシアは本人の自覚以上に頑張り屋なウィンテルの様子を伺いにそっと隣に座って静かに二人の様子を見守り続けていた。そして愛娘の望むがままに自分の腕の中で安心して寝息を立てるのを見守りながら舞い散るクァウオの花を眺め皆のこれからの幸せを願っていたのだった。
これにてクァウオの花編は終わりとなります。
お読みいただき、ありがとうございました。
事件の結末は次話冒頭にでもまとめる予定です。




