表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣人の姫  作者: MTL2
最終決戦
804/876

堕月が照らすもの

此所は、何処だ。

白い。果てまでも何処までもが、真っ白だ。

その中の、やはり純白な、長い瓦礫に自分は腰掛けている。


「…………」


どうしてこんな所に居るのだろう。

自分は何をしていて、何者だったのだろう。

獣だったはずだ。獣人として、戦場を跋扈していたはずだ。

けれどそれだけ。自分という存在が、解らない。


「後悔はない?」


ふと、自分の隣に座す女が言葉を零した。

瓦礫の上には自分と彼女の二人だけ。他には誰も居ない。この世界には誰も居ない。

だと言うのに、自分はその女と背を向け合っていた。

その女が誰かを知っているはずなのに、顔が思い出せない。

顔を見ようとしているはずなのに、体を動かそうと思わない。

ただ背中を向け合って座るこの時だけを、望むように。


「……後悔、か」


女の言葉を反芻し、獣は自分の掌を見詰めてみる。

この手で幾億の命を奪ってきた。そして、自分もそのように奪われた。

因果応報とでも言うのだろう。これは自分に相応しい運命だ。

そして、自分が望んだ運命でもある。


「お前は、無かったのか」


問い返し、獣は両瞼を閉じた。

見えないはずなのに、その瞼の裏に笑顔が浮かぶ。

顔は知らないはずなのに、彼女が微笑んでいる姿だけが解る。

自分は此所が何処だか理解出来るはずもないのに、ただ懐かしさだけがたゆたう。


「私はないかな。充分に、託せた」


「……そうか」


きっと、そういう事なのだろう。

自分は此所を知っている。いや、誰もが、人も獣も霊も、誰もが知っている。

皆々が産まれた場所で、皆々が帰る場所。命の、原点。


「幸せか?」


「うん」


「嬉しいか?」


「うん」


「寂しいか?」


少しだけ、詰まって。

彼女は静かに首を振るう。

言葉はない。音も、ない。

けれどそれは確かに彼へと伝わって。


「俺は、これで良かったのかも知れねぇ」


そんな彼女に応えるように、獣も、また。

己の爪が、牙が、掌が、鮮血に塗れているような気がした。

臓腑はなく、心臓には空洞が開いている気がした。

自分は何処までも小さく、虚ろな存在だという気がした。


「戦って戦って戦って……、戦場の中、刹那だけが俺の生きる世界だった。だから、俺は」


後悔は、ない。

その言葉は塗り潰される。

本当に、と。彼女の問いによって。


「貴方は本当に、何の後悔もないの?」


獣の眼前に広がる世界。

自分が居た世界だ。そして、自分だったものが転がっている世界だ。

世界では未だ戦乱が続いている。サウズ王国では城門辺りで幾人もの兵士が人形の化け物に喰われ、まだ未熟な少女や城壁上の男達が必死に敵を救おうとしている。

シャガル王国では国王が怒号に等しい叫びを上げて兵士達を誘導していた。兵士達はそんな彼に応えるように、必死に街を護っていた。

スノウフ国では四天災者と少女が必死に国を庇っていた。抵抗さえ唾棄してしまう程の圧倒的な数を前に。

サウズの平原では化け物共の波間を縫うように異形の影が女と対峙している。眼前の死を嘲笑うように。

シャガルの海岸線では圧倒的な絶望に抗うが如く小娘は叫びを上げ、無駄だと言うのに幾千の砲撃を放っている。倒れる仲間達を庇うように。

トレアの平原では異形を相手に片腕を失った騎士が苦叫している。最早生きることさえも苦痛だろうに。

嘗てのあの場所では彼女達が戦っていた。躙られ、侮蔑され、嫌厭されても。決して諦望を瞳に宿さず。


「皆、戦ってる」


山岳地帯では、黒き焔纏う天霊が居た。

そしてその眼前には、最早形さえ留めていない灰燼が。


「貴方はあの場所に居ないわ」


それで良いと願ったはずだ。それで良いと信じたはずだ。

覚悟を決め、決意を宿し、信念の元に戦ったはずだ。

だと言うのに何故。だと言うのにどうして。

未だ自分の心は、晴れぬのか。


「本当に後悔はないの?」


あの場所で死んだ事を悔いるつもりはない。

けれど、未だ、そうだ。

忘れてはならないことがあるはずだろう。


「……あぁ」


忘れるはずなどないのだ。

忘れて良いはずなどないのだ。

戦乱に生きたからこそ、俺という存在は。


「そう言えば、アイツには負け越しだったなァ」


自分と対等に渡り合ってくれた獣。

あの男との勝負に決着を付けず、終わるのか。

自分の戦乱に初めて敗北を刻んでくれた、あの男に。


「……どうする?」


応えるまでも、ない。

獣は立ち上がり、動かぬはずの体で立ち上がり。

彼女の座す瓦礫から眼前へと、歩み出す。


「そう。……貴方らしい選択だわ」


獣は最早何も述べない。

その懐に手を突っ込み、必然の事実を噛み締めていた。

この場所はきっと、そういう場所なのだ。そして自分はまだ引き返せる所に居る。

けれど彼女は、彼女が此所に居るということは。


「私は後悔してないわよ。デモン」


彼女が微笑んでいる気がした。

誰よりも優しく、誰よりも美しく。

そして誰よりも気高き、その女が。


「……貴方も、後悔しないでね」


獣は踵を返す。

せめて、と。僅かな、けれど儚き願い。

願うならば、いや、きっと意味はないのだろうけれど。

それでも、ただ。


「ラッーーー……」


名を呼べど、振り返ったその場所には誰も居ない。

ただ果て無き世界の中に、たった一つの瓦礫が落ちているだけ。

誰も居るはずなどない。誰かが居たはずなど、ない。


「…………」


僅かに唇を噛み締めて、けれど静かにそれを緩めるように、彼は歩き出す。

眼前に浮かぶ白き果てにはやがてそれが浮かぶ。

決して忘れるはずなどない、その月光が。


「……起きたか」


己の胸元に添えられた真紅の魔法石。

治癒よりも遙かに高等な、再生に等しい魔法を放つもの。

今の自分にそれが効くはずなどない。所詮気休めだろうが、それでも彼は構わなかった。

その男が眼前に居ることが、未だその騎士が此所に居ることが。

己がこの戦場に居ることが、何よりも。


{……何故、貴様が}


騎士は焦燥を押し殺すように大剣を構える。

蘇ったデモンのことではない。彼にとってその獣は最早塵芥に等しいのだ。

然れど、その者はーーー……、その者だけは看過出来るはずなどなく。


{何故、貴様が……! 何故貴様が此所に居るッ!!}


絶叫。

大地の粉塵さえ吹き飛ばす咆吼に、デモンは口端を吊り上げた。

解りきったことを問うなよ、と。そんな風に嘲笑って。

隣の獣と共に、立ち上がる。


「借りをーーー……、返しにだ」


黄金は並び立つ。

一度は死し、光失ったその者の隣に。

漆黒の、黄金の隻眼を持つその獣の隣に。


「よぉ、随分と遅い登場じゃねぇか」


「戦況を見極める必要があった。……それより貴様も、結構な傷のようだが」


「ケハッ! こんなのが傷のウチに入るかよ!!」


体中の綻びを薙ぎ払い。

死した獣は、デモン・アグルスという狂戦の獣は嗤う。

歓喜と悦楽と、どうしようもない程の潤いの元に。

何よりも大きな後悔である男をーーー……、ジェイド・ネイガーを隣に立たせて。


{ッ…………!!}


黒騎士は眼前の現実を否定するが如く、黒炎の斬撃波を放った。

大地を斬り飛ばし瓦礫さえも刹那に焼き尽くす黒き波動。

然れど、そんな物が、その程度の物が彼等に通じる訳などなく。

ただ閃光の斬撃と破壊の一撃の下に、叩き伏せられて。


「つーかよォ、アイツは俺の獲物だぜ。手ェ出すなよ」


「貴様一人では勝てまい。それに、俺の方こそあの男には借りがある」


「あァん!? 何だそりゃぁ!!」


二人は、いや正しく言えば黄金の獣だけが彼へぎゃあぎゃあと叫び付けながら。対する漆黒の獣はそれを平然と受け流しながら。

まるで古き友のように、言い争って。言い争い続けて。

けれど、終わるはずのない言葉の論争はふつりと終わりを告げる。


「後で幾らでも相手をしてやる。だから今は邪魔をするな」


「あァ? それならそうと早く言えや。だったらそうするしかねーだろうが」


白銀、漆黒に煌めき。

豪腕、黄金に猛りて。


「テメェと共同戦線を張ることになるとはなァ」


「……そんなもの、私も予想外だ」


デモン・アグルス。

ジェイド・ネイガー。

彼等は、並び立つ。


「ん? いや、ちょっと待て。何でお前俺のトコに来てんだ。普通もっと行くトコあんだろ」


気付きに片眉を吊り上げた彼の言葉に対し、やはりジェイドは冷静に返す。

心配は要らない、と。もっと相応しい男が向かっている、と。

この時に備え、ただ在るはずもなかった一年を無駄に過ごした訳ではないーーー……、と。



【サウズ王国】

《城壁外郭》


「皆さん城内に入ってください! 早く!!」


ミルキーは最前線、いや、正しく言えば城壁開門によって後方の治療地から最前線となってしまった場所に居た。

人形の化け物共による雪崩はサウズやスノウフ関係無く人々を飲み込んでく。故に最早敵味方などはなく、誰もがその雪崩から逃げることに必死なのだ。

故にミルキーもまた、シルカード女王としての矜持を果たすため、スズカゼに託された物を果たすため、懸命に彼等を誘導していた。

このままでは皆が喰われてしまう。あの化け物に、喰われてーーー……。


「ミルキー女王ッ!!」


誰が、叫んだか。

城壁の上からメメールがこちらに向かって身を乗り出している。

何が、どうしたのだろう。何が、起こったのだろう。

気付けばその景色さえ覆い尽くされて、自分の眼前には狂気の化け物が居て。


「……ぁ」


逃げられるはずも、避けられるはずもなかった。

ただ皆が逃げ惑う故に、勇敢にその最前線で彼等を誘導していたが故に気付けなかった。

化け物が、迫っていることに。


「ひっ……」


叫び声を上げきる暇などあるはずもなく。

化け物は、彼女をその牙で引き裂いた。

引き裂く、はずだった。


「全く、御転婆なのは相変わらずですね」


武骨な銀色の腕が化け物の口腔に突っ込まれ、いや、そんな生易しい物ではない。

貫通だ。決して柔いはずなどない、煉瓦さえも砕く牙さえ打ち砕き。

彼の腕が、化け物の頭蓋を打ち砕いていたのである。


「そして貴方達は邪魔です」


雪崩来る化け物共の脚が一様に一瞬の躊躇いを見せた。

直感。何が起こるのかを肌で感じ取ったが故の停止。

然れど間に合うはずもない。その男の鎖から、[邪鎖の貴公子]の一撃から逃れ等得るはずなどない。


黒緑の蛇鎖スネイチェ・ブラグリー


幾千という黒緑の蛇が、否、鎖が人形共の胴体を食い破って貫いていく。

叫び声を上げた頃にはもう遅い。ただ幾千のそれ等が彼等を穿ち、果てまで消えていくのみ。

そして数秒と経つ頃にはもうーーー……、見るに堪えぬほど無残な、黒緑によって縫われた球体が存在するばかりだった。


「……どうして、貴方が」


ミルキーはそんな彼の足下に転びつつ、見開いた眼で問い掛ける。

男は、嘗てシルカード王国を乗っ取ろうと画策し、然れどスズカゼ達との激突の末に破れたその男は。

ウェーン・ハンシェルは、静かに微笑んで彼女の手を引き上げた。


「いえ、聞けば世界の危機だと言うではないですか。別段それはどうでも良いのですがね、ある顔見知りの男に誘われたり嘗て世話になった人達に恩を返したり……」


思いついたように指先を振りながら、彼はぽんぽんと理由を挙げていく。

その様に敵意などあるはずはなく、ただあるとするならば。

嘗て彼女の側に居た、優しい兄の姿。


「まぁ、何よりもそれでシルカードが襲われると困るのですよ」


あの国は私の国ですから、と。余計な、然れど本心からの一言を付け足して。

彼は踵を返しながら、黒緑で縛られた肉塊を超えて迫り来る雪崩と対峙する。

少女を庇うように、序でにその国も庇うように。

邪鎖の貴公子は、大剣を引き抜いた。



【シャガル王国】

《海岸線》


{無様な物ね}


蒼快の海に鎮座する水龍が背に立つ天霊。

彼女は眼下で無意味に抗う少女へ、深く息をついた。

その華奢な肉体は鮮血に覆われ、口端からはどす黒い血が流れ出ている。

彼女が弱ければ、もっと脆ければこんな事にはならなかっただろう。

ただ苦しまず殺してあげることも出来たはずだ。

彼女の足下に転がる、もう虫の息の男もまた、苦しむことなど無かったはずだ。


「決着は、私が付けますよ。アレでも一時は娘とした子だ」


バルドは仮面の笑顔を浮かべたまま、槍を召喚すると共に柄へ手を添えた。

あと一突きと言ったところだろう。もう、超えるべき壁はない。

後はただ刺すだけーーー……。たった、それだけ。


{……えぇ。先程の老父のように、出来るだけ、苦しませずに}


言尾が終わらぬ彼女達の足下は大きく揺れ動く。

同時に爆音の業炎が吹き荒び、衝撃の余波は暴風となって波間を大きく弾け飛ばせた。

否、一発ではない。二発三発四発。一切の遠慮無き砲撃が、水龍を襲い来るのだ。


「おい本当に効いてんだろうなァ!? 俺ァ嫌だぞ! 砲撃だってタダじゃねぇ!!」


「細かいこと言うんじゃない!! 見ろ、動いてるじゃないか! だったら効いてるんだよ、多分!!」


「やかましい!! アホみてぇな言い争いする暇があんならこの爺さんの手当してやれ!! シシッ」


荒れ狂う波間、水龍より僅かに離れた場所にそれはあった。

巨大な、それこそ水竜の半分はあろうかと言う帆船。

木造とは言え砲門から覗く黒筒からは未だ幾十の砲撃が放たれ、水龍の鱗上に爆音と爆炎を吹き上げる。

その甲板には慌ただしく動く水夫達とびしょ濡れで横たわるスモーク。

そして彼を治療する弱気な獣人とそれを補助する獣人、序でに喚くように言い争う船長と獣人の姿があった。


「クソッ! 信じるからな!? お前等ホント信じっからな!? [闇月]の言うことだから信じっからなぁ!?」


「うっせー! あんなのより私達[超獣団]の方がよっぽど凄いんだぞ!! 本当だぞ!!」


「いやそれはねぇよ。シシッ」


蒼流の中を操舵により乗り越えながら、その帆船は、海賊船は水龍へと砲撃を放ち続ける。

船頭、その鋒で龍を指差しながら吼え猛る男の指示の元に。


「行くぞテメェ等ぁ!! このカイリュウ率いるカイリュウ海賊団の力を海に轟かせてやんなぁっ!!」


湧き上がる雄叫びは空間すら揺るがし、砲撃の爆音すら撥ね除けて。

嘗てスズカゼによって復讐を成し遂げ、新たに己の道を歩み続けた者達が。

彼等が操る船は、水龍へと爆撃を放つのだ。



【スノウフ国】

《雪原・国境線》


「ッ……!!」


雪崩は、大国さえも埋め尽くす。

例え四天災者の力を持とうと彼本来の役目でない以上、事前準備も無しに防ぎ切れるはずはない。

ピクノも必死に抵抗しているが、やはり化け物共全てを抑えきることは出来ていなかった。

一体を殺せば十体が国内へ向かってしまう。十体を防げば百体がそれを乗り越えていく。

手一杯などという物ではない。最早、限界を超え、たった二人と僅かな聖堂騎士による防衛戦は疾うに崩壊を迎えていたのだ。


「まだっ……!」


それでも彼等は諦めない。

必死に、例え刺すような冷寒が己の肉を削ごうとも。

鮮血を吐き出し、苦痛に声を濁らせようとも。

託された。護ると決めた。振り返らないと信じた。

ならば、自分は、決してーーー……。


「っ…………」


ダーテンの隣を、化け物が奔り過ぎていく。

彼は一気に踵を返して化け物を掌握、粉砕する、が。

それを狙っていたかのように、数十近い化け物が、彼の肉へと食らいついた。


「ぁ、が」


こんな物、どうという事はない。

彼女の拳に比べれば、こんなものーーー……。


「強がりは感心しないな」


一撃。

空を切り裂くような拳撃により、たった一撃でダーテンに食らいつく化け物共は吹き飛んだ。

否、それ等を超えてさらに数倍近い化け物共が彼へと襲い来る。

そしてその隙に数えきれぬ化け物共が、スノウフ国へとーーー……。


「クォル、ラウディアン」


ダーテンの眼前に躍り出た鬼面の脚撃が数倍近いそれ等を一瞬で蹴り崩し、街へ向かう有象無象の化け物共は巨漢の大男による拳撃で粉微塵に弾け飛んだ。

ただ驚愕し、呆然とするダーテンの側から歩んでいくのは奇異なる面を纏いし者達。

否、彼等さえ口火に過ぎない。地鳴りにも等しき咆吼と共に、幾千の化け物共を薙ぎ倒しながら奇異なる面を纏いし幾千の者共が化け物へと突撃していく。

街の中から、一切の化け物を排除しながら軍進する彼等が、だ。


「……どうして」


必然の問いだった。

彼等とは不可侵の条約を結んでいようと、決して親戦の条約は結んでいない。

手を貸す理由がないのだ。彼等にとってこの戦いは過失でしかないはずなのに。

それでも、彼等は。鬼面族は。


「友との誓いだ、と。姫は仰った」


彼等の先頭を征く男は猛り狂う地鳴りの中で、確かにそう呟いた。

此所に居るのは鬼面族の兵士達ではない。ただ、状況を見ろと言う幾つもの進言の中、皆に頭を下げて願った姫に従った者達なのだ。

友が、自分を推し進めてくれたあの老婆が愛した国を護って欲しい、と。

あの人が誓い、笑顔で語ったあの街を護って欲しい、と。


「……[闇月]による提案がなければ、姫による進言がなければ、我々はまだ日和見を続けていただろう」


彼は、鬼面族随一の力を持つその者は。

白き雪の中に深々と頭を下げ、詫びを見せる。


「すまなかった」


ただ道を違えた者へ、一度は見捨てた者へ。

彼は形式故に頭を下げたのではない。彼の立場故に頭を下げたのではない。

護るべき者なのだ、と。この男もまた、この国を愛し護る者なのだ、と。

その灯火を、瞳に見たから。


「……頭を上げてくれるかな」


彼は立ち上がる。雪原に、確かな軌跡を刻んで。

そうだ、何を跪いている。たった一人で、孤独に戦っている訳ではないはずだろう。

自分の成すべきことは、未だ、終わってはいないだろうーーー……、と。


「手を貸してください、アギトさん。鬼面族の手を」


「無論」


彼等は並び立つ。

嘗ては国同士で対立していた彼等が、スズカゼと共に長達の約束を信じた彼等が。

一つの国を護る為に。友との約束を果たす為にーーー……。



【トレア平原】


{まー、よく頑張った方よ}


異形は眼前で失った腕を、その肩先を抑える女を嘲笑っていた。

羽虫と蔑まれ、圧倒的な力の中でもよく戦ったものだ。

その覚悟と決意、精神は認めよう。羽虫と侮っていたことも認めよう。

然れど結果は変わらない。ただ強者が弱者を潰す。それだけのこと。


{誇れば良いんじゃない? 私は称賛してあげるわぁ}


甲高く、耳障りな嗤叫。

デイジーは虚ろな眼で、然れど決して失わぬ灯火の中で。

ただ模索する。この現状を打破する術を、弱者たる自分が、彼女に抗う術を。


「…………ッ」


あるはずがない。

五体満足でさえ足掻くのがやっとだった。

それを、右腕を切り落とされた今、何が出来ると言うのだ。

流血が多い。意識は朦朧とし、嗤叫と風の音が混同して聞こえる。

もう限界なのだろう。ただ吹き荒ぶ風の音だけが、奇妙なほど鮮明に聞こえる。

眼前は黒く染まり、己の体が浮遊する感覚にさえ覚える。あぁ、自分は、やはりーーー……。


「きゅう」


唸るような、人間らしからぬ声。

誰の声だと見回せども、その姿が見えることはない。

いいや、最早黒染むほどの視界で何が見えると言うのだ。

今の自分に、何がーーー……。


{……はっ?}


風の音。黒染む視界。

唖然とする天霊の頭上に、それは居た。

必然だ。それが羽ばたけば大森であろうと揺れ動き、地平線であろうと覆い尽くされる。

太古に滅びしその者。正真正銘の、ドラゴンによれば。


「……ぁ」


自分は知っている。あの空に羽ばたくドラゴンを。

四年前に比べれば余りに大きい。然れど、知らないはずがない。

あの人が息子だと育てたドラゴンのことをーーー……、知らないはずがない。


「何を、諦めているッ……!!」


服裾を喰い千切り、己の腕を縛って。

近くに転がるハルバードを左手で拾い上げ、彼女は叫ぶ。

そのドラゴンの名を。今の自分が成すべき、歩むべき道へ運んでくれるドラゴンの名を。


「来てくれ! ジュニアッ!!」


嘗てスズカゼが卵から温め育て、然れど不意の件により別れた存在。

東の果てが森で生きていたそのドラゴンは、己の母に会いに行くよりも、彼女の元を選んだ。

母ならば心配はないという確信があったから。自分が居るべき場所が此所だという確信があったから。

そして、その確信はドラゴンの背に一人の騎士を乗せ、刃を振るうべき道となる。


「まだ私は折れんぞ……!!」


隻腕の騎士は左腕でハルバードを構えてドラゴンに騎乗し、異貌の存在と対峙する。

弱者だ。彼女はどうしようもない弱者だ。

然れどその精神が折れ果てることは、決して、ない。



【地下施設周辺】


「……何が、起こっている」


天霊はただ困惑していた。

各地で出現し始めた、新たな魔力の存在。

それ等は人形共と激突し、或いは仲間達と対峙し。

嫌な予感がする。最早完成と思われた計画が綻んでいく予感がする。

何だ、何が起こっている。いったい、何がーーー……。


「……っ?」


僅かに狼狽の色を見せる天霊、オロチを見上げ、スズカゼは苦悶の声を上げつつ奇妙な感覚に襲われる。

幾つもの懐かしい魔力や存在が感じられるのは解る。それ等が戦っていることも、各地で仲間を助けてくれていることも。

然れど何だ。何かが、可笑しい。何か、途轍もなく悍ましい物が近くに居る。

言葉では言い表せぬ、然れど知っているはずの、余りに悍ましい存在が、近くに。

オロチではない、いや、それ以上の何かが、今、近く、自分の背ほどに、近く。


「滑稽だな」


嘲笑うような、声だった。

その声を聞くなり、大地に潰圧されるスズカゼの全身に寒気が駆け抜ける。

否、彼女だけではない。オクスやフーもまた抗うことを忘れ、それに全ての意識を集中させるほどに。

その存在は余りに強大で、凶悪。誰もが恐れ、逃げ惑うほどに悍ましく。


{……貴様}


だが、それは天霊も然りである。

恐らく、いや、間違いなくこの世界で最悪の男。

嘗て己の望む戦乱のために幾億の戦火を巻き起こし、果ては片腕を証だと捨て去り、平然と去った化け物。

否、化け物以上の、名を表すことも出来なかった、存在。


{四天災者[灼炎]……! イーグ・フェンリー……ッ!!}


隻腕にして、最悪の、災悪の男。

彼の嗤いは焔となり、瞬きほどの間もなく刹那に大地を焦土と化す。

オロチが受けきれるはずもない焔だった。無論、それ等は草木だけでなく、土さえも焦がし焼き尽くして。


「……何で」


大地の潰圧から逃れたスズカゼは、己の腕先を抑えながら問う。

何故この男がこの場に居るのか。何故この男が自分達を助けるのか。

猜疑があった。この男はまた、何かを企んでいるのではないか、と。


「……契約があり、約束があり、怨恨がある」


嘗て一国を滅した際に、同等の女と結んだ契約。

嘗て一軍を去った頃に、狂気の男と交わした約束。

嘗て一人を捨てた時に、我儘な己に向けた怨恨。


「だが、何よりも」


それ等より、どうしようもなく。

この身が欲す。片腕という対価を払おうと、帰る場所を失おうと。

未だ、この身が、どうしようもなく。


「戦いのために」


灼炎の焔が空を舞う。

天霊と対峙しながら、然れど皮肉にも嘗てとは真逆の立ち位置で。

彼等はただ、その殺意の双眸をーーー……、交わす。



読んでいただきありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ