縄解かれの少女は何を望む
《海賊船・船庫》
「……ゼさん、スズカゼさん!」
自身の名を呼ぶ声に、スズカゼはゆっくりと瞼を開いた。
だが、同時に襲い来る鈍痛に思わず瞼を閉じてしまう。
再び睡魔の闇に誘われる彼女だが、頭に走る鈍痛と聞きおぼえのある声がそれを許さない。
「あ、づー……」
と言うか、頭の鈍痛が酷い。
痛みを縫い付けられたかのような感覚だ。増すことはないが、収まることもない。
何が原因だろうか、と周囲を見渡した彼女の目に映ったのは、大きな木箱だった。
つい先程まで自分が食い入るように見ていたはずの紙面の上に落ちた、大きな木箱。
「大丈夫ですか!? スズカゼさん!」
「……あ」
彼女の肩に手を置いて揺すり動かす女性。
スズカゼはその人物を瞳に写すなり、鈍痛の痛みを忘れかける。
流石に痛みは完全に消え去りはしなかったが、それ以上の安堵がもたらされた。
「ハドリーさん!」
「あぁ、良かった……。目を覚まさないから何事かと思ったんですよ」
「目を覚まさない、って……。わ、私! どんだけ眠ってたんですか!?」
「もう日が暮れてます。メタルさんはもう起きて外に……」
苦笑気味に述べた彼女の言葉を聞き終えるよりも前に、スズカゼは走り出していた。
何も知らぬハドリーからすれば、きっと何事かと思っただろう。
だが、スズカゼにはそんな彼女に構う暇などあるはずがなかった。
あの場にハドリーが居たという事はゼル達が乗り込んできたという事であり。
自分を起こしてきたあの様子からして、船は既に鎮圧されているはずであり。
必然、この船の長であるカイリュウ・ジレンターラも捕縛されているはずであり。
全てが決着しているならば、彼の首が撥ねられていてもおかしくないはず、なのだ。
《海賊船・甲板》
「ーーー……ッ!!」
扉を、蝶番が弾け飛ぶほどの勢いで押し開けたスズカゼ。
彼女の目に映ったのは手足を縛られて膝を突く十数人の海賊達だった。
彼等は等しく抵抗する意を失っており、その瞳に光は無い。
「あの人は……!」
だが、目当ての人物が居ない。
右を見ても左を見ても前を見ても後を見ても。
何処を見ても、目当ての人物は居ないのだ。
「あぁ、起きたのか。スズカゼ」
そんな彼女を呼び止めたのはゼルだった。
普段と変わらない調子で、態度で、声で。
血に塗れた顔など関係ないかのように、ごく普通に。
「ッ……!」
「……あぁ、この血か」
指で拭かれた頬端の血痕は未だ乾いてなかったのか、薄く引き延ばされる。
それに不快感を示したのか、彼は眉根を寄せたがスズカゼの不安げな表情を見ると無理に微かな笑みを作り出した。
その笑みは悲しそうで、とても笑顔の類いには見えない。
「ちょっと、な」
彼の言葉に続くように、スズカゼの表情は一気に青ざめていく。
彼女は慌てて周囲を見渡して、縛られた海賊達の影に隠れるその横たえた足を見つけ出した。
「ーーー……ッ!」
それを視界に映すと同時に彼女は走り出した。
海賊達を軽々と飛び越えて、ゼルの制止も無視して、その足のある場所へと降り立つ。
彼女が見たのは顔に白布を、いや、顔があったであろう場所に白布を被せられた一人の大男だった。
毛色や爪、肉体からして獣人なのだろう。
「遅かった……!」
悔しそうに、ただただ悔しそうに。
スズカゼは拳を握り締め、眉根を歪ませ、歯を食いしばる。
遅かった。気絶している暇など無かった。
彼は殺してしまったのだ。今まで不殺を貫いていたのに。
殺せば彼等と同じになるから。命を奪えば彼等と同じになるから。
略奪という行為を嫌う彼だからこそ、殺しをしなかったのだ。
それを今、この状況のせいで、或いは自分のせいで。
彼は曲げてしまった。不殺という誓いを。
「……ゼルさん」
「な、何だ?」
「カイリュウさんは何処です? あの人は、何処ですか」
ゼルからすれば、彼女が何を言っているのか、どういうつもりなのか、理解出来なくて当然だっただろう。
だが、スズカゼから感じるただならぬ気配は少なからず彼の意識に違和感を生む。
今まで彼女は捕らわれていたはずだ。優待遇でも受けていたのならば、そもそもこの現状がおかしい。
それに、カイリュウはニョーグを殺した。無抵抗の彼を、殺した。
憤っているのか? その事に。
いや、違う。スズカゼは彼とは面識が無かったし、そも、今の彼女はそんな様子ではない。
「……何でだ」
「話す事があります。ゼルさんも、聞いてください」
ゼルはここで突っぱねる事も出来ただろう。
いや、実際はそうすべきだったのだ。
彼女が何を掴んだのか、何を知ったのかは解らない。
それでも、カイリュウ・ジレンターラという男はトレア王国軍副隊長のニョーグ・ドーイを殺した。
その事実だけで、どうしようも無い程に。
彼等を庇える可能性も、彼等が誰も殺さなかった理由を知る事も、両者の間に偽物の平穏を作り出すことも、叶わなくなったのだから。
だから突っぱねるべきだ。何も知らず、何も知らせず。
真実を知る事もなく、立ち去るべきだ。
「……良いだろう」
だが、ゼルはそうしなかった。
それは彼等の不殺の理由を知りたかったからであり。
そして、自らの油断が招いた、一人の死に向き合うためでもあった。
「や、止めてくれぇ! お嬢ちゃん!!」
スズカゼの言葉とゼルの決心を遮ったのは一人の男の、悲痛な叫び。
それは縄で縛られた海賊の一人が吐き出した物だった。
いや、その男だけでは無い。
他の面々も懇願するように、或いは睨み付けるようにスズカゼへと視線を向けている。
「アンタがバラしたら、全部パーになる! 無駄になるんだ! お頭が今まで耐えてきたことも、やってきた事も! 全部、全部無駄になる! やめてくれ、それだけは! アンタも知ったんだろう? 見たんだろう? なら解るはずだ! 止めてくれ! お願いだ!!」
彼に同調して、他の海賊達も次々に懇願の声を出す。
そこにはもう海の荒くれ者達の姿は無く、縛り上げられた弱者の存在だけがあった。
物乞いのような、弱り果てた老人のような、愛する子を抱える母親のような。
最早、一片の力も持たない弱者の姿。
「駄目です」
だが、スズカゼはそれをばっさりと切り捨てる。
弱者の請いなど知った事では無いと言わんばかりの、冷徹な目付きで。
彼女に断られても請う事を止めない海賊達の悲痛な叫びを受けても、スズカゼは答えを変えない。戸惑う素振りすら、ない。
「知るべきなんです。変えるべきなんです。……あの国を、貴方達を」
その言葉に、海賊達は黙るしかなかった。
間違いない、この少女は全てを知っているのだ。知ってしまったのだーーー……、と。
自分達の目的もやり方も何もかも、一切合切全てを、知ってしまったのだ。
「……変えるべきなんです」
もう一度繰り返し、スズカゼは強く瞼を閉じる。
覚悟を上塗りするように、強く、深く。
「トレア王国を、貴方達を」
そして、もう一度。
彼女は自身の視界を黒く染めた。
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