漆黒の者達
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
轟々と燃え盛るゼル邸宅の前には二つの人影があった。
その二つの人影は猛火の中に沈む邸宅に目もくれず、ただ高速の一撃を交わし合う。
そう、彼等は避難など頭にはなく、ただ互いの命を刈り取ることのみに集中しているのだ。
「ッ!」
ジェイドの黒毛を擦り、鋼鉄を纏った拳撃が彼の頬を掠り切る。
直撃こそはしなかったが、ジェイドの頬には一線の傷口が開いていた。
黒尽くめの男は拳を振り切ったにも関わらず、間髪入れずジェイドの顔面へと第二撃を撃ち放った。
「舐めるな……ッ!」
彼の顔面に向かっていた鋼鉄の拳は、空を切り裂いた。
ジェイドは拳を真正面から迎え撃つのでは無く、刀剣の刃により、その軌道をズラして拳撃を逸らしたのだ。
拳撃を逸らされた事により、男の体勢はほんの一瞬だけ伸びきった状態となる。
それを狙っていたかのように、ジェイドの脚撃が男の腹部へと叩き込まれた。
鈍々しい音とは裏腹に、男の腹部には激しい苦痛が襲い来る。
普通ならばその場に蹲り胃液を吐き出すであろう程の衝撃だが、男は少し背を曲げただけで、ジェイドの次撃が来る前に後方へと跳躍した。
「…………」
鋼鉄を纏った拳を持つ男は無言のままさらに後退して距離を取る。
依然としてその間は数メートル程度でしかない。
だが、それは双方の射程からギリギリ離れた距離でもある。
互いに均衡する、唯一の距離。
恐らく、男がこの距離を取ったのは様子見などではないはずだ。
ジェイドはその行為に何処か不気味さを感じながら、男へと言葉を向けた。
「何者だ」
「…………」
男は何も答えない。
まるで人形のように、機械のように不動のままその場に立ち竦むのだ。
それでも自分の言葉は届いているはずだ、とジェイドは構わず喋り続ける。
「どうしてここを襲撃した? 何が目的だ? 獣人否定派の人間か?」
「…………」
男は依然として何も言わず、ただその場に立ち尽くすだけだ。
轟々と燃え盛る邸宅を背に、ジェイドは牙を剥き、刀を持ち直す。
言葉もないような相手に会話は出来ない。
ならば潰すしか無いだろう、と。
「……貴様は」
ジェイドが刀を握り直し、再び臨戦態勢に入ったのを察したかのように、男は急に言葉を零し出す。
その行為を訝しみながらも、ジェイドは刀剣の柄を握っていた指先の力を軽く緩めた。
男はそれを確認してかせずか、一瞬だけ言葉を止めて、深く息を吸い込んだ。
そして吐き出すようにして、その言葉を述べたのだ。
「こんな所で何をしている?」
「何?」
こんな、黒尽くめの知り合いが居ただろうか?
ジェイドはほんの数秒だけ思考を巡らせるが、それに引っ掛かった人物は居なかった。
この男は一体、何を言っているのだろうか。
知人でも、友人でも、古友でもない。
この男は、一体ーーーー…………。
「闇月は陽の光に照らされて消えたか? ジェイド・ネイガー」
刹那。
紅蓮の業火を白銀の閃光が駆け抜ける。
目測できるような物でも、秒数の中に収まるような物でもなく。
ただ、それは。
月光が如く、紅蓮の中に浮かぶ漆黒を切り裂いた。
「……ククッ」
だが、その漆黒は蜃気楼が如く揺らぎ、歪んでいく。
残ったのは沼地に吹く生暖かい風のような、不穏な笑い声。
ジェイドの切り裂いた影はやがてその笑い声と共に紅蓮の中へと溶けていった。
「幻覚……」
ジェイドは刀剣を仕舞い、そのまま背後へと振り返る。
残ったのは猛火に沈む邸宅と空を舞う灰燼のみ。
邸宅を支えていた柱が焼け焦げ、内部の酸素に火が燃え移ってバチバチという破裂音を掻き鳴らす。
やがて、その柱が倒れた頃、ジェイドは空を見上げて、深く息を吐き捨てた。
「……月、か」
疾うに日も暮れて、紅蓮の中に揺れる空には夕月が浮かんでいた。
もう暫くすれば月はその光を増して確固たる存在となるのだろう。
そう、それこそ闇夜の中に浮かぶ月として。
「無事か」
轟々と燃え盛る邸宅近くから出てきたジェイドは平然とリドラ達に語りかけた。
既に避難していた彼からすればその言葉を掛けるのはこちらの方だ、と言いたいに違いないが。
「ハドリーとメイドは無事だ……。得に問題はない」
「なら良い。こんな馬鹿馬鹿しい騒動で死んでは何にもならんからな」
事の顛末はこうだ。
ゼル邸宅は数時間前まで普段と何も変わらない日常だった。
だが、その異変にジェイドとハドリーは気付いたのだ。
夕焼けが沈む時間帯特有の仄かな薫りに混じる、火薬の臭いを。
彼等はそれを感じてからジェイドはメイドを、ハドリーはリドラを連れてゼル邸宅から即脱出した。
その数分後にゼル邸宅は爆発したのだ。
これが、この燃え盛る邸宅で起きた事件の顛末である。
「獣人否定派の人間か? それにしては随分と大胆だが」
「……否定派にしろ、この邸宅一つを吹き飛ばす爆薬なぞ何処で手に入れると言うのだ? 外来から持ち込んできたとしても入国検査で間違いなく引っ掛かるだろう」
「だとすれば国内の人間だろうが……、間違いなく爆弾による物なんだろう?」
「あぁ、火薬の臭いがしたならば魔術や魔法ではないはずだ。だとしても誰が、何の為に、どうしてやったのかは解らんがな。……しかしジェイド、先程まで何をしていた? まさか火事見学に行っていた訳ではあるまい」
「あぁ、不審な男が居たから少し話をな。……幻術を使われて逃げられたが」
「……それが犯人ではないのか」
「流石にそれは解っているとも。恐らく、ジョブは[拳闘士]だったはずだ。外見は黒尽くめで解らなかったが、声からして男だろう。身長は170から175だな」
「……貴様と張り合ったのだ。若々しく身体能力が高いのだろう。何より拳闘士は技術よりも力が物を言うことが多い。まぁ、それだけならば貴様も苦労しなかっただろうがな」
「あぁ、力と技術、両方を兼ね備えていた。中々の実力だったぞ」
「だとすれば、年齢からしても身体能力が高く技術と経験が積める二十代後半。容姿を隠しているのに声を出した事から、恐らく外の人間だろうな。多く姿が見られない事を示している。貴様を騙すほどの幻術を使った事と我々に気付かれず爆弾を設置した事からも複数犯だろう。となれば、後は言うまでもあるまい?」
「第三街からの外出記録を調べて犯人を捕まえるだけ、と」
「年齢はあくまで予想だから参考とまでは言わないが、他の事は充分に参考になるはずだ。それに、貴様等の鼻を持ってすれば火薬の臭いを嗅ぎ分ける事も可能だろう?」
「急ぎ、ハドリーに第三街周辺に警戒網を敷くように言っておこう。後は動機だが……」
「……恐らくはスズカゼの抹殺だろうな」
その言葉を言った瞬間、リドラは自身の背筋が凍るのを感じた。
理由も、原因も、結果も解る。
だからこそ今のジェイドを見る必要もないし語りかける必要もない。
彼は今、酷く殺気立っているだろうから。
「…………犯人はまだ、街に居るな?」
彼の言葉は先程とは違って、最早、獲物を狙う獣の唸りだった。
街に居る目的を倒す為に探すのではない。
殺す為に、その首を跳ね飛ばすために。
「そのはずだ。大凡、隠れられるのは第二街……、はないな。第二街に入るにしても許可が必要だろう。奴等が外部の人間ならばこそ、それはない」
「……となれば」
「第三街の何処か。ゼルとスズカゼが戻って来次第…………、……いや、待て」
「どうした?」
「どうして、来ない?」
リドラの疑問は、ジェイドには理解し得ない物だった。
どうして来ないのか、という言葉。
恐らく脈絡からしてもゼルとスズカゼの事だろうが、二人は今、第三街の空き地、つまりはファナの元へ向かっているはずだ。
ここまで距離はあるし、戻ってこなくとも不思議な話ではーーー…………。
「……爆発が起きたのは何分前だ?」
「時間前、だ……。幾ら何でも遅すぎる!」
リドラの声に反応したジェイドは、即座に駆けだしていた。
ここから南部の空き地までは歩いても半時間は掛からないだろう。
これ程の爆発と火災だ。南部の空き地からでも見えるし、爆発音も耳に入っているはずだ。
それでもまだ来ないという事は道中、何かあったという事である。
スズカゼを狙って第三街領主の住む男爵邸宅を爆破するほどの者達。
その者達が本人不在かどうかの確認を怠るだろうか?
否、そんな事はない。
恐らくこちらは囮。それこそ自分達を引きつけ、第三街の住人達の視線を引きつけるための。
上手く転がれば、ゼルとスズカゼを分断するためのーーー……。
「マズいッ……!!」
ジェイドが地面を蹴り飛ばし、全力で道中を駆け抜けてく。
ここから全力で向かったとしても空き地までは数十分は掛かるだろう。
その間に何もない確証など、何処にもありはしないのだ。
そして現に、第三街南東部の裏路地ではそれが行われていた。
《第三街南東部・裏路地》
「……大人気だな、こりゃ」
「ウダウダ言う前に手を動かせ。数に潰されるぞ」
本来ならば鼠や蝙蝠程度しか行き来しない裏路地には、数十人の人影があった。
月光の中、闇夜に紛れるように漆黒の衣を纏った者達が数十人。
そして、それらに囲まれて背を会わせる男女が二人。
「傭兵集団かよ……、多すぎだろ」
「……羽虫風情が」
ゼルとファナは背を会わせ、数で圧砕すると言わんばかりに距離を縮めてくる漆黒の衣を纏った者達に警戒の意識を向けていた。
既にゼル邸宅が炎上してから数時間。
第三街住人が家に入り安寧の中に身を置く中で、この街の闇は確かに動き始めていた。
読んでいただきありがとうございました




