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確かに庭師ですけれども。◆トピアリーとか作れませんから!◆  作者: ナユタ


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2-2   挑戦が成功の母で良いと思うよ……。


 今日はいつもと趣旨を変えて、夏の日差しから逃れて人払いをした図書室に来ていたのだが、二人で床に座って思い思いの本を読んでいた時だ。


 急に目の前で本を読んでいたトモエが、傍らの黒板に何やら書き込む。チョークの音がやむのを待ってからスティーブンは顔を上げた。


【スティーブンってさ、最初に会ったとき馬に乗ってたよな?】


 突然の問の意味をはかりかねたが、スティーブンは頷いた。


【あの馬ってお前の馬なのか?】


 その通りなのでこれにも頷く。何か言い出しにくそうにしているトモエを見て、彼女が読んでいる本の表紙を覗き込む。タイトルを見たスティーブンはなる程と頷いた。


【乗ってみたいのか?】


 その手にあったのはごく子供向けの乗馬の手引書。呆れられると思っているのか、トモエはやや恥ずかしそうに頷いた。この辺りで乗馬ができる人間は割といるはずだが、確かに彼女の知る人間の中にはいない。したがって今日まで言い出せずにいたのだろう。


 それを今日ここで初歩とはいえ乗馬の手引書を読んでみて実際にやってみたいと思った、と。トモエが実地を好む性質であることは知っているので、スティーブンは読みかけの本を閉じて立ち上がった。


【じゃあ、一緒に乗ってみるか?】


 黒板にそう書き込んで見せると、嬉しそうに何度も頷いている。


 その姿を見ている限りあの日の出来事がトモエの中でトラウマにはなっていないようだ。実は今まで気になっていたことなので、こんな形でも知ることができてスティーブンは内心かなりホッとした。


 ――と、いうのが今から一時間ほど前のことだ。


 目の前にある彼女の頭を見て、ふと髪が伸びたなと思った。出会った当初はギリギリ耳にかかる程度だった彼女の髪は、今は首の後ろで申し訳程度にくくれる長さになっている。


 視線を上げて前を見れば、何も遮る物がない草原が続いていた。


 バーラムの背に二人で乗っているといつものような速さはないが、何か心が浮き立つ。目の前で何を言っているのかは不明なものの、おそらく感動を表す言葉を口にしているらしい彼女もきっと同じ気分なのだろう。


 久し振りの遠乗りは最近鬱憤の溜まっていたらしいバーラムにとっても良い気分なのか、まだ一度も休みたがる素振りを見せない。たださすがに乗馬をしたことがない人間をこれ以上乗せていると、翌日に大変なことになる。


 スティーブンはいつも休む時に使っているお気に入りの場所にバーラムを向かわせた。


 そこはちょっとした森になっている中にある小さな泉だ。バーラムに止まるように指示を出し、その背から先に降りる。だが行きもそうだったようにここからが問題だ。


【諦めてこちらに手を出せ】


 馬上で無駄な抵抗をするトモエに黒板を見せる。しかし彼女はそれでも抵抗を試みて鞍の上でモゾモゾとしていた。このままでは埒が明かない。


 そう判断したスティーブンは多少強引にトモエの腕を引いて上半身を抱き寄せ、抱えるように下ろした。


 腕の中で硬直しているのが分かって少し笑うと、それを察したのか耳まで赤くなったトモエが思い切り胸を殴りつけてきた。グッと息がつまった声を出したスティーブンを見てフン、と鼻を鳴らす。


【年上の人間をからかうからだ!】


 そう書き込まれた黒板を向けられても腹が立つどころか、笑いがこみ上げてくる。トモエはもう勝手にしろとばかりにスティーブンを放ってバーラムの首を撫でていた。


 バーラムが水を飲む横で二人並んで泉に足を浸ける。湧き水でできた泉は冷たく、心地が良い。そのまま仰向けになるトモエを見て、スティーブンもそれにならっていると、ふと横でトモエが何か黒板に書き込んでいる。


【ありがとう、スティーブン。凄く楽しい。お前は? 私が無理を言ったから疲れたんじゃないか?】


 見せられた黒板の文字と、らしくもなくしおらしい彼女を見てスティーブンも黒板を引き寄せて書き込む。


 【私も――】と書きかけたスティーブンだったが、ふとその手を止めてトモエを見つめると一端黒板の文字を消し直して書き直す。次に向けられた黒板には――。


【ああ、そうだな。俺もだ】


 今までスティーブンが使うのを見たことがない単語にトモエが笑う。


 空は抜けるように青く。


 今日はまだ続く。



*******



【違う。そうじゃない】


 もう何度目かのオリバーさんの制止が入る。怒っているというよりも困っているらしいその表情は、私にとっては怒られるよりも堪えた。


【刃は刈り込むというより表面をすくう感じだ。もっと細かく刃先を使ってみなさい】


 これももう何度目の指示になるか分からない。今日はかねがね習ってみたかったトピアリーの仕立て方を教えてもらっているのだが、どうにも飲み込めないのだ。


 脚立に二人で立つスペースはもちろんない為、下からオリバーさんのやり方を観察して入れ替わる形で私がその続きを真似る。そう、真似るだけ、なのだが……。


【トモエ! 刃先が潜っているのが分からないのか? しっかり感覚を感じながらやるんだ】


 バンッ、とオリバーさんにしては強く黒板を叩いた。下から見ていてもそれだけ私の刃先がフラフラしていたのだろう。今日の私は黒板を持っていない。鋏を扱う間は危ないので、下にいるオリバーさんが預かっていてくれるからだ。しかし、それがこの歯痒い事態を招いているのも事実だった。


 それに私は今まで日本庭園のことしかやってこなかった。日本庭園での剪定はそのほとんどが丸刈り、あるいは玉物にしてしまうか、真っ直ぐに刈り込んでしまう。


 その為、トピアリーのように動物を象ったり、紋章を象ったような細かい細工物はないのだ。


 そんな学生の頃から身体に染み付いた日本庭園式の剪定の癖は、そうそう直らない。刈り込み鋏は全面を使うか、裏返して使うか。刃先を使うにしても角を整える時や飛び出した枝を挟むくらいだ。


 トピアリーに近い細々したものといえば盆栽があるが、庭の職人と盆栽職人の仲は微妙だ。自然界の大きさを好む庭師と自然界を床の間に体現させる盆栽職人とでは目指すものが違う。


 そういうわけで、私は盆栽職人の器用さを持ち合わせてはいない。


【トモエ、今日はここまでにしよう。全く集中できていない】


 オリバーさんの黒板の指示を気にして追うからか、確かに私の鋏の動きは鈍くなってシャキン、という音を立てずにクシャッ、という樹を傷める音を何度か出した。


【ここは儂の大切な庭だ。そんなに気が散った状態の人間にはとてもじゃないが任せられんよ】


 ピリッとした緊張が走った。黒板に書かれた文字も心なしかとがって見える。怒らせてしまったのだろうか。


 いつも気が長いオリバーさんのこんな表情は、ここへ来てから一度も見たことがない。前の職場でもこの顔を見たことがあった。あれは確か、フリーで仕事を請け負う職人にヘルプに入ってもらった時だ。


『はぁ、現場が長いって言うからきてやったのにこんなに簡単なこともできねぇのか。邪魔だ、あっち行ってなお嬢ちゃん』


 あの時も、今みたいに脚立の上で時間が止まった気がしていた。頭の中が一瞬真っ白になる。手にした長年愛用している刈り込み鋏が何故か妙に重く感じてなかなかその場から動けずにいる私に、下からオリバーさんが黒板を見せてきた。


【今日はもう先に帰って、エマの手伝いをしてやってくれ】


 そこに書かれた最終通告にノロノロと脚立を降りる。


【お疲れさま。明日は少し休みなさい】


 下に降りた私に労いと、頭を冷やせとの内容が見せられた。うなだれつつもそれに頷いて黒板を受け取り、一人エマさんの待つ家に帰ろうと荷物を纏める。その私の背後でオリバーさんが微かに溜め息をつく気配がした。


 当たり前だ、当然だと思うのに。


 酷く心許ない、足下から地面が崩れていくような感覚。このままここにジッとしているとそれに飲み込まれそうで、私はその場から駆け出した。夏の日が傾くのが少しずつ早くなってきているせいか、それとも今日の失敗のせいなのか。


 追いかけてくる不安を振り切ろうと必死に駆ける私の肩で、道具袋の中の相棒たちはガチャガチャと不満の声を上げ続けた。



*******



 風が甘い草の匂いを運んでくる。夏草の青青とした匂いは徐々に次の季節へと飲み込まれて行く。その日は珍しく彼女が静かだった。時折何か思い詰めたような表情をしたかと思えば、物憂げな表情に変わる。


【どうかしたのか?】


 スティーブンは思わずそう書いた。トモエはぼんやりそれを見つめて【何でもないよ】と頭を撫でてきた。


 今日は天気が良いからと、庭園の大きな楓の下で紅葉を見ながらお茶にしようと言う話になったのだ。しかし手にしたマーガレットからの手紙もまだ半分しか読み進めていない。頭を撫でる手もいつもより力がなかった。


【どうした。何か気になることがあるのか】


 頭を撫でる手をやんわりと引き剥がして虚ろなその目を覗き込む。どこか遠くを見ていた目の焦点が徐々に合わさっていく。


 その目がはっきりとスティーブンを捉えたとき、彼女は今まで見たことのない弱気な表情になった。だが、スティーブンの霧がかかった湖面の目に映った自分の顔を見たトモエは慌てて笑顔を取り繕った。


【あー何でもないよ。秋口はちょっと情緒不安定になる国民性なんだ】


 ぎこちない笑顔の中には漠然とした不安と孤独の色があったが、スティーブンも敢えてそれ以上は聞き出さない。


 代わりにいつもとは逆の行動を取ってみる。しかしスティーブンの手は思いのほか小さかったトモエの頭を、撫でると言うよりは捕食者のように鷲掴みにした形になった。


 力の加減が分からず左右に撫でると、首をガクガクさせながらトモエが笑った。


【お前、慰めるの下手かよ】


 そう書かれた黒板の文字も、笑っているかのように乱れていた。それに少し安堵する。彼女にあんな顔は似合わない。マーガレットもスティーブンも、淑女が見せる淑やかな笑顔より、トモエが見せるがさつな笑顔の方がずっと好きだった。


【手紙には何と書いてあったんだ?】


 おおよその想像はついていたが、スティーブンの予想があたるとなるとあまり嬉しい内容ではない。


【マーガレットが“今度の誕生日に是非いらして下さい”ってさ。家庭教師にまでこんな手紙くれるなんて良い子だよなぁ】


 楓の大木に背をあずけながらトモエがそんなことを黒板に書いて見せてくる。人の気も知らないで暢気なものだとスティーブンは内心で溜め息をついた。


 それが聞こえたはずもないのに、自然と隣に座るトモエがその頭を撫でる。隣を見ると“違った?”とばかりにこちらを見ている瞳とかち合った。


【私も行けたらマーガレットにバラの苗をプレゼント出来るんだけどなぁ】


 身体を斜めにして覗き込んだ黒板にそんな文字が踊る。


【マーガレットのいる街はここから遠いんだろう? いつも消印が古いし】


 続く文字はスティーブンの目には入らなかった。


【そうだ、そうしよう】


【は? 何が?】


【マーガレットの誕生日だ。お前も俺と一緒に来い】


【ハハ、やだ~ご冗談を】


 ヒラヒラと振っているトモエの手をガッチリと掴んで、スティーブンは黒板に書き込んだ文字を見せた。見せられたトモエは困惑顔だが、スティーブンは彼女が首を縦に振るまでその手を離さなかった。


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