9話 【絶対防御】の力
私の背中で、ミレーユがぎゅっと服の裾を掴んできた。後ろに彼女がいなければ、私はもう少し取り乱していたかもしれない。
努めて冷静さを装いながら、私たちに近づいてくる令嬢たちを見遣る。
威圧感とは違う、妙な気配を彼女たちから感じた。
ちりちりと産毛が逆立つような、気味悪い感覚だ。
(これは、もしかして魔力ってやつ……?)
リュシアの記憶から引っ張り出す。
魔力とは、その名の通り魔法を使うための力である。ヴァルフォート王国の国民なら誰でも多少は持っているが、他人がはっきり感知できるほど多くの魔力を持つ人は少ない。
魔力を感じ取る描写は、転生もののライトノベルではよく見かける。しかし、実際に自分がその立場になると、とても落ち着いていられない。
「これからお前に魔法を使うぞ」って迫られているのがわかるのだから、篠崎梓の感覚で言えば、ナイフを突きつけられて脅されているのとほとんど変わらない。
こんなとき、リュシアならどう答える?
「皆様。いったい何をお考えなのですか。おやめください」
何とか声を震えさせずに言えた。
しかし、令嬢たちは口元に薄らと笑みを浮かべただけで何も答えない。
直後、令嬢たちが魔力を解放した。色の付いた蒸気のような魔力が、私の両手両脚、そして腰に絡みつく。
「リュシアお嬢様!?」
「ミレーユ、離れて」
「いったい何が……お嬢様。どうかこのミレーユを盾にしてください! どんなことがあっても、私はお嬢様のそばにいます!」
ミレーユのひたむきな言葉は嬉しい。
けど、やっぱり危ない。
どうやらミレーユにはこの魔力が見えていないようだ。
エスメラルダが鼻を鳴らした。
「とりあえず、魔力感知は及第点ですわね。リュシア・エヴェリーナ・オルティス」
「エスメラルダ様。お戯れはこれくらいに――」
「ご冗談を。本当の『戯れ』はここからですわ」
エスメラルダが近づいてくる。
私は目を見開いた。エスメラルダの身体から、桁違いの魔力が溢れ出したからだ。
私を拘束する令嬢のひとりが言う。
「エスメラルダ様は、攻性魔法の名門デュラン家で最高の実力をお持ちの方。その才能と努力の結晶をその身で味わえるなんて、光栄なことだと思いなさい」
「私の、身体で? そんな」
狼狽える私に、エスメラルダが言う。
「言ったでしょう? その綺麗なお顔を傷つけてでも、王家のために力を振るう覚悟があるのか――と。さあ、覚悟を見せてごらんなさい。あなたがこの場所に相応しい女かどうか!」
「……嫌ッ」
身をよじる。しかし、魔力拘束はほどけない。
エスメラルダの手が伸びる。いつの間にか、彼女の手には赤と黒の雷がバチリバチリと音を立てていた。
「積み上げた力の違いを見せつけてやりますわ」
『紫電の薔薇』――とエスメラルダが呟くと、赤と黒の雷がさらに大きく膨れ上がった。
そのまま、私の顔へと近づける。
待って、私はまだ【絶対防御】の使い方を知らないのに!
こんなくだらない言いがかりで、顔に傷なんて負いたくない!
――瞬間。
私の中で、何かが膨れ上がった。
この感覚、覚えがある――そう思うのとほぼ同時に、不思議な力がエスメラルダの雷を押し返した。
「うぐっ!?」
苦悶の声を上げるエスメラルダ。彼女は自らの雷に打たれただけでなく、まるで力士に突き飛ばされたようにもんどり打って倒れた。
取り巻きたちが「エスメラルダ様ッ!?」と悲鳴を上げながら駆け寄っていく。
(あ……動く)
いつの間にか、取り巻き令嬢たちの魔力拘束も消失していた。
エスメラルダが歯を食いしばりながら上体を起こす。大きな外傷はなさそうだが、電撃に痺れて上手く身体が動かせないようだった。
「これが、【絶対防御】の力だというのね……忌々しくて、卑怯な……防御の力」
悔しそうに呻くエスメラルダ。
私も唇を噛んだ。
勝手に喧嘩をふっかけてきて、勝手にやられて、勝手に恨まれる。こんな理不尽なことがあるだろうか。
私はただ、自分の力について知りたいだけ。誰かと競おうなど、まったく考えていないのだ。
きっと、かつてのリュシアも同じことを考えただろう。
(本当に理不尽……けど、私はそんなエスメラルダを打ち負かした。無意識に。梓だったときには、考えられないことだよね)
ギュッと自分の襟を掴む。
(何か嫌だ、この感じ。わからないことだらけなのに、勝手に周りの方が変わっていく。私は、私の納得のいくように生きたいのに)
「エスメラルダ様。これ以上の言いがかり、は――」
クラッときた。
言葉が途中で途切れる。
視界が歪み、天地が逆さまになったような感覚になる。
まるでひどい貧血になったみたいだ。
「リュシアお嬢様!?」と叫ぶミレーユの声が、遠く聞こえる。
このとき、私は不思議な感覚になっていた。
自分の中から何かがふーっと抜けていく感じ。貧血と違って、気持ち悪さや辛さはまったくない。
ただただ、自分の中から生気みたいなものが抜けていく。
もしかして、これが【絶対防御】の副作用?
(これ、ヤバいかも。上手く説明できないけど、とにかくヤバい。自分の身体なのに、自分じゃないみたいな)
エスメラルダに『紫電の薔薇』を突きつけられたときとは違う、本能的な恐怖が襲いかかってくる。
私は必死になって意識を保とうとした。
エスメラルダが何かを喚いているけれど、私はそれどころじゃない。
そのときだった。
「そこで何をしている!?」
カイル王子の鋭い声が、私を現実へと引き戻した。 ハッとして顔を上げる。私はその場に座り込んでいた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「……ええ。ありがとう、ミレーユ」
ミレーユの小さな手を握り、その温もりを感じて、ようやく落ち着きを取り戻す。あの奇妙な感覚は、いつの間にか消えていた。
「ご、ご機嫌麗しゅう。カイル殿下……」
エスメラルダが精一杯の虚勢を張りながら立ち上がる。雷撃の痺れが抜けないのか、足下がふらついていた。
そんな公爵令嬢を横目で睨むカイル王子。
「嫌な気配を感じ、稽古を切り上げて来てみれば……!」
「殿下がわざわざお越しになるようなことは、何もありませんわ」
慌てたように、エスメラルダはカーテシーの姿勢を取る。しかし、バランスを崩し、その場に膝を突く。
カイル王子は手を差し伸べることなく、私に歩み寄った。
「殿下!」とエスメラルダが声を上げても、王子は振り返らない。まっすぐ私のところへ来てくれる。
カイル王子は私の前で跪くと、そっと頬に手を当てた。
手のひらの温かさが伝わってきて、私はそっと目を細めた。
「大丈夫か、リュシア。急いで駆けつけたのだが」
「はい。カイル殿下」
私は答える。カイル王子の表情がホッとしたように緩んだ。エスメラルダを睨んだときの氷の瞳は、今はない。
私はカイル王子に支えられ、立ち上がった。私の心臓は、ゆっくりと穏やかに脈打っている。我ながら落ち着きすぎだと思った。
「いったい、何があった?」
「それは」
何と答えようか考えていると、先にミレーユが口を開いた。
「エスメラルダ様とお連れの皆様が、突然リュシアお嬢様に攻撃をしかけたのです!」
「なんだと……?」
「お連れの方がお嬢様を動けなくして、その間にエスメラルダ様が雷の魔法でお嬢様のお顔を」
「リュシアの顔に……雷の魔法だと……!?」
カイル王子の手が腰の剣に伸びる。取り巻きの令嬢たちが「ひっ!?」と悲鳴を上げる。
だが、カイル王子はギリギリのところで自制した。その代わり、厳しい口調で問い質す。
「私の大切な婚約者の顔に、傷をつけようとしたのか? どういうことか、説明して貰えるのだろうな。エスメラルダ・ローヴェル・デュラン」
「私は……この者の覚悟を問うただけでございます」
震える声ながら、はっきりと言い返すエスメラルダ。彼女は自分の行動の正しさを信じて疑っていない様子だった。
……離宮の女性たちは、皆こうなのだろうか。
「カイル殿下! どうか目を覚ましてくださいませ。その女は自らの立場も理解していない田舎者なのです。リュシア・エヴェリーナ・オルティスをこのままブラン離宮に居座らせれば、『カイル殿下は見目の美しさだけで女を選んだ』と皆が見なすでしょう。それは力の信奉者であるヴェルフォート王家の者としてあってはならないことで――」
「ならば尋ねる。エスメラルダ嬢、その有様はどういうことだ?」
エスメラルダの言葉を遮り、カイル王子が逆に問いかける。彼のアイスブルーの瞳は、床に膝を突くエスメラルダを鋭く見下ろしていた。
「服の汚れ、髪の乱れ。何より、あなたの全身にまとわりついた荒々しい魔力の残滓。優雅さとはほど遠い」
「それは」
「デュラン公爵家が文武に優れ、知勇を重んじる一族であることは承知している。だが、あなたの今の姿は、まるで決闘に敗れたにもかかわらず結果を認めない愚かな敗者に見える。加えて、無防備な相手を一方的に傷つけようとするのは、真の強さとは言えない」
「殿下! 私は敗れてなど――」
「リュシアの【絶対防御】の前に屈した――違うか?」
エスメラルダが唇を噛む。無言なのは彼女のプライドの高さの表れだろう。
カイル王子の言葉を聞いて、私は理解した。
そうか、私の【絶対防御】がエスメラルダの攻撃を弾き返したのだ、と。
どんな攻撃からも守る――【絶対防御】の力は、やはり本物なのだ。
呆然と立ち尽くす私を、不意にカイル王子が強く抱きしめた。そして、力強く宣言する。
「リュシアは我が婚約者だ。そして、婚約者に相応しい力を持っている。エスメラルダ嬢、あなたの今の姿こそがその証拠だ。誰であろうと、ブラン離宮からリュシアを追い出すことは許さない!」
エスメラルダが、がっくりと項垂れた。




