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7話 私だけ


「お嬢様、本当にお休みにならなくて大丈夫なのですか?」

「ええ、もう平気よ。ごめんなさいね、ミレーユ。あなたを無理矢理引っ張ってきてしまって」

「い、いえ。そんな」

「私にとって心を許せるのがあなただから、一緒に来てもらえると、とても心強いの」

「リュシアお嬢様……! もったいないお言葉です! どこまでもお供します!」


 目を星のように輝かせて頷くミレーユに、私は微笑む。

 やっぱり可愛い子を眺めると心が和むわね。私自身は少し近寄りがたい美しさがある感じだったけど、ミレーユは親しみやすい可愛さがあって、一緒にいると落ち着く。


 この子を見ていると、自然と温かい気持ちになる。きっと、私が転生する前のリュシアも、ミレーユのことを大切に思っていたのだろう。

 わかる、わかるよ。私もこの子は手放したくない。


「ところでお嬢様。どうして宮殿内を散策されようと?」


 廊下に出たとき、ミレーユが尋ねてきた。

 私は自分の考えを伝える。


「自分の目で確かめたくなったの。これから王国を担う淑女たちが集まるブラン離宮が、どんなところなのか。考えてみれば、私は倒れてからここに運ばれるまで、ほとんど眠りっぱなしだったから」

「な、なるほど」

「これ以上、カイル殿下に情けない姿をお見せするわけにはいかないものね」

「さ、さすがですリュシア様!」


 再びミレーユが目を輝かせる。大げさだなと思う一方で、悪い気はしなかった。

 だって、篠崎梓がこんなふうに他人から尊敬されるなんてこと、一度だってなかったから。


 ミレーユに告げたことは本心だ。とにかく私はこの世界のことを知らなすぎる。リュシアの記憶はとても助けになっているけれど、やはり自分で見て感じるのとではインパクトが違う。


 ……それに、自分から行動しなければ、きっとわからないから。私に目覚めた力――【絶対防御】のことは。

 もしこの力のせいで泣けなくなってしまったら、間違いなくミレーユやカイル王子に「リュシアは人が変わってしまったのではないか」と怪しまれる。

 ただでさえ味方が少ないのに、この2人から見放されるのは耐えられない。それどころか、死活問題になる。


【絶対防御】についてもっと深く知るためにも、今は行動するべきだ。

 部屋の中でウダウダ考え込むのはもうやめよう。


 異世界の景色や魔法とか、興味あるしね。


 そう思ってブラン離宮内を歩いていると、あっという間に1時間ほど経ってしまった。


「まさか、これほどとは……」


 思わず私は呟いた。


 ブラン離宮、半端なくデカイ。そして綺麗だ。


 大学時代に一度だけ行った海外旅行で、ヨーロッパの世界遺産を見たことがあるけど……ここはそれ以上の規模と荘厳さだ。


 廊下はどこまでも続く赤い絨毯。毛が深すぎて、気を抜くと足を取られそうだ。実際、不慣れなミレーユは転んでいた。


 柱の彫刻も素晴らしいの一言。よく見ると、一本一本に異なるモチーフが彫られている。柱だけでも、いったい何百人の職人が携わったのだろう。


 部屋数も種類も多い。図書館にしか見えない書庫や、ダンスホールまであった。真面目に本を読んだり、踊りのレッスンを受けたりしている令嬢たちを見て、私もああなるんだと思った。


 極めつけは、廊下の結束点にある広間だ。頭上には天窓付きのドームが広がり、爽やかな陽光を柔らかく反射する乳白色のガラスがはめ込まれている。


「リュシア様。足下をご覧下さい」


 ミレーユが興奮したように指差す。

 天窓から取り入れた光が、白い床の上で波のような模様を描いている。時折、鳥のシルエットが飛んだり猫みたいな動物が横切ったり――。


「これが噂に聞く、宮廷魔法使い様による芸術魔法ですね。離宮に集まった皆様の精神的負担を和らげるため、光属性の魔法を応用したものだそうですよ」


 マジか、と思わず呟きそうになった。

 光を屈折させて動く絵を見せる魔法なんて、そんなのもあるんだ。しかもこれ、ドームの窓ガラスに組み込んでるよね。

 ヤバいなブラン離宮。1日中観光できるじゃない。


 こんな場所が、これから私の住処になるのか……。


 それからミレーユとふたりで、ブラン離宮を散策する。私たちがいるのは建物の3階部分らしい。大きな窓から、外の様子も見ることができた。


 庭も呆れるほど広い。

 バラ、キンモクセイ、ラベンダーなど、色とりどりの花が目に鮮やかだ。遠くには果樹園も見える。アニメでよく見る、お嬢様がお茶会を開くような東屋(あずまや)もある。あれはガゼボという名前だっただろうか。


 ……そういえば、こっちの世界でも草花の名称なんかは共通なのかな。そうだと助かるけど。


(カイル王子と一緒に庭園デート……なんて日も来るのだろうか)


 そんな妄想をしたときである。


「ん? あれは」


 ふと、庭の一角に、他とは雰囲気の違う場所があった。野外ステージのように四角く整えられた石が敷き詰められている。その周囲は刈り込まれた低木が整然と並んでいた。あれは目隠しのためだろうか。

 そのステージ上に、カイル王子の姿を見つけたのだ。

 王子は剣を片手に、鎧を着た騎士と話していた。

 どうやら、ステージは騎士たちの稽古の場所らしい。ところどころ、ステージ上が鋭く抉れているのは決闘の名残だろうか。すごい。


 カイル王子の周りには他にも、数人の女性たちが集まっていた。皆、上級貴族らしい華やかな衣装を身につけている。おまけに誰も彼も美人だ。ステージ下にもずらりと令嬢たちが並ぶ。


 どうりで廊下で誰ともすれ違わないと思った。

 全員、カイル王子が目当てで集まっていたのだ。


「そりゃあモテるよね……」


 私は思わず梓の口調で呟いた。


 間が悪いことに、令嬢のひとりが窓際に立つ私に気付いてしまった。周囲の女性たちとこそこそと囁き合い、警戒するような視線を向けられる。


 明らかな敵意を向けられ、胸の奥がもやっとした。

 さらに、陰口を叩いていた令嬢のひとりが、私の服を見て口元を手で覆った。どうやら侮蔑の笑みをお上品に隠しているつもりらしい。


 ムカついた。

 けど一方で、不安にもなった。


 私がこのシンプルなワンピースドレスを選んだのは、これが分相応だと思ったから。

 篠崎梓だったころ、私は身の丈に合わない見栄を張ってしまい、後悔した経験がある。その失敗を繰り返したくなかったのだ。


 それなのに、私はまた失敗してしまったのではないか――。


 すると、ミレーユが私の袖を引く。


「リュシアお嬢様の美しさは、他の女性たちを寄せ付けない特別なものです。どうかお気になさいませぬよう」

「それは、私が美人だから妬まれているってこと……?」

「間違いありません!」


 憤慨しているのかきっぱりと言い切るミレーユ。

 それはそれで……困るなあ。


「それに、ご心配なさらなくても大丈夫です。カイル殿下は、他の女性に目移りされるような方ではありません」

「え?」

「ご覧下さい」


 信頼するメイドの言葉に従って、改めてステージを見る。

 すると、カイル王子は群がる女性たちを手で追い払っていた。はっきりと邪険にしている様子がわかる。

 しかもカイル王子の表情は、私と話しているときはまったく違っていた。アイスブルーの瞳が冷たく彼女らを見据え、眉間に皺を寄せている。


 カイル王子に睨まれた貴族の女性たちは、愛想笑いを浮かべながら退散していった。去り際の色仕掛けにも、カイル王子はまったく動じない。


 そして周囲から邪魔者がいなくなると、今度は稽古相手の騎士に厳しく指導し始めた。相手の騎士は直立不動で頷くだけだ。


 ――王家の一族は、力の信奉者である。


 その言葉が、私の脳裏に蘇った。

 

 しばらくして、カイル王子のもとに別の男性がやってきた。学者風でちょっと軽薄そうな――でも王子に負けず劣らずのイケメン――男性に話しかけられ、今度はカイル王子の表情が少し嫌そうに歪む。


「カイル殿下は、ヴァルフォート王家に相応しい勇敢さと実力、そして厳しさを兼ね備えた方だと、皆が話していました。カイル王子が優しく微笑み、温かい言葉をかけるのは、リュシア様だけなのですよ」


 胸を張るミレーユ。

 まるでその言葉を証明するかのように、カイル王子が私に気付いた。

 先ほどまでの冷たい表情をフッと緩め、優しく微笑みかけてくれる。


 私は胸が熱くなった。


 そっか、私だけなんだ。

 いけない。口元がにやける。

 でも、そうなのか。本当に私だけ、私だけなんだ……ふふ。


 ――でも、それは私が『リュシア』だからなのでは?


 ふと脳裏をよぎった考えに、冷水をかけられた気分になる。


「リュシア・エヴェリーナ・オルティス」


 叱りつけるような口調でフルネームを呼ばれたのは、そのときだった。


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