6話 あのときとは違うから
いかに王家の信頼があるからといって、いち伯爵家の令嬢が王家の第一王子と簡単に婚約できるわけはない。
たとえ、当人たちの気持ちがあってもだ。
ここで大きなポイントとなったのが、私に目覚めた【絶対防御】のスキルだった。
リュシアの記憶によれば、【絶対防御】はオルティス家を象徴する貴重なスキルらしい。
その力は、あらゆる攻撃から王家を守るとされる。
実家の記録では、かつて【絶対防御】のスキルを持っていたご先祖様は、何百人もの敵国魔法使いが総力を合わせて発動させた戦略級魔法を凌いだらしい。
ご先祖様がいなければ、王都どころか周辺の領地もまとめて荒野になっていたとか。
「リュシアの記憶で知ってたつもりになってたけど……改めて考えるとヤバい力よね……」
紙に書き留めながら、私は思わず呟いてしまった。そんな力を使いこなす自信は、まったくない。
けど、カイル王子を【絶対防御】で助けたのは、本当のことだ。私が防いだあの気持ち悪い魔法は、夢なんかではなかった。
かつて国を救ったスキルの持ち主が、100年振りに現れた。さらに、王家の第一王子の命を救うという大きな功績を挙げた。
力を信奉し、敵は力をもってねじ伏せるが信条のヴァルフォート王家にとって、これらの事実はとてもインパクトがあったらしい。
カイル王子が私をブラン離宮に連れていくと言い出したとき、陛下はあっさりと了承したという。むしろ、背中を守る伴侶として最適だと。
……何だろう。異世界転生したらもう外堀が埋まりきっていた、この感じ。
結局、リュシアの記憶を探ってもさっき私が泣けなかった理由はわからないままだし……。
とりあえず、私がここにいる理由ははっきりしているとわかった。陛下やカイル王子のお墨付きがあるのだから、胸を張ってここにいてもいい。
なら、次に私がすべきことはなんだろう。
机の前で腕を組み、うーんと天井を見上げる私。
「こういう時間がダメなんじゃない?」
ふと、私は自分に突っ込んだ。
篠崎梓だったときの私は、とにかくやることなすことウジウジ考えてばかりで、行動できなかった。
今もその傾向はあると自覚している。
だからこそ、リュシアとして転生した今こそ、私は変わるべきだと思う。
ウジウジ考える癖が治せないのなら、せめて何か行動を起こそう。
いつまでもカイル王子が私を無条件に受け入れてくれるとは限らないのだから。
ふと、梓だった頃の記憶が蘇る。
親にさんざん愚痴を言って、「だったら好きにしなさい」と突き放されたときの、あの感じ。
今、ここで部屋にこもり続けていたら、きっとまたあの孤独感と後悔を味わうことになる。
それはイヤだ。
すでに私は、カイル王子を疑ってしまって後悔しているのだ。
そんな卑屈な自分から、一歩でも変わらなければ。
私は振り返って、テーブルの上に置かれた銀色のベルを見た。あれを鳴らせば、ミレーユは来てくれる。純粋に私の味方でいてくれるあの子に、少しはマシになった姿を見せたいと思った。
「よし」と握り拳を作る私。
それから筆記用具をしまうと、私はクローゼットに向かった。さすがにこの格好は目立ちすぎると私は思ったのだ。
「あー……さすが王妃候補が暮らす離宮。どれもご立派なもので」
ずらりと並ぶ豪華絢爛なドレスの数々に、私は頬をひくつかせた。
すごく手を出しづらい。きっと目もくらむほど高価なのだろう。リュシアの記憶が、「これ1着で、我が領地なら家が建つ」と教えてくれる。
梓だったとき、見栄を張って高い服を買い、結局ビビって着られなかったことを思い出した。分不相応な服を着ていると笑われないか不安だったのだ。
私は深呼吸した。
そして、クローゼットにかけられた服の中から、一番おとなしめで、動きやすそうな若草色のワンピースドレスを選ぶ。
「ビビっても仕方ない。私はリュシア・エヴェリーナ・オルティス。もう、喪女だった篠崎梓の身体じゃない。この衣装に相応しい姿を手に入れたんだ。だから――怖がるな、私!」
そう自分を鼓舞する。おとなしめの服で日和ったことはこの際ヨシとした。
そして、着ていた見事なドレスを――少し苦労しながら――ベッドの上に脱ぎ、選んだワンピースに袖を通す。
自分で服を着て改めて実感した。
布地の柔らかさや、肌を滑る感触は本物。私の身体はもう篠崎梓ではなく、リュシアなのだ。
姿見の前で腰に手を当て、気合いを入れた。
「うん。似合ってるぞ私」
自分で自分を褒める。すると不思議なもので、あれだけ戸惑っていたリュシアの身体も、高価な服も、しっくりくる感じがした。
私は転生して初めて、リュシアに生まれ変わったという事実を受け入れられたと思った。
今の私なら、カイル王子と再会したとき自信を持って振る舞えるかもしれない。そうすれば、今度は王子と心から笑い合えるかも。
王子の笑ったところを見てみたい。
それに、記憶の中のリュシアは辛くても朗らかに笑う女性だった。強い人だ。私だってそうなりたい。
改めて気合いを入れ、私は部屋の扉の前に立つ。
部屋の中に閉じこもっていても何もわからない。自分から外の世界を見て、確かめなければ。
私はちゃんとリュシアとして問題なく振る舞えるのかどうか。
私はリュシアとして、皆から愛される存在になれるのかどうか。
涙が流せなくなった原因も、もしかしたら誰か知っている人がいるかもしれない。
あとは――純粋にこの異世界を見たいという好奇心である。
現代日本で疲れ果てた生活をしていて、久しく忘れていた感覚だ。たとえて言うなら、子どもの頃にいつもの帰り道から一本奥の路地に足を踏み入れたときのようなワクワク――。
「……でも、あのときはあのときで結構怖かったのよね」
私は振り返った。
テーブルの上に置かれた銀色のベルを揺らすと、澄んだ音色が響く。すぐに「お呼びですか、お嬢様」とミレーユの声がした。
転生してからまだ数時間しか経っていないけれど、ミレーユの声を聞くとホッとした。私の方から扉を開け、声をかける。
「ごめんなさい、急に呼び出して」
「とんでもございません。メイドたるもの、主人に必要とされることこそ喜びですので――」
ミレーユの台詞が途切れる。
彼女の目は、私のワンピースドレスに釘付けになっていた。
頬を掻きながら、私は気まずげに言う。
「やっぱり、似合わないかしら?」
「とんでもございません!!」
「び、びっくりした」
「お嬢様は何をお召しになっても似合います!!」
握り拳を作って力説するミレーユ。抑えて抑えて。
「これはお嬢様が自らお選びになったのですね。素敵です!」
「ありがとう。この方が動きやすいし、私らしいと思ったから」
「何て素晴らしい……! お嬢様は、ご自身の内側から輝いていらっしゃいます。だからこんなにも眩しいのですね――ハッ!? も、申し訳ありません。メイドの身で差し出がましいことを」
「いいえ。いいのよ。嬉しかった。ありがとう、ミレーユ」
そう言って私は小柄な彼女を抱きしめた。
この子が私のメイドで本当に良かったと思った。
少なくとも、私はリュシアとして間違ったことをしていないとわかった。それだけでも、安心感がまったく違う。
真っ赤になったミレーユが慌てながら尋ねてきた。
「そ、それでお嬢様。どのようなご用件でしょうか? 本日はお休みになっていたほうが……」
「私ひとりでは寂しいから、ぜひあなたにも付いてきてもらいたいの」
「へ……?」
「探検よ」
そう言って私はウインクをした。




