5話 リュシアの置かれた環境
「お嬢様。本日はお休み下さいませ」
「ミレーユ……」
「せっかくの綺麗なお顔が、そのように曇っておられては、ミレーユも安心してお仕えできません」
振り返ったミレーユがそう声をかけてくる。おそらく、彼女なりに冗談を交えて私を元気づけようとしたのだろう。
私は曖昧に頷いた。
今の私は、容姿を褒められてもあまり良い気分になれない。
私の態度を見て、ミレーユはまた心配になったのだろう。私の隣に歩み寄ると、そっと手を握ってきた。
「本当にお手が冷たい……きっと目覚めたばかりで、まだご体調が優れなかったのですね。お飲み物をお持ちしましょうか? それとも、気分が安らぐ香を焚きましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。心配かけてごめんなさい、ミレーユ。あなたがいてくれて心強いわ」
「ああ、お嬢様。もったいないお言葉でございます」
感激するミレーユから視線を外し、私はベッドに潜り込んだ。確かに、短時間で色々ありすぎて少し休みたい気持ちがあったのだ。
するとミレーユが慌てた。
「お嬢様。お召し替えを……」
「少し横になるだけだから。カーテンもそのままでいいわ」
私がそう言うと、ミレーユは少しの間ためらってから「かしこまりました」と頭を下げた。
「私は別室で控えております。ご用の際は、あちらのベルでお呼び下さい」
「ありがとう」
「それでは、お休みなさいませ。お嬢様」
「おやすみ、ミレーユ」
扉の前でもう一度深く頭を下げてから、ミレーユは部屋を出ていった。
彼女の姿が見えなくなってから、私は深く長いため息をつく。
そして、人差し指で自分の目尻にそっと触れた。きめ細やかな肌にはシワひとつなく、涙の痕も見当たらない。
「いったい、さっきのは何だったのかしら」
カイル王子の言葉は、間違いなく私の胸に響いた。だって、私の一番の願いに応えてくれたのだから。人に受け入れられて、こんなにも感動したことは、子どもの頃以来だった。
いくら篠崎梓の人生が無味乾燥で荒んでいたとしても、感情を完全に失っていたわけではない。
ましてや、リュシアは情が深く感受性の高い女性だ。感動すれば、普通は涙を流すはずだ。
なのに――あのときの私は泣けなかった。
どうして?
「……病気なの? それとも、ほかに何か原因があるの? もしかして、リュシアの身体に私の魂が入ったことが関係しているの?」
一度考え出すと止まらない。
静かな空間と無駄に暇な時間で、私は答えの見つからない疑問を延々頭の中に巡らせ始めた。
こうなると、余計なことまで考えてしまう。本来は関係ないはずのことまで無理に結びつけて、答えを出そうとしてしまう。
もしかして私が泣けなかったのは、カイル王子のことを心のどこかで疑っていたからでは?
そもそも、カイル王子のあの言葉は本心からだったのか?
あれだけのイケメンで、しかも地位も高ければ、いくらでも言い繕うことができるのでは。
リュシアが純粋無垢な女性であることは間違いない。でも、もしかしたら彼女が騙されていた可能性もあるのでは?
あの人は味方? 敵? 頼ってもいい人? 離れるべき人?
それに――ここに来るきっかけとなった【絶対防御】の力。あれはいったい何なのか。
私に使いこなせるのか。
使いこなせたら、私はどうなるのか。まさか、戦場に引きずり出されるのか。
そのためにここに連れて来られたのでは――。
「あーもう! ダメだ!!」
癇癪を起こして、起き上がる私。
自分のネガティブ思考が心底嫌になる。
こういうとき、ただ横になっていてもいいことはない。篠崎梓の経験がそう言っている。
「とにかく不安なことが多すぎる。こういうときは――調べ物だ。とにかく身体と頭を動かせ、私。このままだと、また王子やミレーユに心配をかけるだけじゃないの」
頬を軽く張って気合いを入れる。
本当はスマホがあればいいんだけど、中世ヨーロッパ風の異世界にそんなものありはしない。
それに今は、楽な方に流されてはいけないと思った。そうしないと、きっと私はまたネガティブな考えにとらわれ続けてしまう。
カイル王子の言葉を思い出す。
『俺にとって今、最も大事な女性が君なんだ』
「あんな真っ直ぐな人を疑うなんてどうかしてる。カイル王子をがっかりさせないためにも、何かしなきゃ」
私は部屋を見渡した。窓際に書斎机と本棚があり、立派な装丁の本がずらりと並んでいる。
同人活動に手を出していた私は、ファンタジックな見た目の本にテンションが上がった。ウダウダ悩んでいた頭がちょっとリセットされる。やはり本は友達だ。
さて、問題は中身が読めるかどうかだけど――。
「……う、うーん。微妙……」
ずっしり重たい本を一冊手に取り、机の上に広げて私は唸った。
一応、文字は読める。内容もある程度わかる。
たぶん、リュシアの記憶が助けてくれているのだろう。
ただ、スラスラ読めるわけではない。たとえるなら、中学生が難しい専門書に無理やり挑戦しているような、もどかしくて頭が混乱する感じだ。
それでも頑張って読み解いていく。私の中にあるリュシアの記憶や知識とも照らし合わせながら、紙に書き留めた。
そうやって整理した結果、ようやく私は落ち着いてきた。理解するって大事だ。
まあ、別の不安も出てきたけど……。
改めて、私が転生したこの場所は、ヴァルフォート王国の王都リュミエールにある、ブラン離宮だ。
ブラン離宮は、王妃候補や高位貴族の令嬢たちが集められる特別な施設だ。王族の妻や側室としてふさわしい教養を身につけさせると同時に、家同士が女性を使って裏で動くことを防ぐため、重要な女性たちをまとめて管理する場所でもある。
まさに、花嫁修業と監視の場だ。
リュシアの生家・オルティス家は、伯爵という家格で、しかも王都から離れた場所に所領を戴いていながら、王家との関係は良好だ。
それというのも、オルティスの一族は代々、王の後方を守るという役目を仰せつかってきたからだ。
いってみれば、守備の家柄である。
ヴァルフォート王家は、代々戦闘に秀でた能力を持つ。『力の信奉者』と呼ばれる所以だ。
当然、重臣たちも「強さ」に関して並々ならぬこだわりがある。
そんな中、オルティス家はあくまで「守り」に徹することで王家から一定の信頼を得てきたのだ。
王都から離れた場所に領地があるのも、いざというときの防波堤となるため。
そういえば、実家の近くにやたらと頑丈そうな建物があったのを思い出す。あれは確か、万が一のときに王族の皆様をかくまうための施設だったはず。
当代の国王陛下は、「オルティス家には豊かな土地で伸び伸び過ごして欲しい」と仰せだ。どれだけ信頼されているのか、オルティス家。
そりゃあリュシアみたいな良い子が育つわけだよ。理想的じゃない、実家の環境。
裏を返せば、王族周辺はなかなか殺伐としているということだ。
主立った貴族の中には、オルティス家を疎んじている一族もいる。後方にいるばかりの臆病者に大きな顔をされてたまるか、というワケである。
心が狭いなあ。いいじゃない、迷惑をかけてるわけじゃないんだから。
そんなのんびりした日陰者だったはずのオルティス家から、第一王子の許嫁が誕生してしまった。それがリュシア――つまり私である。




