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3話 許嫁の来訪


 耳に心地よい声質に、一瞬、首筋がぞくりとする。

 張りがありながら、どこか柔らかくて優しい――そんな不思議な声だった。こんな声は、私が働いていたオフィスでは聞いたことがない。二次元の世界だけのものだと思っていた。

 こんなの、絶対推しキャラになるやつじゃない。


 声だけで金縛りになってしまった私を気遣い、ミレーユが扉に向かう。そして外の人物と一言、二言会話すると、私を振り返る。


「リュシアお嬢様。ヴァルフォート王家第一王子、カイル・エグゼルディン・ヴァルフォート殿下がお見えになっております」


 仰々しくフルネームで呼んだのは、相手がそれほど大物だからだろう。

 急激に早くなる心臓の鼓動を感じながら、私はやっとの思いで「お通ししてさしあげて」と言った。


 ミレーユが恭しく扉を開け、「どうぞ」と室内に招き入れる。


 その瞬間、私の鼓動はさらに高鳴った。貴人のオーラが、室内に風のように流れ込んできたからだ。

 まだ、顔もまともに見ていないのに気圧される。


 私は気恥ずかしさと臆病心で、相手の足下に視線を落とした。


 ゆっくりとこちらに歩み寄ってくるブーツが見えた。黒革で、膝下までしっかり覆う重厚な作りだ。

 日本ではまず見かけない、本物の軍靴だ。

 靴音もまた、耳に心地よく響く。


 ゆっくりと視線を上げていく。


 仕立ての良いズボンとシャツ。腰に細剣を帯びていることにびっくりする。本物の剣だ。斬ったら血が出るアレだ。

 ヴァルフォート王家の人間なら帯剣はごく普通のことだと、リュシアの記憶が教えてくれる。しかし、実際に目の当たりにすると、これほどまでに威圧感があるものなのかと驚かされる。


 上半身を見ると、思った以上に胸板が厚かった。最初は細身に見えたのに、鍛えるところはしっかり鍛えているらしい。

 それなのに、所作はとても優雅だ。何これ。男の力強さが溢れてるのに、動きが柔らかいなんてこと、あるの?


 ダークネイビーとシャドーグレーに配色されたジャケットは、まるで深い夜闇のよう。

 肩の部分には流麗な刺繍が銀色の糸で縫い付けられている。

 向かい合う双頭の竜が、中央に浮かぶ月輪を守るデザイン。リュシアの記憶が教えてくれる。竜は王家の力と血統の象徴、月輪は民を導く統治者の象徴――つまり、これは王族だけが身につけることを許されたエンブレムなのだ。

 本物の、王族の証。


 ようやく、彼の顔を見上げる。そのときには、もう数歩先まで距離が縮まっていた。


 ある程度覚悟していたのに、息が止まった。

 あまりにも美しすぎて。


 銀の髪。それも月の冷たい光を溶かしたような、青みを含んだ銀色。

 男性とは思えない艶やかな肌。小さく微笑みをたたえた口元。


 そして何より――瞳。

 冴え冴えとしたアイスブルーだった。

 雪解け水のように鋭く澄み切っていながら、同時に、ゆっくり流れる夏の清流のような柔らかさと涼しさがある。


 まるで月のようなひと。

 これが、カイル・エグゼルディン・ヴァルフォート殿下。

 私の――婚約者となる男性。


「よかった。もう起きても平気なのだな。3日も会えず、本当に心配していたんだ。君の元気そうな姿を見ることが出来て、予定を後回しにした甲斐があったよ。会いたかった、リュシア」


 王子様からそんな低く優しげな声をかけられて、私は気を失いそうになった。


 その瞬間、断片的だった記憶が少し蘇る。


 そうだ。私は3日前、カイル王子と王都郊外にある菜園の視察に同行していた。

 オルティス家が運営に関わっているため、私が王子の案内役を務めていたのだ。

 菜園は広いから、デート代わりに散策しようと馬を出して……。


 そこで――刺客に襲われたんだ。


 護衛はもちろんいたけど、見慣れない魔法攻撃で王子は不意を突かれた。

 そのとき、私は【絶対防御】のスキルで王子を守った。

 私の頭に浮かんだ、あの気持ち悪い顔付きの岩は、王子を狙った刺客による魔法だったのだ。


 王子を守った直後に私は意識を失い、そのまま王子の手配でブラン離宮へ運ばれた。

 そして今に至る、と。


 記憶の中では昨日のことみたいだけど……実際はあれから3日が経っていた。


 なんでこんな強烈な記憶を思い出せなかったのだろう。逆に、インパクトが強すぎて脳が忘れようとしたのだろうか。


 ……確かに、アレは忘れた方がよかったかも。


「リュシア?」


 カイル王子に声をかけられ、私はハッと我に返った。いつの間にか、自分の手をじっと見つめて物思いに耽っていたのだ。


「申し訳ありません、カイル様。ご心配をおかけしてしまって。それに、せっかくの散策を台無しにしてしまいました。まさか、あんなことになるなんて」


 私は小さな声で言う。篠崎梓だった頃の性格が出たのか、自信なさげな情けない声だった。我ながら嫌になる。


 カイル王子は優しく語りかけてくれた。


「君が気に病む必要はない。むしろ、命を助けられたのは俺の方だ。君が目覚めたら、礼を言おうと思っていた。ありがとう、リュシア。君のおかげで俺は今、ここにいられる」

「……いえ」

「不安そうな顔をしている。もしかして、君に目覚めた力のことを気にしているのかい?」


 ずばりと言われ、私はぎょっとして顔を上げた。

 カイル王子は真剣な表情だった。


「【絶対防御】――あらゆる脅威を振り払う聖なる奇跡。君の実家、オルティス家で100年ぶりに所持者が現れた希少なスキルだ。我が国にとって、君の力は大きな支えに――」

「なんですか、それ」


 思わず、カイル王子を遮ってしまう。

 自分でもわかるほど、目が据わっていた。篠崎梓の地が出ていた。


「あなたは、私の力だけが目当てなの?」


 口から勝手に、その言葉が出た。

 直後、私は真っ青になって口を押さえた。


(私……なんて失礼なことを。いくら不安だったからって、心配してくれた人に言う台詞じゃないよ)


 しかも、相手はこの国の第一王子。順当にいけばこの国の王となるような偉い人だ。

 そんな人に偉そうに文句を言って……私はいったい、どうなるのだろう。


 焦りと後悔でカイル王子の顔が見られない。


 すると、私の両手が大きくて温かい手に包まれた。


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