2話 リュシアの記憶
私の頭の中に流れ込んできた情報量は多すぎて、まるで映画を観ているような気分だった。
その中身をまとめると、こんな感じだ。
ここは大陸最大の強国、ヴァルフォート王国の王都リュミエール。
私が今いるのは、王城と隣接するブラン離宮だ。王族や貴族たちが通うエルグランディス王立学院にも近い。
リュシア・エヴェリーナ・オルティス――つまり、私は伯爵家の令嬢だ。本来、オルティス伯爵家の領地は王都から遠く、私も実家のオルティス領で暮らしていた。
だが、とある理由でブラン離宮に呼び出された。
その理由とは、『婚約者としての教育と監督』を受けるため。
なんと、私には婚約者がいるのだ。しかも、王族である。
さらに言うと、王子とは数年前からのお付き合い。リュシアの故郷で、王子と一緒に笑顔で土いじりした記憶があるのには驚いた。ゲームなら、最高の親密度だよ。
ブラン離宮は、未来の王妃候補が一時的に暮らしながら花嫁修業をし、見守られる場所らしい。つまり、私は将来の王妃候補に選ばれたということだ。
ヤバいね。本当に。
色んな情報が一気に頭の中へなだれ込んできて疲れたが、ようやく少し実感が湧いてきた。
私は、間違いなく異世界転生したのだ。
頭の中にある情報は、もともとリュシアとして生きていたときの記憶なのだろう。
その証拠に、私をこの世界に呼び寄せたらしい声の主のことは一切思い出せない。
その代わり鮮明に思い出せるのは、実家での幸せな暮らしだ。
リュシアは愛されて育ったようで、外見だけでなく人柄や人望も備えた素晴らしい女性だった。
世話役のミレーユの反応を見ればよくわかる。
あの子は「きっとたくさんの人たちが、お嬢様を愛してくださいます」と言っていた。それは、故郷オルティス領と同じようにこのブラン離宮でもリュシアは愛されると言いたかったのだろう。
リュシアは愛されて当然の存在で、実際に皆から愛され、憧れの的になっていた。
ちなみにリュシアは現在17歳。若い。なんだこのチート。
こんな完璧美少女としてこれから生きてかなきゃいけないの? 喪女だった私が? 嘘でしょ?
漫画やゲームではお約束の、必ず断罪される悪役令嬢じゃなかったのはちょっとホッとしたけど。
記憶をたどる限り、リュシアは本当に善良な人だ。悪役令嬢だけど実は良い子だった、というようなストーリーではなさそう。そういう人生は、読者として楽しむくらいがちょうどいい。
あと、結構大事なポイントだと思うのが――私はちゃんとリュシアとして生きられそうなことだ。
大量の記憶が流れ込んだおかげで、リュシア・エヴェリーナ・オルティスの振る舞いはだいたいこなせる。もちろん、根っこは篠崎梓のままだけれど。
さっき、ミレーユの名前をさらりと答えたり、落ち着いて返事ができたりしたのも、そのおかげ。
本来のリュシアの人格がどうなったかは――あまり深く考えたくない。きっと、リュシアは私と一つになったのだと思う。
そうに決まってる。
だって、お約束でしょう? お約束通りなんだ。きっと。
お約束といえば、この世界にはいわゆる魔法やスキルが存在するらしい。リュシアの記憶によれば、日常的に使われる身近な魔法から、国の存続を左右するほどの強力な魔法まで、さまざまな種類があるようだ。
これを知ったときはワクワク半分、不安半分だった。
魔法は見てみたい。どんなのか楽しみだ。言ってみれば、テーマパークの最新アトラクションに興味が湧くあの感じ。
でも、実際に自分がそれを使うことを考えると、不安しかない。そんなの、面倒のもとになりそうだ。誰の魔法が派手だとか、誰のスキルが珍しいだとか、きっとそういう話になるんだろうな。
そんなので競うのは何かイヤだなあ。
あ、でも寝癖が付かない魔法とか、頭痛が一瞬で治る魔法とか使えると便利かも。
その程度でいいよ。
そういえば、私はどんな魔法が使えるのだろう。どんなスキルが使えるのだろう。
改めて思い出そうと、私は記憶を探った。
すると、ある情景が浮かんできた。
いや――「浮かんできた」というより、強烈なフラッシュバックに近い感覚だった。
リュシアが、婚約者とともに馬で遠乗りに出かけたときの記憶。けど、この記憶だけなぜか、ひどく断片的だ。
いろんなシーンがバラバラに浮かんでくる。肝心の婚約者の顔も曖昧だし。なにこれ。
しかも、どうしてだろう。背中に嫌な汗が浮かぶ。
もう思い出すのはやめようとしたとき、最後に心臓が凍りつくような場面が現れた。
空からでっかい岩が落ちてきたのだ。
しかもただの岩じゃない。何か、気持ち悪い顔がびっしりとくっついていた。
これはよくないものだ。触れたら絶対にヤバい。
私はそう思ったのに、記憶の中のリュシアはなぜか、その岩に向かって両手を掲げた。
防ぐ気なのだ。
直後、パッと真っ白に染まる視界。
記憶の中だからか、音も衝撃も感じない。それが逆に恐ろしかった。
早く、早くこの記憶から離れないと――焦る私に、記憶の中の誰かが叫ぶ。耳に心地よい男性の声。
『君は……【絶対防御】の持ち主だったのか』
絶対、防御?
何それ、どういうこと?
スキルの名前? そのスキルをリュシアが――私が持っているってこと?
そのスキルが、あの恐ろしいものを防いだってこと?
……胸の奥が冷たい。
この不安はいったい何?
この、胸にぽっかり穴が空いたみたいな……どうしてこんなにも悲しくなるの?
私はいったい、どうなって――。
「――お嬢様。リュシアお嬢様!」
「……ッ!?」
ミレーユに声をかけられ、私は我に返った。
見ると、ミレーユが心配そうにハンカチを差し出してきた。
「いかがなされたのですか? すごい汗です」
「……ごめんなさい。ちょっと嫌なことを思い出して」
「もしかして、先日の遠乗りのことですか?」
やっぱり遠乗りの記憶は本当だったのか。しかも先日ってことは……そんなに昔の話じゃないんだ。
なぜかこの記憶だけぼんやりとしか思い出せないけど……確か、ブラン離宮に来る直前だったはず。
ということは、私がここに呼ばれたのは絶対防御のスキルを使ったから?
私の沈黙を別の意味に取ったようで、ミレーユは泣きそうな顔になった。
「やはり、カイル様のおっしゃっていたとおりだったのですね。刺客のせいで、リュシア様は酷い目に。そのときの悪夢が、今もリュシア様のお心をむしばんで……ああ、おいたわしい」
「あなたが泣かないで、ミレーユ。ほら、私は平気だから」
とっさに空元気を装ってしまう。こういうところは、篠崎梓だったころと変わっていない。周囲に気を遣い、つらくても平気なふりをしてしまう。
そうやって貧乏くじを引かされてきたのだ。
笑顔を取り繕いながら、私は不安になってきた。
記憶の中のリュシアは、誰もが認める素晴らしい女性だ。
それなのに、突然中身が私のような、惨めで卑屈な性格になってしまった。
絶対にバレる。
周りから白い目で見られる。
そうなったら、私はまた「イヤだ」と叫ぶのか。
私は疑心暗鬼になり、その不安はメイドのミレーユにも向けられた。
この子は、本当に私のことを心から心配してくれているのだろうか。リュシアを一番近くで見てきたのなら、私の正体にもう気付いているのではないか。
私が本物のリュシアかどうか、こっそり試しているのではないか――。
「お嬢様」
ミレーユが涙を浮かべたまま微笑み、私の腕にそっと手を当てる。
「大丈夫です。ミレーユは、一生、お嬢様のお側におります。ですから、つらいときはおっしゃってください。お嬢様が泣くときは、私も泣きます」
「ミレーユ……」
声が詰まった。
理想の身体や家庭環境を手に入れたのに、私はまた卑屈になろうとしていた。
本当に、自分がイヤになる。
こんな私にもミレーユは真っ直ぐな言葉をかけてくれて……ヤバい。本気で泣きそう。
そのときだった。
客室の扉がノックされた。
「起きているかい、リュシア」
それは、記憶の中で聞いた婚約者の声だった。




