14話 リュシアのやろうとしていること
「ねえ、ミレーユ。さっきの『皆のお手伝いを買って出る』って話だけれど」
「はい」
「『絶対防御の姫君が、あなたの願いを叶えます』と書いた旗を掲げて、依頼者を待つというのはどうかな」
「……はい?」
穏やかな表情のまま、ミレーユが首を傾げた。ピンときていないらしい。
「お嬢様……? それは、例えば市場の野菜売りのように、道端で依頼者を募る――ということでしょうか?」
「ええ。無所属の何でも屋みたいな位置づけかしら。ブラン離宮は広いから、旗を持って廊下を歩くのもいいかもしれないわ」
「え、ええっと。それは」
「恥ずかしいのはわかる。私だって正直恥ずかしい。でも、このやり方が一番、『私らしい』と思うの」
それなりに真面目に考えたアイディアだった。
【絶対防御】は、私が自分の意志で、自分が納得できる使い方をしたい。
たとえ肩書きだけであったとしても、騎士団や魔法師団といった大きな組織に所属してしまったら、行動の自由や私の自由意志は限られてしまうだろう。
転生前みたいに、便利に使い倒されるのはイヤなのだ。
私は、篠崎梓だった学生時代に街頭で募金活動をしたことがある。当時、親戚の男の子が海外で手術を受けるための費用をカンパで集めたのだ。
陰キャな私にも明るく接してくれた年下の男の子のためだったから、私は本当に真剣に取り組んだ。
あのときの緊張感と達成感、誰かの役に立てると思える高揚感は、忘れられない。
こんな私でも、廊下で呼びかけるくらいならできる。辻立ちのように立っていれば、自分の意志で「誰かを救いたい」とはっきり伝えることができる。
他人からすれば、冷ややかに映るかもしれない。
けれど、今の私にとって、自分の意志で人助けをするにはこれが一番良い方法だと思えた。
「私の力を、私を必要としてくれる誰かのために使いたい。その人とは、直接目を見て話したいの」
「お嬢様。それほどのお覚悟があったのですね……」
最初は戸惑っていたミレーユも、私の目を見て本気だと思ってくれたようだ。「わかりました」と笑顔で頷く。
「ミレーユは、お嬢様についていきます! お嬢様のお力になりたいです。どうか、何でも仰ってください!」
「ありがとう。あなたなら、そう言ってくれると思っていた」
心から安堵しながら私は言った。
ふと、ミレーユは眉を下げる。
「ただ、ブラン離宮に暮らす貴族の方が客寄せのように立つことは前例がありませんので、周囲の皆様の目は、しばらく厳しいかもしれません」
「そう、でしょうね。けど、覚悟の上だわ。そうでもしないと、カイルの隣に立つ資格はないと思うの」
「さすが、リュシアお嬢様です」
ミレーユは再び微笑んだ。
「ミレーユにはわかります。たとえ周りからどう思われようと、お嬢様がなそうとしていることは、きっと正しいことなのだと」
「ごめんなさいね、ミレーユ。あなたを無理矢理巻き込んでしまって」
「お嬢様がなさることなら、どこまでも付いていきます!」
胸を叩くメイドに、私は小さく声に出して笑った。
「そうだ。後でカイルに頼んでおかないと。私の行動で、オルティスの実家まで不利益を被らないようにって。エスメラルダ様の話だと、オルティス家は貴族から恨まれている可能性もあるし……」
「そのご心配は無用かと思います」
「どうして?」
「オルティスの一族は、これまで決して驕ることなく、表立った舞台には出ずに王家を陰ながら支え、お守りしてきた存在です。言い換えれば、貴族たちと権力争いをせず、常に裏方として振る舞ってきました」
無用な権力争いに加わらず、僻地で愚直に使命をこなす姿を見せ続けたことで、「オルティス家は脅威ではない」と多くの貴族は考えているはずだ、とミレーユは語った。
オルティス家を表だって毛嫌いしているのは、エスメラルダのようなごく一部の貴族に限るのだそうだ。
(王国に必要だけれど、地味で目立たない存在か。私にぴったりね)
私はベッドから立ち上がった。
今は小さな一歩かもしれない。他人から見れば、奇妙に映るかもしれない。
けれど、私は間違いなく変わろうと動き出している。
変わっていこう。
一歩一歩、積み重ねよう。
心を失わないように。あの人に愛し続けてもらえるように。
「さあ、行きましょう。ミレーユ」
「はい。お供します、リュシアお嬢様!」
目を輝かせるミレーユとともに、私は部屋を出る。
「お嬢様。まずはどちらに向かわれるのですか?」
「絶対防御の姫君として依頼者を募るにしても、手ぶらのままじゃ注目してもらえないわ。だから最初に、目印になるものを自分の手で作ろうと思う」
「お嬢様の肖像画であれば、十分な宣伝になると思いますが」
「ごめんなさい。それはさすがに私が恥ずかしい」
私の足は真っ直ぐ目的地を目指していた。
向かうのは、ブラン離宮内に勤める芸術工房だ。最初に離宮内を散策していたとき、偶然、工房を見つけたのだ。
道順は覚えていた。道に迷わないのは、転生前のリュシアが得意としていたことらしい。
ミレーユと並んで歩いていると、女性が2人やってきた。身なりから、明らかに貴族のお嬢様である。
楽しげに談笑していた彼女らは、私とすれ違うなり、こそこそと陰口を叩き始める。クスクスと忍び笑いが聞こえてきて、私は居心地が悪かった。
けれど、私は動揺を抑え込んだ。
(転生前の私なら耐えられなかっただろうな。きっと居たたまれなくなって逃げ出してた)
やりたいことを自分で決めて、行動するというのは、ここまで気持ちが変わるのかと思った。
ふと、ミレーユが済まなそうに囁く。
「お嬢様、申し訳ありません。きっと、私のような田舎育ちのメイドが一緒に歩いていたからだと思います」
「気にすることはないわ。私だって田舎育ちだもの。それに、私たちには第一王子が付いているのだから」
冗談っぽく言うと、ミレーユは笑った。
いつの間にか、ご令嬢たちの陰口は聞こえなくなっていた。
工房の入口が近づいてくると、雑多な絵の具の香りが漂ってきた。
どうやら、貴族の淑女たちにとって工房は近寄りたくない場所らしい。ドレス姿の女性はひとりも見当たらなかった。
そのためか、私が入口で「すみません」と声をかけると、周囲の職人たちは驚いた様子で私とミレーユを見つめてきた。
ミレーユが口を開こうとするのを、やんわりと制する。用向きを代弁するのはメイドの仕事と言われているけど、ここは自分の口で伝えたい。
「これはお嬢様。このような場所にどのようなご用ですかな。ここはご覧の通り、絵の具と埃にまみれております。あなた様のような美しい淑女がお越しになるようなところではございませんが?」
近くにいた初老の男性が話しかけてきた。
丁寧な言葉遣いながら、口調に棘がある。きっと、他の貴族令嬢から『絵の具臭い』だの『埃まみれ』だのと揶揄されてきたのだろう。
他の職人たちも、どこか鬱陶しそうな雰囲気がある。
私は小さく深呼吸した。
そして、職人たちが注目する中、彼らにカーテシ―で挨拶をした。
「ごきげんよう。私はリュシア・エヴェリーナ・オルティスといいます。創作活動中、失礼します。今日は、皆さんにお願いがあって伺いました」
「お願い? 自画像の依頼なら、別室のギャラリーで――」
「いえ。筆と布をお借りしようと思いまして」
は?と初老職人がぽかんとする。
私はにっこりと微笑みを返した。
初対面の相手には第一印象を大切にすること――転生前にはなかなかできなかった、円滑なコミュニケーションを今回ようやく実践できた気がした。




