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12話 私のカイル


 カイル王子は少し目を見開いた後、ゆっくりと微笑んだ。そして、テーブルの上に置かれた私の手を、両手で包み込んだ。

 私の心が満たされる。ああ、彼の笑顔も、この手のぬくもりも、今は私だけに与えられたものなんだ。

 なくしたくない。


 けれど、何もしなければきっと失われてしまう。そんな予感があった。


「カイル様。ひとつ、伺ってもよろしいですか」

「なんだ?」

「もし、私が【絶対防御】の力を使いこなせなかったり、力そのものを失ったりすれば……私は王都にいられなくなるのではないでしょうか」


 カイル王子が一瞬だけ、口を真一文字に結んだ。


「その心配はない」

「本当に? 私はカイル様のそばにいたい。だからこそ足枷にはなりたくありません。本当のことを教えてください」

「……そういうところは強情だな」


 ふっ、とカイル王子が表情を緩める。

 それから、彼は居住まいを正した。


「【絶対防御】は伝承にも登場するほど希少な能力だ。その力を持ちながら使うことを拒み続ければ、リュシアや君の家族の立場が悪くなるかもしれない。最悪の場合、王家の方針に逆らったとして、ブラン離宮から退去を命じられることもありうる。エスメラルダ嬢の言葉には、一部真実が含まれている」

「でしたら」

「リュシア。先ほども言ったように、俺が君を守る。それに【絶対防御】の副作用は、徐々に進行すると聞いている。今はまだ初期症状のはずだ。対処できる方法もきっとある。だから、君は心配しなくていい。俺のそばにいてくれるだけでいいんだ」

「カイル様」

「リュシアがここを去ることなど、正直考えたくない。自分でも立ち直れるかわからん」


 ふと、カイル王子がぽつりと弱音をこぼした。

 大型犬が落ち込んだような姿に、私は心臓が高鳴る。

 私は前のめりになりながら言った。


「それでは、私が満足できません。私は胸を張ってカイル様を愛し、そして、愛されたいのです」


 胸に手を当て、きっぱりと言う。


「私は【絶対防御】の力を使いこなしてみせます。そして、いずれはエスメラルダ様にも認めていただきます」

「お嬢様。それほどの決意でカイル殿下を……さすがでございます」


 ミレーユが感動したように胸に手を当てる。

 可愛いメイドの仕草に、私は目を細める。


 ミレーユが思うほど、立派な志じゃない。

 私は、新しく手に入れたこの人生を、きちんと納得してまっとうしたいだけ。

 篠崎梓だった頃には手に入らなかった美貌や地位、そして愛も、何もしなければきっとすべて失ってしまう。エスメラルダとのやり取りを通じて、そう実感した。


 転生前の日々を思い出す。


 篠崎梓だった頃の私は、自分の意見を言えずに何度も嫌な思いをしてきた。

 後輩に仕事を押しつけられたこと。

 付き合ってきた男性にことごとく裏切られたこと。

 周囲とぶつかりたくない、目立ちたくないと思うあまり、悪いことが起こるといつも自分を責めてきた。


 もっとはっきりと「嫌だ」と言えていれば、もっとはっきり自分の思いを表に出していれば、きっと梓の人生は違っていたはず。


 だから、リュシア・エヴェリーナ・オルティスとしての人生は間違えたくない。

 もう転生時のように、「嫌だ」と叫びたくないのだ。


 きちんと自分の人生に胸を張りたい。納得して、安心して、人生を送りたい。


 そのためには、【絶対防御】のコントロール方法を必ず身につけないと。

 きっと大丈夫。

 カイル王子を助けたときも、エスメラルダの魔法を弾き返したときも、私は感情を失わずに済んだ。

 それなら、きっと方法があるはず。

 むしろ、この世界で【絶対防御】をまったく使わずに過ごす方が危険だとさえ思う。

 かつて弱かった篠崎梓としての勘が、そう言っている。


 ふと、温かい感触が肩に触れた。カイル王子が立ち上がり、私に手を添えたのだ。


「その心の強さも、リュシアらしい。武力でも魔法力でもない、心の強さこそ、俺はこの先の我が国に必要な力だ。そう思えるようになったのは、君のおかげだ。俺は君が婚約者であることが誇らしい」


 優しい目だ。私を本当に信じてくれているのがわかる。


 そうか。これがカイル王子が望む私の姿なんだ。

 私が目指しているものが、カイル王子の期待と同じであるなら。


 この期待と信頼に応えたい。


 私は、自分の意識改革を決意した。


 いつまでも弱気じゃだめ。

 ときには強気に。これからは自分の気持ちや要求はきちんと口にしよう。

 理不尽にはきちんと反抗しよう。

 自分の姿に、力に、自信を持とう。


 きっとそれが、私が望んだ、私が納得できる生き方への近道だ。


「カイル様のそばにいるためなら、私はどんなことだっていたします。あなたが望むのなら、【絶対防御】の力で皆を守りましょう」


 カイル王子の手に自分の手を重ね、私は言った。

 直後、私は赤面する。

 首を傾げたカイル王子とミレーユの前で、私は思い切って、「して欲しいこと」を伝えた。


「そ、その代わり――カイル(・・・)が私を毎日抱きしめて! あなたがそばにいれば、私は戻ってこられるから!」


 ほとんど叫ぶように宣言する。


 これまで【絶対防御】を使っても、カイル王子に抱きしめられたら感情が戻ってきた。

 これから安心して力を使っていくために、カイル王子には毎日、私を抱きしめて欲しい。私が私でいられると安心させて欲しい。


 でも、いざ言葉にするとやっぱり恥ずかしい……!

 こんな大胆な台詞、梓だったときもリュシアだったときも言ったことないよ。

 恥ずかしさを誤魔化すように、手でぱたぱたと頬を仰ぐ。


 そのときになって気付いた。ミレーユとカイル王子が、ふたりとも目を丸くして驚いている。

 特にカイル王子のこんな顔は本当にレアだ。


 ……やっぱり、「毎日抱きしめて!」はダメだったのだろうか。


「お嬢様、なんて大胆な……」

「そうよね、ミレーユ。けれど、これは私の本心で――」

「なんということでしょう。まさかお嬢様が、殿下を呼び捨てにするほど親しくなられていたなんて! ああ、ミレーユはとても感慨深いです!」

「……ん?」


 カイル王子を呼び捨て? 私が?

 記憶を探る。

 ……言った。確かに言っちゃった!

 な、なんてこと。「毎日抱きしめて」より断然不敬じゃないの!


「カイル様、申し訳ありません! 興奮してしまい、つい無礼を」


 急いで頭を下げる。

 それから恐る恐るカイル王子の顔を見上げた。

 私の後ろに立った彼は、片手で口を覆いながら、視線を逸らしていた。その顔は少しだけ赤くなっている。

 ここでその表情は反則だと思った。


「何を謝ることがある。むしろ謝られると悲しくなるぞ。俺は……嬉しかったのに」

「え?」


 冷や汗を流す私を、カイル王子は後ろから柔らかく抱きしめた。


「ふたりきりのときは、呼び捨てで構わない。俺のリュシア」

「……!!」


 耳元で囁かれた言葉は熱を持って、でもどこか嬉しそうで。

 私も嬉しくなって、でもその感情をうまく言葉にすることができなくて。

 彼の愛があれば、私は【絶対防御】の副作用にもきっと負けないと思えた。


 彼に身を委ねながら、私は心の中で告げる。


 ――わかったわ、私のカイル。


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