10話 【絶対防御】の副作用
悔しそうに肩を震わせるエスメラルダを尻目に、カイル王子は私を慰めるように言った。
「エスメラルダ嬢の言葉は気にしなくていい。君は俺の婚約者に相応しい。たとえ異を唱える者がいたとしても、俺が直々に説き伏せる。だから安心してくれ、リュシア」
「はい。ありがとうございます。殿下」
「そんな他人行儀でなくてよいのだがな。それから、リュシアの従者――確かミレーユといったな」
「は、はい!」
「権力を持つ者にも怖れず主人を庇う姿勢、見事だった。君もまた、リュシアの従者としてこの離宮にふさわしい」
「あ、ありがとうございますっ」
ミレーユの声が上擦る。緊張しているのが丸わかりだった。
やはりミレーユは可愛い。笑い声が漏れそうになって、私は思わず口元に手をやった。
(あれ……?)
そこで気付く。
私の表情が、ほとんど変化していないことに。
そのとき、ふとエスメラルダと目が合った。
カイル王子に厳しい言葉をかけられて沈んでいた彼女の顔に、再び、怒りの感情が宿る。
もういい加減にして欲しいと私が思ったとき、エスメラルダは声を上げた。
「カイル殿下。お待ちください」
「まだ何かあるのか、エスメラルダ嬢」
「改めてお伝えします。どうか目を覚ましてください、カイル殿下」
「またそれか。何度も言わせないでくれ。リュシアは俺の――」
「その女は、カイル殿下を愛してなどおりません!」
私に指を突きつけ、エスメラルダは叫ぶ。
カイル王子の身体に力が入るのがわかった。さっきよりもずっと低い声で呟く。
「それ以上言うなら、侮辱と見なすぞ」
「私は真実を話しています。その証拠に、リュシア・エヴェリーナ・オルティスの表情をご覧ください。思い人である殿下に抱擁されているというのに、表情ひとつ変えない。これは、彼女に愛する心が欠けている証ですわ!」
思わぬタイミングで糾弾され、私は狼狽えた。
同時に、さっき感じた違和感の正体に気付く。
私、王子に抱きしめられているシチュエーションなのに、ドキドキしていない?
初めて彼と出会ったときには、あんなに心動かされたのに。
幸せに微笑むことも、顔が赤らんでいることもない。
まるで、感情のない人形のように。
カイル王子を嫌いなわけではない。むしろ、これほど心惹かれる異性には初めて出会った。
なのに、どうして。
「カイル王子は、【絶対防御】の副作用についてご存じですか?」
「副作用だと?」
「我がデュラン家は王家とともに国内を治めることを宿命づけられた一族。王国に伝わる希少な力に関して、多くの情報を耳にしております」
雷魔法のしびれが抜けてきたエスメラルダは、ゆっくりと立ち上がる。
私は息を呑んでエスメラルダの言葉に耳を傾けていた。
【絶対防御】の副作用――それは、私が今一番知りたい情報だからだ。
「伝承では、【絶対防御】の遣い手は無敵の防御力を得る代償に、徐々に人の心を失っていくのですわ」
「その伝承なら、俺も耳にしている」
「口惜しいですが、私の『紫電の薔薇』は完全に防がれました。それは【絶対防御】の力で間違いないでしょう。しかし、代償としてその女は感情が欠けてしまったのです。現に今このときも、顔色ひとつ変えないではないですか」
エスメラルダに指摘され、私は口元を覆った。
(徐々に人の心を失うって、どういうこと? 【絶対防御】の力を使ったから、私は王子に抱きしめられても、前みたいにドキドキしない……? そんな、嘘でしょ?)
混乱する私を見て、エスメラルダは笑った。
「心を失うという欠陥を持ったその女を、庇う必要がどこにあるのです? 何も感じず、誰も愛せず、だから誰にも愛されないような彼女を、殿下のお側に置く意味があるのですか?」
エスメラルダの一言一言が刺さる。
誰も愛せない?
誰にも愛されない?
また、あの喪女だった私に逆戻りするの?
「……それは、嫌」
私は小さく呟いた。エスメラルダは勝ち誇ったように声を上げる。
「さあ殿下! 今こそご決断を。リュシア・エヴェリーナ・オルティスを離宮から追放し、あるべき秩序を取り戻しましょう」
「断る」
「え……?」
「聞こえなかったか? 断ると言ったのだ。お前の好きにはさせない。エスメラルダ・ローヴェル・デュラン」
カイル王子は小揺るぎもしなかった。私から離れるどころか、さらに強く抱きしめてくれる。
動揺するばかりの私と比べて、心も何て強い人だろう。
顔を歪めるエスメラルダ。
カイル王子は力強く言った。
「リュシアの心は失わせない。仮に失われたとしても、俺が必ず取り戻す」
「カイル王子」
私は呟いた。そのときはっきりと、心臓が早鐘を打つのがわかった。
王子の言葉を、私はちゃんと嬉しいと感じている。それを知って、泣きそうなほどホッとした。頬に手をやると、ちゃんと涙も流れていた。
泣きたいときに泣けることが、こんなにも素晴らしいことだと私は気付いた。
カイル王子の指先が、私の目尻を拭う。
「今は泣くといい。君の心が確かに残っているという証なのだから」
「はい……。ありがとうございます、カイル王子」
「君は俺の婚約者だ。『カイル王子』なんて他人行儀な呼び方は、そろそろやめてほしいな」
「では、カイル様?」
「ふっ。まあいいだろう」
歩けるか、とカイル王子が尋ねてくる。私は頷いた。
ちらりと後ろを振り返る。
そこには、歯ぎしりしたまま私を睨み続けるエスメラルダが立っていた。
彼女は何かを叫ぼうと口を開いたが、プライドの高さのためかぎりぎりで自制していた。
やがて彼女は勢いよく踵を返すと、背筋を伸ばし、精一杯の虚勢を振りまいて歩き去っていった。
置き去りにされた取り巻き令嬢たちは、困惑と失望の顔を浮かべながら、エスメラルダの後を追った。
「エスメラルダ嬢のことは気にするな、リュシア」
私に寄り添いながらカイル王子が言った。
「彼女の生家であるデュラン家は、我が国で最も好戦的な一族のひとつだ。人には役割というものがある。自らの考え方を絶対とし、他者にそれを押しつけるのは間違っていると俺は思っている」
「しかし、カイル様。デュラン家のご令嬢にあのような態度を取られたとあっては、後々、ご自身の立場が悪くなるのでは……」
「構わないさ。言わせておけばいい。俺は、今一番大事なものを選んだだけだ」
これが、将来国を治める人の器の大きさ……。
甘えていいのだろうか。
私のような喪女が、この人の強さと優しさに。
「……」
そっと、カイル王子に身を預ける。
すると、王子はその大きな手で私の肩を抱いた。まるで「遠慮するな。俺はすべて受け止める」と無言で伝えてくるように。
今度はちゃんと胸が高鳴って、私は小さく微笑んだ。




