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1話 美人になってしまった


 冷たい雨に打たれてずぶ濡れになりながら、私――篠崎(しのざき)(あずさ)は路上で叫んだ。


「こんなモテない姿も、こんな惨めな人生も、もうイヤだーっ!」


「だー」を息の続く限り長く叫ぶ。

 酸欠になりそうな頭に、最近の出来事が次々とフラッシュバックした。


 私が自己主張できなかったせいで、可愛いだけが取り柄の後輩に失敗を押し付けられてしまった。

 それ、私がやったんじゃない!


 同僚の女の子たちとランチしてたら、私の愚痴が地雷だったのか、同僚たちはそそくさと席を立った。

 ちょっと、あんたたちも同じこと愚痴ってたでしょ!?


 極めつけは、ほんの数分前に彼氏に振られたことだ。

「俺は理想の恋を見つけたんだ」って何だよキモ! あんた自分の顔面を鏡で見た!? 私と良い勝負だろこんちくしょう!


「イヤだーっ!!」


 もう一度、心のままに叫ぶ。たぶん、生まれて初めて感情をさらけ出した。それだけ、私の人生は我慢の連続だったのだ。


 同時に、「ああ終わった」と思う。こんな道のど真ん中で、雨に濡れながら叫んでいる三十代の独身女性なんて、もう終わってるよね。絶対誰か撮ってる。あーあ。


 はは、もうどうにでもなれ。


【――見つけた。この者にしよう】


「イ・ヤ・だ――……へっ?」


 ヤケクソでもう一度叫びかけたとき、私は変な声を聞いた。いや、直接頭の中に響いたのだ。


 直後、浮遊感を覚えた。

 足元に、突然ぽっかりと穴が空いた。


 ジェットコースターが頂上から一気に滑り降りるときのような、頭が真っ白になる感覚。内臓がふわりと浮くような、あの感じ。


 悲鳴も上げられない。


「あ、死んだ」と頭の中で思った。


 目の前が一瞬で真っ暗になって――。


 ハッと気がついたとき、私は――もう私ではなくなっていた(・・・・・・・・・・)


「お嬢様?」


 声をかけられ、振り返る。

 そこにいたのは、そばかすが可愛らしい小柄なメイドさん。たぶん、まだ高校生になったばかりくらいだろう。丁寧に切りそろえたボブカットの髪も可愛らしい。


 最近の女子高生はすごい。こんな大人しくて真面目そうな子でも、ライトブラウンに髪を染めたり、きれいな緑色のカラコンをつけたりするんだ。

 まるで本物みたいなコスプレだ。私をお嬢様って呼ぶくらいだし。ははは、冗談きついなあ。

 

 コスプレ、だよね?


 え、あれ? もしかして……全部、本物?


「あの、お嬢様?」


 メイドちゃんが心配そうに小首を傾げた。その仕草も愛らしい。私もああいう子に生まれたかった。


 ――で?

 ここはどこ?


 まるでテーマパークのホテルのように豪華な部屋だ。暖炉まである。ミニチュアのように細かく凝った装飾が施されている。


 1泊ウン万円するんだろうなあ――なんてぼんやり考えながら、正面を見る。


 そこで思考停止した。


 目の前には大きな姿見。

 そこに、見たこともない美女が映っていた。


 肌は淡く透き通るようなピンクベージュ。唇は何も塗っていないのにほんのりと桜色だ。

 まるで化粧品の宣伝ポスターに描かれたような、完璧に整った顔の造形である。


 長く真っ直ぐに伸びる髪は、撫子(なでしこ)色。さらさらと滑る絹糸のようで、窓からの光を受けて光っている。髪って、こんなに輝くの?


「……え? これ、私……?」


 思わず呟いた声も、どこか鈴のように軽やかだった。


 さらに訳がわからないのは――私の服。びしょ濡れのよれよれスーツではない。

 柔らかな生成(きな)り色のシフォンブラウスに、胸元には繊細な銀糸の刺繍が施されている。細身に仕立てられたコルセット風のビスチェがウエストを優しく包み、スカートはラベンダーグレーで緩やかに広がっている。

 昔、乙女ゲームで無駄に詳しくなったファンタジー知識が鮮やかに蘇る。


 この服、可愛い。可愛すぎる。肌触りも極上。ひと目で超高級品だとわかる。


 右手で自分の頬を撫でる。姿見の中の美人も、まったく同じ動作をした。


 訳がわからない。

 こんな――美人だけが許される衣装を、完璧に着こなしている美人が、私だなんて。

 現実感が、ない。


 立ち尽くしたまま激しく混乱する私。

 鏡に映る身体は、私の理想を遙かに超えていた。

 だからこそ私は、怖くなった。


 私が望んでいたのは、心地よいリアリティであって、こんな……美人の宿命から逃れられないようなリアルではないのだ。


「私、こんな美人じゃないよ」

「お嬢様は最高に美しいお人です! きっとたくさんの人たちが、お嬢様を愛してくださいます!! 私みたいに!!」


 私のつぶやきに、そばかすメイドちゃんが大声で反論した。びっくりして振り返ると、彼女は真っ赤になって畏まっている。


「も、申し訳ありません、お嬢様。興奮してしまいました……けど! 私の本心です!」

「あ、ありがとう」


 咄嗟にそう返事をしたけれど、私の気持ちは落ち着かなかった。

 この髪、この顔、この服。全部が、今の私なんだって突きつけられたみたい。私自身、この身体を持て余しているのに。

 それどころか、たくさんの人から愛されるなんて……。たしかに、この顔なら愛されるのは当然かもしれないけど、それって本当に「私」だと言えるの?


 意識と現実のギャップが、怖い。


 いったい、どうしてこんなことに――。

 そうだ、声。

 この姿になる直前、変な声を聞いたんだ。


 確か、『見つけたぞ』とか何とか――。


「……っ!?」


 声のことを考えた瞬間、ひどい頭痛がした。


 様々な情報が、猛烈な勢いで頭の中に流れ込んでくる。

 思わず額を押さえ、私はその場にへたり込んだ。「お嬢様!?」とそばかすメイドちゃんが駆け寄ってくる。


「お嬢様!? お嬢様! どうかお気を確かに! ああ、どうしましょう。どなたか、お医者様……!」

「……大丈夫。ちょっと立ちくらみがしただけだから。心配しないで、ミレーユ(・・・・)


 私はメイド少女の名前をさらりと口にした。そして、涙を浮かべる彼女の目元に、私は自分のハンカチを当てて涙を拭う。

 特に意識せず、自然にできた思いやりだった。そういえば、会社員時代は毎日がいっぱいいっぱいで、こんなさりげない気配りをする余裕なんてなかった。


 ミレーユはホッとして息を吐き、それから柔らかく微笑んだ。


「やはりお嬢様は最高にお美しくて、お優しい方です。ミレーユは、お嬢様にお仕えできて本当に幸せです」

「ありがとう」


 先ほどよりも滑らかに感謝の言葉が言えた。


 だいぶ気持ちが落ち着いている。


 なぜなら、私は思い出した(・・・・・)からだ。思い出して、理解した(・・・・)からだ。


 私は、オルティス伯爵の娘――リュシア・エヴェリーナ・オルティスであることを。

 

 そしてここは日本ではなく、まったくの異世界であることを。


 モテなくて、惨めだった会社員・篠崎梓だった頃とは正反対の人生を手に入れた――いや、突きつけられたと言った方が正しいかもしれない。昔の自分を無理やり塗り替えられたのだと、私は知った。


 どうやら人間は頭がパンクすると、逆に落ち着くらしい。


 どうしよう。

 美人になってしまった。

 さすがにこの状況は――イヤとは言えない。


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