36:ラオメイを発つ
ー北の双子の手記ー
春の国・ラオメイの国内騒動、鎮静完了。
国内政治は再編成。
国政は王族の血を引くハオラウ・リーが継続、市政は平民代表者が物申す土台がつくられた。
上記、春龍様の雷の下に行われた約束であるため、破られることはないと考えられる。
元罪人のメイシャオ・リーは、記憶を捧げ、妖精女王タウリィアとして活動中。緑妖精を増やしている。
春龍様はたまに春雷を轟かせるなど、じつに元気にしていらっしゃる。
来年の春まで休めば、かなりの回復が見込めそうだ。
ラオメイの国内騒動についての覚書きを記す。
ここは、貧しくなりながらも改善の余地をみつけようとしなかった辺境の老国。
春の恵みが減り。民の食いぶちが減り。それでも国王は緑色の爪を誇るばかりだった。
わが国も他人事などではなかっただろう、と記したい。
最悪の事態はこうだ。
国力がすり減り生活の貧しさに耐えられなくなり、いつまでも姿を見せてくれぬフェンリル様を疑い恨み、なぜ豊かな冬をくださらないのかと、もう自分たちだけで生きてやろうと、暴動が起こるのかもしれない。他ならぬ、四季の魔法の寵愛をいただく民が、反旗をひるがえす。
この場合、フェンリル様がいるということこそ、責めるための旗印になってしまう。
あってはならないことである。
だから目を逸らせということでは断じてない。
起こりうるからこそ、起こらないように対策するのが、国政であると心得たい。
フェルスノゥの王族の一端として。
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「……言い過ぎかな? メロニェース」
「これくらいで怒るなら、怒られたらいいよ。ジェニース」
「そうだね。まだ幼い王子たちだからこそ許されるギリギリをめざそう」
「これを読んだ時のお兄様とお姉様の反応、とっても楽しみ」
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さて、春の国の滞在ももうわずか。
フェンリル様とエル様は、春の山々を駆け回っては桃の花びらをたくさんくっつけて戻っていらっしゃる。おさんぽデート、などと言っていらっしゃるが、季節の温度を調整するという意味もある。
春の温度が徐々にあたたかくなり、冷やす必要がなくなってきたとのこと。
であればラオメイを去るころである。
滞在し続けてしまえば、それはそれで季節のバランスが崩れるかもしれない。
かもしれない、に対策してゆくのが、国政でありなおかつ冬姫エル様の働き方の方針。
この意思が揃っていることは、世界の幸福であると言えよう──。
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ある日、ラオメイ。
双子がふところに手を伸ばして手帳をとるよりも早く、その人はやってきた。
必死に頭を回して記憶しようとした。
ラオメイ宮殿の近く、ロープウェーのあたりが<尋常ではなかったのだ。こんなことがあっていいのだろうか、と誰もが判断するだろう。フェルスノゥ特有の感性などではないと断言する>……と、のちに書き殴ることになる。
<断言>をわりと使うところに幼さが現れているわね、とのちのミシェーラは語るのだった。
ロープウェーの籠は、外部からラオメイに向かって動いている。
春のラオメイの中において、見慣れない色彩がそこにあった。
はっきりとしたイエローブロンドだ。
イエローブロンドの髪を春風に遊ばせている人が、数名。旅の一団にしては服装が上流である。
まるで「ひまわりみたい……」とエルが呟いたほど目立つ。
籠がぶじに運ばれると、まっさきに、もっとも高貴そうな服装の若者が降りてきた。
春だというのにどこか日焼けしたような肌の、快活な青年。
ウルトラマリンの瞳がらんらんと見開かれている。ニッカリと笑う口元の白い歯がまぶしい。
まるで演じるように手を広げた。
「夏の島:ホヌ・マナマリエからやってまいりました。私は王子などやっております! 皆様どうかお見知り置きを! ホヌ・マナマリエに興味を持っていただけましたか? それはそれは、ありがとうございます! どうかお見知り置きを!」
ここだけ夏の太陽が輝いているかのようだ。
言葉遣いが変則的であるようにエルには聞こえていた。おそらく、ホヌ・マナマリエの国語があるのにラオメイ語を使用したため? とアタリをつける。
それにしても懐っこく、心の距離を縮めてくるような声である。
「あ。ここで夏の魔力を使ったりはできないから、安心してくださいね!」
などと、細やかな気配りもしてみせる。
エルは元営業もやらされていた身として、感心した。
(……それはそうとして〜。来訪の約束はしてたのかな? いきなり冬の四季獣フェンリルたちが、よその国の人に会っちゃうなんてさ……ハオラウ王子からすれば面白くないんじゃない? って思うんだけども……)
エルはフェンリルの袖をくいっと引いた。
そうしないと、人間同士の外交についてすっかりと忘れてしまっているフェンリルは、そのまま挨拶を返してしまいそうだったからだ。顔を見つめて頭をフリフリと横に振って見せたら、ニコリとしたフェンリルに頭を撫でられてしまった。エルは獣耳を恥ずかしげに伏せる。
ドガドガとおかしな足音が聞こえたので振り返ってみれば、宮殿からハオラウ・リー王子が、大股で歩いてきている。鬼の形相であった。
(あちゃー)
……夏と、春の王子は、非常に相性が悪そうだ。
春の国を訪れてもよいと、近隣の小集落にようやく声明を出したばかりである。
そこをたくみに利用して、ラオメイの近くまでやってきていた夏の王子が、いそいそ乗り込んできたというわけであった。
やっと人を受け入れ始めたばかりのラオメイの門番では、これをどう処理するべきかなどと頭が回らなかったのだ。
「──ようこそお越しくださいました。思ってもない急な来訪でお構いなど出来ませんが、ご用件は?」
「ああ、お許しくださいハオラウ王子! 素晴らしい春が訪れたことをどうしてもお祝い申し上げたくて、こちらに足を運びました。のちに我が国の特産品なども送らせていただきますよ」
(歓迎するつもりはないぞ、ってのと、まあ許してよって言葉巧みに要求しつつも自国をアピールしている……くせものしかいないの?)
空気をピリピリさせてたまるものか、とエルは思う。
桃の花祭りはまだ継続中なのだから。
春風たなびくこの谷に、ケンカはもう似合わない。
エルは間に割って入った。
(あー、夏の王子の後方でハラハラしていた秘書の方々が絶望顔になってしまっている……。あの、私、怒っていませんのでね?)
とにっこりしておいたら、気の毒なほど震えさせてしまった。どうしようもない。
(四季獣の冬姫が何やらかしてもビビっちゃうみたい。早く済ませよう)
「はいここまでです。お互いに周りが見ていることを意識して話していただけますと。周りって、きっとどこかで春龍様も見ていらっしゃるでしょうから」
エルの言葉は、ハオラウにはラオメイ語に、夏の王子にはホヌ・マナマリエ語に聞こえていた。
ともに完璧な発音をもって、少々古めかしくもあり、郷土心にすんなりとなじむ。
その点に注目して、夏の王子はすぐさま話しかけようとした。いつもの諸外国向けの社交術として。
だって、エルは見るからに社交的な価値観を身につけている”社会人”寄りの女性で、わかりあうことができるのではないかと錯覚させるような外見をしているからだ。声が優しくなじむのがまた、いい。
けれどエルは背中を向けてしまった。
フェンリルの方にすぐさま寄っていく。
対して、フェンリルの印象はというと、氷の芸術という表現が正しい。とぎすまされたバランスの良い顔に、銀細工を色付けしたような髪、立派な獣耳。わずかににらみを利かせてみせれば、世界に背くかのような感覚を与えられる。
夏の王子の喉が凍りついたかのようだった。
ハオラウは(どうやら思い知ったようだな)と溜飲が下がったのであった。
エルが話しかけると、フェンリルはふわりと微笑みやわらかい雰囲気になる。
ここでようやく、夏の一団はハオラウと話し合う雰囲気になった。フェンリルの守る冬姫様に近寄るべからず、と理解したのだ。
そして北の双子たちは、後学のため学ばせてください♡と手帳を取り出したのであった(高速筆記)。
調整がおわり、夏の国からハオラウに、そしてフェンリルに、手紙が渡された。
フェンリルはエルに尋ねた。
「夏の島に来てほしいという内容だそうだ。ハネムーンを続けたいだろうか? エルの気持ちは?」
エルがまっすぐに答える。
「行ってみたい」
その言葉は無理をしていないだろうか? 遠慮していないだろうか? 我慢していないだろうか? フェンリルはもちろん考える。すべての可能性を。愛娘であり愛し子が、これからも傷つかないように。
そして知ったのだ。
エルが、自分の思うままを、素直にフェンリルに伝えることができているのだと。
おそらく自信がついたのだろう。
いい目をしている。
本心をわざわざ問わなくても、発した言葉をそのまま信じてやれる。
それを託されているのは自分であるということも、フェンリルには嬉しかった。
(ともに歩んでいこう)
「それでは。夏の国まで行こうか」
「はい!」
「敬語はなしで」
「あ。うんっ」
──夏亀に会いに。そしてハネムーンのために。




