35:ラオメイの書
(ハオラウ視点)
”緑の国ラオメイの旧・宮殿が雷に打たれて壊れ、そののちに改築が始まった──。木造りの壁が敷き詰められていた旧構造から、風通しのよい広い廊下へ。風水的にもよいことだと民間からの知恵が後押しになった。廊下の曲がり角はなめらかな流線的なっており、春龍様のからだを表現している。曲がっているゆえに余ったスペースには砂を敷き、そこでは珍しい外来種の植物を育てている。種が外に飛ばないように閉鎖空間で。このようにするアイデアはエル様が授けてくれた。このたびの出来事に関わったあらゆる人の知恵を集めて、ラオメイの宮殿は生まれ変わる──。”
「……ああ、指が疲れた」
ずっと動かしていた筆を置いて、外を眺める。
部屋の戸は開け放たれていて、春風がさわやかに吹き込んでくる。
この頃は、遊ぶようにつむじをまく風がよく入ってくる。やわらかい花の匂いがするから、おそらく緑妖精のささやかなイタズラなのだろう。
飛ばされそうだった紙を押さえて、だらりと座椅子の背もたれに体重を預けた。
ラクな格好をしている。
王子として表舞台・裏舞台どちらもで働いていた頃には、一度も袖を通さなかった軽やかなラオメイ織りの着物。一枚の大きな布をちょうどよく縫い合わせて、ゆったりとはおり腰を帯紐で締めているだけ。
ふと、足音。
「ばあ!」
「……タウリィア様」
「あら。タウが来たというのに姿勢を直そうともしないのぉ? これまでは飛び起きてピシッとしていたのに、それを期待していたのにぃ〜」
「さすがに毎日ともなれば慣れました」
一人になれやしない。
けれど、一人にならなくてもいい、とも言える。
「あなたは今、なにを書いているの?」
「ここ最近のラオメイの様子です。やっとここまで来たところ」
「それはよかったわねぇ」
「ああ……歴史をまとめるのには、14日かかったからな……」
王族しか入れなかった鍛錬場の壁の歴史書。
あそこの一部が、先日の大雷で一部腐食しているのが見つかった。
王は泡を吹いて寝込み、対応できる王族はもう僕しかいなかった。その僕もあわてていて、早く樹木の壁を作り歴史を刻み直そう、と元どおりにすることしか思い浮かばなかったのだが……。「このさい紙に書きなおしたらどうでしょう? 春龍様は書物も好きですよ」というエル様の言葉で、僕が書き写すことが決まった。
もともと真似ることは得意だ。
勉強も得意だから、ラオメイのおおよその歴史については記憶している。
歴史の表現方法を真似て、歴代王族の筆跡を真似て、鍛錬場の歴史を”写す”という作業が始まった。
それがここしばらくの僕の生活だ。
もう20日くらい、鍛錬場に行って、自室に戻って、ということを繰り返している。
エル様は「バックアップは必要です。原典にはかけがえのない価値があり、複製には意志を継ごうとする価値がある。それでいかがでしょう?」とおっしゃった。事務の経験があるそうだ。あの方は一体何者なのだろうか。フェンリル族の後継者様だ、わかっているとも。それ以上は神秘の領域だと。
「無口になっちゃって。かまってちょうだいな」
「暇になったというのか……よし。では何をしてほしい?」
「考えてちょうだいな!」
ひく、と僕の口の端が引きつった。
面倒くさい!
……けれどタウリィアは春の妖精女王様だ。ないがしろにはできない。
……いいことを思いついた。
緑魔法を使い、手持ちの種を芽吹かせて(王族は伝統的な種を携帯しているものだ)、このたびは獣耳の生えた木人形を作る。表面は白銀色だ。
「まあ。エル様とフェンリル様ねぇ。春色ではないのねぇ?」
「それは、ほら」
もう一つ。桃色の木人形を追加した。
ぱああっと彼女の表情が明るくなる。
「タウだわぁ!」
「そう。これで、最近どのように遊んでいたのか僕に教えてくれませんか?」
「お人形遊びなんて久しぶりよぉ。よーしやりましょう」
どきっとする。
幼い頃、タウ──いや、末姫メイシャオ・リーが好きだったのが人形遊びだったはずだ。
付き合ってあげた記憶なんてない。けれど彼女がそれを好んでいたことくらいは知っている。
大人になってから、やっと一緒に遊ぶなんてな。
とんとん、とん、と人形を動かして劇などする。
「エル様はねえ、働き者なのよぅ。タウがこうやってトコトコ近寄っていっても、ちょっと待ってね、ってよく言うの。金槌と釘で木の板をたくさん貼り付けていてねえ」
「……。……?」
「フェンリル様はねえ、力持ちだったわぁ。木の柱を一気に三本も担いでいてねぇ、大工よりも活躍していたんだからー。彼が宮殿の門を立ててくれたのよぅ」
「……ッッ!」
「あ、二人がくっついたことも多かったわねぇ。周りに人がいるとなかなかくっつかないから、タウが後ろから押してあげてごっつんこ。接吻はいいわよねぇ、花が咲くようだわぁ。エル様の頬が桃色になると周りに粉雪が降ったけれど」
「…………ちょ」
「タウってば気分が良くなっちゃって、春の舞いを踊ってあげたのよぅ。そうしたらエル様とフェンリル様の着ていた服が春の影響を受けちゃって、桃色の魔力染めができあがったわあ。なにも意図していなくても奇跡を起こしたタウはすごいわねぇ。えっへん」
「…………ちょっと、待って……くれ……!!」
いったんここまで気絶せずに聞けた僕を褒めてやりたい。えらかった。やるもんだ、僕。
なぜ、フェンリル様とエル様が積極的に働いているんだ!
お休みいただくようにいったのに……!!
「"楽しそうだから手を貸しちゃったの、ありがとう楽しかった"ってエル様が言っていたわぁ」
「社交辞令じゃないだろうか」
「ワーカホリック、とも」
「魔法の呪文か?」
「あっ。でも"春はフェンリルが休むべき時だから、休憩はしよう"ってフェンリル様に叱られてたわねぇ」
「ありがとうフェンリル様」
「だから美味しいスイーツで一息つくために、餅米を練って木の実の餡を炊き、花びらで染めた桃饅をお二人で作っていたわぁ」
「フェンリル様……! そうじゃなくないですか……!」
思っていたのと違った。
だけど納得せねばなるまい。北は生活習慣が違うのだ。
フェンリル様はもともと北の山におられる身、狩って動いてたっぷり休まれるのが、休暇なのであろうと……イメージして収めることにした。
いける。イメージできた。元の姿は大きなオオカミだと聞いているからな。
……巨大オオカミ、とエル様は言うがそれは失礼なので真似してはいけない、と北の双子が言っていたか。危ない。口に出さないように気をつけよう。
「ハオラウ。面白いお顔!」
ケラケラとタウが笑う。
「そんなことを言われたのは初めてだ……」
「じゃあタウが何度も言って差し上げてよ。面白い顔、好きだわぁ。しかめっ面よりもよほどいいもの」
ここで、エル様とフェンリル様が入っていらした。
甘い、菓子の匂いだ。
「タウ姫がすでにお邪魔しちゃってるみたいだから入ってきちゃった。お疲れ様」
「ラオメイの人々には茶と菓子を嗜む文化があるのだろう。せっかくなので私たちに教えてくれないか」
これが、タウリィアが変えたという桃色の着物。
お二人が冬の精霊であることは承知しているのだが、それにしても、春の象徴かのように綺麗だ。ラオメイの春ではない。おそらく北国の、もっと淡い暖かさと綿毛のそよぐ草原のような春。いつだって涼しげな氷のにおいがする。
ここは被害を免れた昔ながらの僕の私室であるので、伝統的な茶器が置かれている。
茶器を並べたあとに、手持ちの種を育てて、たっぷりと膨らませたところに切り込みを入れると水が溢れ出す。これを茶器に入れ、煮て、甘草茶とする。
エル様は「ココナツみたい」と種を称し、「甘ーい」と茶を気に入ったようだった。
フェンリル様は慣れない味だったのか、あまり進んでいらっしゃらない。獣の習性が影響するゆえ、草の風味が濃いものは苦手なようだ。それでも、僕たちとの時間のためにここにいてくださる。
──お二人のことを、途方もない存在だと思っていた。けれど、すぐそばにいて違和感のない、生き物だったのだな。
嗜好も性格もある、情の厚さは人よりも。
生き物であるならば大事にしなければ死んでしまう。大事にしよう。
お茶をごくりと飲み干すと、噎せてしまった。
底には草の繊維のカケラが残っていたからだ。
当たったのが僕でまだマシだった。
エル様の器が空になっていたので、注ぎ足す。
フェンリル様には干菓子を勧めた。
やがて体調を持ち直した父もやってくる。北の双子がその背中を押して支えてきてくれたようだ。
明日には、また新たな一ページを書こう。珍しくも冬と春の国が同席したこの日を、書いておくことは適切だろう。大切な、大切な一歩なのだ。絶対に。
この日の午後は、人生の中でもっとも暖かい春の日であった。
読んでくださってありがとうございました!
本日はまんが王国さんで、コミカライズが公開です。
また、コミックス二巻が2月15日に発売します。
紹介画像が揃ったら、またきちんと告知しますね!
ラオメイ編をよりよく収められるように、来月からも努力してまいります!(`・ω・´)ゞ
引き続きよろしくお願いいたします。




