32:春の祈り
「どうして発動しないのか教えてくださる?」
妖精女王の問いかけはとても素直だった。
するりとこぼれた言葉は、春にぴったりの軽やかさを持っていた。
「そのために来たんだから」
フェンリルは返答とともにウインク。
わーーーーーーーー!
いい光景だ……!
私も、フェンリルの説明が待ち遠しい。
だって魔法のことを言葉の説明で教えてくれるんでしょう?
これまでは感性で氷魔法を使ってきたけれど、もっと確信が欲しいと思っていたんだ。
ここに来て痛感していた。
なんとなくそこにいる、だけでは、春龍様は尊敬を削られていった。
それは、私たち冬フェンリル族にとっても、起こるかもしれないことだからだ。
感じることは大切だし、信じることも大切。
だって、信じていたから今日までこの王族訓練場が守られていた。
けれど、それだけでは、信じることができなくなった大臣に、この場所が害されようとしていたことも事実なんだから。
教えて、フェンリル。
魔法ってどうやれば使えるの? 言葉で教えて?
思考を邪魔しないように、まっすぐに見つめて待機。
犬だったら「待て」の状態だと思う。
獣耳がぴこんと立っていて、フェンリルの言葉を聞き逃さんとするように彼の方を向く。
春の毛並みになって毛量が薄くなっているので、ほっそりとした獣耳になっている。
呼吸の音だって鮮明に聞けちゃう。
ああ、国王様が生唾をのんだ音。
そうだよね。冬の大精霊が何を言うのか、すっごく気になるよねえ。
フェンリルがそっと口を開く。
「可愛いな、エル」
漫画みたいにコケたらいいんでしょうか??
顔が真っ赤になってしまうけれど今それじゃないんだよね??
「そうじゃなくて! うわあっ、あとで撫でてちょうだい! あ、あとで……! 今はフェンリルの説明を待機しているの! 期待してるんだから聞かせてね」
マイペースすぎる。
フェンリルはおそらく、考えているには違いないのだから言動が別のことをしていてもまあいいだろう、という山ごもりのおおらかさを発揮しているんだろーなあ……。
考えてはいるんだよ。
フェンリルは考えるときに、周辺の空気を凍らせるクセがある。
とても小さな氷の粒をまとったフェンリルは、輝いている神様みたいだ。
私の頭を撫でているのと反対の手で、ずびし、と国王様たちの方を指差す。
「魔法がうまくいかなかったのは」
ゴクリ……。
「オマエたちが魂で理解をしていないからだ」
結局、感性だったーーーーーー!?
フェンリルは指差していた手の周りに、つむじ風を起こす。
引き込まれるようにして舞ってきたのは、黄緑色の若葉だった。
これ……おそらく魔力で作られているものだ。ここに来るまでの間に、ハオラウ王子の側で感じられた魔力。それをフェンリルがいともたやすく、分かりやすいように、葉っぱの形に”練り変えた”。
ああ、感性的ではあるものの、国王様たちとコミュニケーションを取ろうとしているんだね。
ぴし、と背筋を正して、フェンリルの話の続きを聞く姿勢です。
つむじ風が、葉っぱをタウ姫の元にはこぶ。
タウ姫はたわむれるネコのように、葉を受け取った。
「この葉の魔法は成功しているようだね。魔力の源はハオラウだ。では、なぜ彼だけが成功したのだと思う? 理解が深かったため、こなせたんだ」
でも私は初めてのことなのに冬を呼ぶ魔法が使えたような……?
ううん、もうちょっと掘り下げてみよう。
どうしてできたのか。
……そうだ。あの時は、日本の憧れの冬について考えていた。
大地は枯れていてみんなが悲しんでいたから、憧れるくらい素敵な冬がいいよなあって。
キラキラしていて、フェンリルの毛皮に雪が積もればきっと綺麗だろうとイメージしながら。
イメージ……。
明確に思い描くこと。
印象的だからと記憶されていたことを、必要だから記憶からひっぱりだしてくることで、必要なんだって頭に働きかけることが必要なんだ。
こういう記憶のストック・引き出しについては、会社員時代によくやったんだよね。
きっかけのキーを覚えておくの。
例えば、デスクの二番目の引き出しは閉めること。
そうすれば、その動作をしたときに、なぜ閉めるんだっけ? 内側に歪みがあってきちんと閉まらないから、あとで社外の来客があるときに不格好になる、早めに修理をすること、と一連の流れを思い出せるんだ。
芋づる式記憶法、ってやつね。
緑の国に必要なのは、この大地を癒すこと。
冬の時と似ている。
だったら……!
助けになれるかもしれないと思った瞬間、口を開きかけていた。
「それって……もがっ」
フェンリルに口を塞がれた。
手のひらで。あっすみません、ええと唇が手のひらの内側に触れました。なんか恥ずかしいです。それだけなんですけれども。
口を塞がれているまま、頭を撫でられている……。
これは、リラックスして大人しくしておけってことでしょうかね。はい。大精霊様のお考えがあるのであれば……恥ずかしい……。
私たちがなんか変な光景になっていることにつっこむこともなく、タウリィア妖精女王と国王様は、二人で相談をしている。
すとん、と腹に入った。
そうか──まかせることも大切なんだ。
そうじゃん。
何度でも、気持ち新たに、思い知る。
私をとりまくこの世界は優しく、まかせることも許されているんだって。
冬姫様の立場に期待されていることはあるけれど、伸び代であって重荷じゃない。
なでなで。なでなで。
なんだろう。救われるなぁ。
他ならぬ、フェンリルが許してくれる。
仕事をまかせられないことは、私のトラウマの一つだった。過去のことだ。そう、昔のこと。
(頑張って!)
そんな気持ちで国王様たちを見つめ続ける。
まだ30秒くらいしか経ってないはずだけど、なんだか緊張して時間が遅く感じるよ~。
「うーん、うーん……」
こてり、こてり、とタウリィア姫が小首を傾げる。右、左、右、左……。
「できないわねぇ! 魂の理解!」
ドーン! と胸を叩きながらタウリィア姫は宣言した。潔いな!!
国王様ががっくりと項垂れながら、そして元娘の発言のヤバさにだらだらと冷や汗をかいている。
なんだかしおれている……。
「またか……」
またか? こうだったのかもしれない。
幼い実子たちに、教育をスパーンと放棄されていた……みたいな。想像だけれども。なんか頭に浮かんじゃって。
けらけらという吹っ切れた可愛い声が、春風に乗る。
「でもありがとう冬フェンリル様。魂の理解ってことを知ったのだもの。それって難しいのね! だからね、春龍様にもうかがってみるからちょっと待っていて」
「なっっ……ゲホ、ゴホ」
「ああ。そうしてごらん」
(そなたという奴はー!)……みたいな心の声を聞いた気がしたわ。
お父様、お疲れ様です。
顎ががくーんと落ちるその心労、お察しいたしますよ。
空に向かって呼びかける。祈るにしては、やけに楽しそうな声で、宴に呼ぶかのように。
「春龍様ー! 春龍様ー! タウに教えてくださいな!」
春雷!!!!
私たちの目の前が輝く白雷で染まった。
腰が抜けたかもしれない……フェンリル頼むから支えた手を離さないでね……!
すわ、龍の怒りかと真っ青になっている国王様の反応が気の毒すぎるな。
実際怒りではないだろうから、見守るとしますか。
すみません。動きたくても動けないんだ。
「エル、その、生まれたてのトナカイのような震え方も可愛らしいな。フフ……アハハ!」
(笑いどころじゃないんだよフェンリル?)
大精霊たち自由すぎ肝が座っていすぎ問題。
数百年、数千年生きたらこんなメンタルになるんだろうか。
現れた春龍様は、お召し物の裾が芸術的に破けていてロックだ。
春龍様はほっそりとした指で、お二人の顎の下を撫でている。
優雅な艶がある。
そして貫禄が、圧倒的だ。
ほんとうにささやかな声で、大切に言葉を選ぶようにして、何事かを妖精女王に耳打ちした。
きゃあきゃあ! と二人で騒いでいる。
国王様泡吹いてるよ。
「そうなのね、春龍様。わかったわ。わかってしまったわ。わーい! タウが妖精の泉で見た夢の、森の奥地で出会った木々の、タウの顔を綺麗に映した氷の、美しい姿をイメージしながら──春の祈りを唱えたらいいのねぇ!」
ウンウン。きっと綺麗に、
………………なんか一個変なの混ざってなかった?
フェンリルが堂々と構えてるからなんとかなるんだろうか。
「【刹那明明】!」




