24:シャウト!
(ハオラウ視点)
春龍様たちが隠れていった低木の茂みからは、どういうことか全く音が聞こえてこない。
耳を澄ませても霞に包まれているようだ。
僕はしゃがみこんで低木に耳をピタリとくっつけていて、まあみっともない格好だと思う。
それは(探偵)という用事のために仕方ないのだが……
目の前、影の君が全く同じ様子なのはとても居心地が悪いな。ふと目があうと、大変気まずい。
「フーー……腰が痛くなってきたな」
「無理な体勢をしておりましたからね」
お互いにちょっと気だるそうな風を装って、出来るだけさりげなく、よいしょと体勢を変えた。
考えることは同じである。
今度は立ったまま、耳を傾けている。大変よく似た姿勢のまま。まったく、気まずい。
「……小鳥のさえずりでも聞こえてくるといいのですがね」
「さっきからは虫の羽音ばかりだ」
少し踏み込んだつもりの問いかけをしたのだが、あちらから返ってくるのは情緒のない現在情報。
感性が合わない。
僕だって決して風流人ではないけれど。
彼は顎を撫でると、「どっせい」と腰を下ろした。
どっせい……?
「あちらの音が聞こえんということは、春龍様だって同様だろう。その間にそなたに聞きたいことがあるのだ。自分は、元気になりつつある春龍様の可能性をみてなにがなんでも支えて差し上げようと決めた。たとえ国と敵対することになろうとも」
「っ!」
屍妖精の瞳はいやになるくらいまっすぐだ。
「……私、は……」
「そなたには僕と言ってほしい」
ハッとする。
本質をわかっているんだ。
余計なもので飾りつけして虚勢をはるしかない、自分の惨めさが際立つものだな……。
春龍様の様子を思い描く。
本当にここにいらした。
とても弱っていらした。
それでも人たちに向かって微笑みかけてみせたのだ。
それに影の君が魅せられたというのなら、僕だって、胸に抱いたものはある。
腰布をゆるめて、剣を置いた。着物の内側から、あらゆる暗器を取り出して地面に並べてゆく。
いやになるほど身軽になっていく。
心細さが現れるのをねじ伏せる。
おいおいー、と軽くいなしていた影の君は、しだいに目元がピクピク引き攣り始めて、並べ終わる頃には無言になった。
「僕は、これから、心のほうだけを、取り出してゆくので。それが全てとは言えないが、それを大事にするとは誓う。この緑の瞳に誓おう。
聞いて下さるか」
「ん」
影の君が、神妙に頷いた。
「僕は、足りないものが多すぎる。そのことを自覚したい」
「お、おお」
「思い知らされたいのです。もっともっと、もっともっと。つい取り繕ってしまうような、くだらない人間ですので」
「そんなもんじゃないか?」
「いいえ。滅多打ちにされたいのです。もう立ち直れないほどに。うまくまとめられませんが、ギタギタのめちゃくちゃにしてほしい」
「毒でも食らったか? 腹は痛くないか?」
体調の心配をされている。
正直、恥ずかしさはある。
気持ちを誰かに説明するなんて、まったくといっていいほど、やってこなかった。避けていた。それがこのどうしようもない言葉の羅列なのだ。
しかし恥をかかねば先に進めやしない。
メイシャオ・リーが思い出される。
今や名を言うことも禁じられた、双子の兄も思い出される。
あの二人は幼い頃にたくさん失敗をしたが、いつも先に進んでいた。道を誤ったが、しかしいつまでも僕の中での存在は大きく、苦々しいコンプレックスとなっている。
苦い、苦い。
苦い、苦い。
矮小な、僕が前に進むなら、今しかないのだろう。
「春龍様がふたたび姿を見せてくださる前に、前の僕のままではいたくない」
影の君がここで前のめりになり、共感を示してくれた。
「すべて良くなればいいのにと妄想しているだけで、何もしてきませんでした」
「そうか」
「勉学や体術に励んでいるからといって、対話の時間を取りませんでした」
「人間の寿命は短いよな」
「自分との対話の時間も作らなかった」
「そいつはいけないな」
「ええ。自分のことを求められて、自分をどう表現したらいいかわからない。もどかしくて苦しい。こんな時に相談をできる人もいなかった。先人に教えを乞うことはできても、友人は作らなかったから」
「そうだな。友とのすれ違いや間違いから、自分が学ぶこともあるのに」
影の君は、地面に尖った爪で植物の絵を描いて「こいつは毒草だから喰ったら屍妖精になるんだ、友がそうなった」と言った。
うん天然なんだろうな。
これまでの僕は、誰かと共にいる時間などはやり過ごすばかりだった。
もっとわかり合えばよかったか。
それが正しいのか、自分の本心なのか、不確実なことを自分で決めるのがおそろしく、けれど、適当に流そうとすることには非常に嫌な予感がしたから。
影の君に向きあう。
「──」
結論に繋げようとしても、出てこない、か。
モヤモヤした胸の内をさらけ出すには、僕の経験が足りなさすぎる。
彼は、ただこう言った。
「変わってるぞ。ハオラウ王子。出会った時よりも、ずっといい」
今、か?
友になってくれとか言うべきだろうか。
友ってなんなんだ。何をすればいい? 会話か? 会って話す時間を作ればいいのか? そして遊べばいいのか? この大事な時に遊ぶことなど考えていいのか? しかしせっかく変わったと言われたのだから、今か? 今なのか? そもそもこの解決は友達作りに向かう雰囲気だっただろうか。影の君は何を言いたくて話しかけてきたんだっけ。
「変わって良くなった」と言われたことが衝撃的で、頭が猛烈に熱い。
もうなにもわからない。
でも、変わらないままは、嫌だ。
春龍様がいらっしゃる前に、僕は。
「友達になっ……!」
低木が音もなく揺れた。
現れたのは冬姫様だ。
俺が手を差し出した、その目前にいるとか。
体が芯から冷えた。
「友達になるの? いいよ?」
握手をしてしまった……。
ひんやりした魔力が彼女の上機嫌(なのか?)につられて溢れ出し、僕をまるごと包み込んでくる。
ここは、冬だったか? こんなにも湿気がない空気は初めてで驚いた。どんどん寒くなってくるのだが。
背後にいるフェンリル様が、冬姫様の肩に腕を回して、僕のことを見下ろしている。
あっ。
「私とも友達になろう」
「こここ光栄です」
「タウもそうするわあ〜!」
「うごふっ」
背中が爆発したかと思うような衝撃だった。こいつ、屍妖精女王になって体力上がってる……!
「では影も」
「え、ええ」
あんたと友になるつもりだったのだが!!
なんで、こうも遠回りになったのだろう。
僕の手には今、いくつもの人の掌が添えられている(正しくは全員人ではないが、柔軟になるのだ)。
『あら……』
春龍様のお声だ。
背の高いフェンリル様の後ろにいらっしゃるので姿は見えないけれど、先ほどの優雅な淑女がいらっしゃるのだろう。
桃色の着物がひらひらと揺れて、手招きされているかのようだ。
胸を高鳴らせながら、姿を見せて下さるのを待つ。
せめても彼女の視界に映るとき、マシな人間でありたいと思ったのだ。
「それっ」
ギザギザに刻まれた桃色の着物!!
氷がギラギラとあぶない光を放つブレスレット!!
雪白の肌に、朱色の戦紋が描かれている!!目の周り!!頬から鼻をまたいで横一文字!!!!
白髪は怒髪天を突くように、ギンギラギンに逆立って固定されているではないか!
なんだこれは!!!!
絶句してしまい声を出さなくてよかった。
「なんだそれ!?!?」
影、絶交してもいいか? 即座に迷いが生まれた。いやそんなことよりも春龍様だ。どうした。本当に。
嬉しそうになさっているな。
…………。
冬姫様がこそっと小声で教えてくれる。
「ハイカラロックスター風でございます」
「はいからろっくすたぁ風??」
──聞くところによると、冬姫様の故郷では、己の殻を破りたいときなどにこのような格好をする若者がいるのだとか。若者というところとか、これで殻が破れているのかとか、ツッコミたいところは山ほどあるが……春龍様が嬉しそうなのだ。
彼女が自分のお心で選ばれた。
春龍様は殻を破りたい。
そう、なのか。
「──妾も、春を呼んでみたいのよ」
「……!!」
これまでの春龍様がいなくなるわけでもなく。
やりたいことをより、叶えられるように?
片膝をついて、深く頭を下げた。
「あらあら、まあまあ。けほっ」
春龍様がひと呼吸つくと、僕の周りには、ブワッと花々が咲き乱れた。
低木には桃がなる。
春龍様直々の魔法だとは。
ずいぶんと回復なさったらしい。
いったん立ち上がり、改めて、冬姫様たちにも頭を下げた。
「中の話聞こえてました?」
「いいえ、音すらも聞こえませんでした」
「だったらもう一度言っておこうかな。あのね。パンチを与えてやりたいなあって」
「パンチを」
春=パンチ??
少なくとも僕の心臓は、春龍様にノックアウトされかけたが。あらゆる意味で。
「妾とともに、この船に一緒に乗ってほしいの」
「ハウラオ王子、オススメしますよ! 泥舟ではないことは保証します!」
「……。春龍様のお誘いに、フェンリル様方の保証とは。僕には贅沢が過ぎます」
冬姫様が、ぽかんとしている。
おい、僕を指差すな。
「あらあら、本心で笑っている感じがするわ」
春龍様、にゅっ、と出てこないでください。心臓が一瞬止まったぞ。
はいからろっくすたぁ風、を受け入れていても、インパクトがあるのは変わりないから。
「そこの桃を、採ってきてくださらない?」
真意がわからないまま、春龍様に言われた通りにする。
桃はどれも美しい形をしていたが、もっとも良いものを選んだ。
「ありがとう。そなたらの願い、聞き届けたわ。春の王子」
「…………っ! 申し訳……っっ」
「よしよし。って妾はできないから。タウ」
「撫で回せばよいのよねっ」
もう好きにさせておく。
春龍様は桃を齧ると、潤った喉でシャウトを響かせた。
「──春よ来いぃぃぃぃイイイイアアアアーーーイ!!」
春雷が鳴った。




