23:春龍様の回復中
春龍様はしとやかな老婆の姿。
お肌のシミのあるところに、熱が溜まっているのがわかる。おそらくラオメイの気候のように夏を帯びているからだろう。
「エル。指先を冷やしてごらん」
「うん。そして……春龍様、触れてもいいですか?」
私の指先は氷色になってひんやりとしている。
春龍様が頷いてくれたから、お肌を撫でていく。手の甲を撫でるようにして、手首、腕…………と上の方へ。
からからに乾いていた肌がぐんぐん魔力を吸いこんですこしずつ潤っていく。
袖が徐々にまくられていくので彼女は恥ずかしそうにしている。
「肘のところが硬直していますね。動かしづらいでしょう……」
「エル。冬の癒しで対応ができるかもしれない」
「やってみてくださる……?」
「春龍様、いいんですか?」
「ええ、ええ。もしも体が良くなったら桃を取りに行きましょうって、タウと約束していたのよ」
「そうなのよぉ!」
タウ姫が元気いっぱいに頷く。
「春龍様はいまは腕があまり上がらないのだわ。それに重いものが持てないの。何か口にするときには、タウが持ってきてあげていたのよ、春風を操って口に運ぶのも大変そうだったから。それでね、褒めてくださるの!
春龍様の手が治ったら、まずは桃を取りにいくでしょう。それからタウの黒髪を梳かしてもらって、昔に流行った髪型に結ってもらうのだわ。タウも同じようにしてあげるの。タウの先生になってくださるのよ。
春龍様が遠くまで歩けるようになったらこの森を散歩するの。おかしな生き物がいるってここらへんにきた人は怖がるけれど、春龍様へは攻撃しないわ。だって何が一番大事なのか、生きているものはよく分かっているもんね。
それから、それから……!」
記憶をなくした今の彼女は、新しい思い出作りが楽みでしかたないみたい。
袖をふりふり、おてんばな仕草で次から次へと語る。
やりたいことがこうして溢れてくるんだから、姫として過ごした記憶はなくなっていても、知識は持ち合わせているんだろうな。
タウ姫に引っ張られるように春龍様にも勇気が湧いているみたい。
話しかけられるたびに「ええ、ええ」と顔をほころばせている。
頬がほんわかした桃色だ。
「エル」
フェンリルが私の服の袖をひっぱる。
しぐさ。ちょ、急に可愛い感じを出されるとキュンとしちゃうじゃん……。
「私が魔力の流れを見ていてあげるから。エルがやってごらん」
キュンとしてる場合じゃなかった。
一気に緊張してきたんですが! 春龍様を実験台にするようなことは……いや成功させたら問題は何もないんだけど……ど、どうやってやろうかな。ひんやり春風はこれまでにもやってきたけれど、それだけで回復には足りないだろうし……。強力過ぎず、弱過ぎないような。冬の魔法……
あ、頭がぐるぐるしてきた……
(別の方に触れるとエルが嫉妬するだろうしね?)
間。
なんてことを言うんだこの人は。
私にだけ聞こえるフェンリル言葉で爆弾発言をして緊張をぶっ飛ばしにきた。それくらいベタ惚れであろうことを、うん、私よりも、よく分かっていらっしゃるっ。……きっと口では大丈夫とか言いながらも、無意識に嫉妬しちゃうんだろうな。ハネムーンだし。
くつくつと楽しげに笑っているフェンリルを見上げて、ふしぎそうに首を傾げてる春龍様は緊張が解けたようだからよしとする!!!!
「……あ。思いついた」
「応援するわ! ファイ、オー!」
待ってねタウ姫、まだ方法も言ってないから落ち着いて。
異世界にきてからというもの言葉が自動翻訳されているんだけど、”和製英語”みたいな感じなので時々言語がまざって面白いの。こういうのは私ウケしちゃう。
ぷ、と小さく笑ってしまった。
「春龍様。──肘に霜を降らせてもいいですか? あなたの体には冬の癒しを」
ここに来る前に、”溶けない氷”を飲み込んでいるから、私は他の季節であっても冬の魔法を使うことができる。
冬の癒しをそのまま行ってみよう。
「ええ、ええ。妾も見てみたい」
春龍様は目をキラキラさせてこっちを見つめた。
彼女がいる場所は世界で最も”春の気”が集まる……なので霜や雪を見たことがないんだって。
「では失礼致しますね」
袖を、肩までまくる。
フェンリルは後ろを向いていて、淑女の恥じらいに配慮してくれた。それでも私の魔力を見るくらいは問題ないんだろうな。獣耳がひょっこりとこちらを向いている。
(──冬よ、来い)
小声で唱えて、人差し指を「タン」と肘に当てた。
そう、ここにだけ冬の癒しを。
春龍様の腕に霜が降りる。
シワの間に白く淡い霜が降りて、肌をふんわりと包んでいる。私の魔力そのものでつくられている霜は、溶けながら彼女に浸透して体をよく治してくれるはずだ。
これをしばらく放置しておいたらいい。
服の装飾のリボンを解いて、きれいに巻いてあげた。
「ああ……! すごい。なんという冬かしら。これがあなたの冬なのね。それにしても長年経験してきた冬とはまた違うような……?」
「私は今年生まれた冬姫です。だから呼んだ冬の質がこれまでとは違ったらしいんです」
苦笑する。だって異世界人が呼んだ冬だしね……。
本来ならば、灰色の雲にするどい北風、重厚な雪が降るところだったフェルスノゥ王国の冬を。
私のイメージでは、晴れわたる空に心地よい北風、ふんわりした雪がどこからともなく現れる冬にしてしまった。
これによって従来の雪かきや狩りができなくなって大騒ぎになったけれど、なんだかんだとフェルスノゥの皆さんは順応してくれた。人はけっこうたくましいんだ。生きられる環境さえあれば。
……ということを振り返っていたんだけれど。
いつの間にか春龍様は私の方をじいっと見て、見透かされているような……?
「そうなのねえ」
これ考えてることを見抜かれたよね!?
そういえばフェンリルも、魔力同調している時には気持ちが雪崩れ込んでくるとか言ってたような?
すこしの魔力同調だけだったのに春龍様、年の功ですね。
「うふふ」
これも聞かれてた……。
彼女は真っ白な髪を耳にかける。
先端のとがった耳をしている。人ではなく、ただの生き物の龍でもなく、春の大精霊の龍人姿。淡い緑にぼうっと発光している。発光……?
「フェンリル。もしかして回復やり過ぎちゃったかな?」
「苦しくないならいいのではないか? よくできているよ」
「そうだよね多少の無茶はここまでもたくさんしてきてるし………………」
「治った? 春龍様治ったのっ?」
「みてみて。髪を耳にかけられるようになったの」
「わあ!」
タウ姫が抱きつきに行く。
勢いがすごいんですが! ズドン!ていったよ! 春龍様「うぷっ」と笑顔のまま苦しそうだよ。人型だから耐久力がないんだって!
べりりと二人を引き剥がした。
こら、引き裂かれた織姫と彦星のような反応をしないでください。
距離を置いて欲しいだけなので。ソーシャルディスタンス!
「どれほどマシになるものかと思っていたけれど……まあ、これは素晴らしいわ。すずやかな魔力が妾の中を巡って春の始まりの頃のような気候だもの……! ゲホ、ゴホ」
「喋り過ぎかもしれません。回復した後もいきなり話すぎることなく、ゆっくりと」
「春龍様ぁー!」
「タウ姫は心配しても突進していかないようにしましょうね」
なんで私が仲裁をしているんだ!
冬姫だからですねわかります!
フェンリルがここで頭を撫でてくれたからよしとします!
タウ姫!ずるいとか言わない! 春龍様!頑張って腕を上げてタウ姫を撫でようとするのはまだ早い!
ステイ!!!!
ほら、しばらく何もせずに座っていたら、春龍様からあふれた緑の魔力で周りに芽吹きが生まれたでしょう。
この空間にすら咲く植物がいったいどのような古代品種なのか考えるのは今じゃないのであとで王子にブン投げよう。
「ねえ、妾は春を呼んでみたいわ」
春龍様がこそりと、小声で呟く。
私とフェンリルは頷いた。うん、彼女がもう一度春を呼んでくれたら一番安定するだろう。そのための魔力が足りなければ私たちがフォローするつもりでここにいる。
「教えてちょうだい冬姫エル。あなたの呼んだ冬はやわらかかったわね。ではそのあとの春はどのようなものがいいのかしら……?」
「そう来ましたか!? フェンリル……」
「ふむ。冬が変わったなら、春も変わってもいいと思うな。このあとは夏・秋の国にも赴くのだから事情の説明もできるだろう。エルはどう思う? 春龍様は誰よりもオマエの言葉をお望みだよ」
フェンリルってば得意げ!これは幼フェンリルの育て親として誇らしい顔なんですねわかります。鼻高々、って様子がこっちも嬉しいですはい。
すぐに思いついたことが、実は、ひとつだけあるんだよね。
「これまで当たり前に春が来ると思っていた、ラオメイ国王様たちにパンチを与えてやりたいな?」
ニヤリと悪い顔をした。フェンリルもわりと悪い顔してる。
「とがってみる?」
「ええ、ええ。なんて楽しそうなの」
春龍様のお気持ちが安定するならそれって正解でいいと思うの。
私は春龍様に雪色のお化粧を施して、フェンリルは髪の毛を霜でかためてとんがったヘアスタイルにしております。
パンクロックお婆様。それでもいいじゃない。




