93話 終戦
まるで水のように、すっと喉を流れる酒が何とも心地よい。
虞翻も、そして龐統も気に入ったらしい。
別に今回の話し合いは喧嘩ではない。逆の「和解」が目的だ。
皆が呂岱のように気を張り、殺気を放ってしまえば、その目的を忘れてしまいかねない。
「この度の、お互いの言い分を確認しておきましょうか」
心地よく笑う龐統が、まずは声を上げた。
「士家は、自治権の侵害は士燮政権時代の公約に反するとして抗議の意味で反旗を上げたと。簡単に、この通りですか」
「如何にも」
「孫家としては、士燮の正当な後継は長子の士キンが庶子であるのが道理であるとして、それを命じたと」
「公約の通り、自治権を持つとはいえ士家は孫家の下に付いてる。従ってこれは命連違反だ、っていうのが殿の言い分だ」
「なるほどなるほど」
空いた盃を机に乗せ、虞翻は僕の目を真っすぐに見据える。
僕はただにこやかにその視線を受け止めた。
「こちらの要件は三つ。庶子を士燮の後継とすること、自治権の剥奪、離反の首謀者であるアンタの首。これで離反の罪を許すことにする」
「では、士家からの要求も三つ。士キンの妻子の引き渡し、自治権の維持、鬱林郡と蒼梧郡の引き渡し。これでもって公約違反に目を瞑り、再び孫家の指揮下に入りましょう」
思わず、呂岱が怒りに身を染め、刀の柄に手を付けるのが見えた。
それに呼応し呉巨も刀に手を置く。まぁ、コイツの場合は自分の身を守る為だろうが。
ただ、それを止めたのは龐統、いや、彼の後ろにある大柄の武人であった。
やけに頭が大きく、無口な若い武人である。僕と同じか、それよりも若いんじゃないだろうか?
しかしその武勇は恐らく、パッと見ただけでこの場の誰よりも優れていることが分かる。
彼の放った殺気。武人として優れる二人の将軍は、それで動きを封じられた。
そういえば以前、劉備さんのとこで見たことある気がするな、この人。
吃音持ちで農村あがりの珍しい武人だとかで。
うーん、吃音持ちといえば、あの人だけど、まぁ、まさかね。
「呂岱殿、呉巨殿。武具を全て我らにお渡しくだされ。これは、和睦の議を図る場。戦場ではありません」
「呉巨よ、言う通りにせよ」
「早く渡せ呂岱。これだから武人は困る。相手を殴り負かすことしか交渉の術を知らん。童と同じだ」
というか相変わらず虞翻の態度が悪い。
これ下手すれば呂岱将軍、僕よりも先に虞翻を斬っちゃいそうだな。
「さて、と。では互いの言い分を聞かねばなりませんな。士徽殿、孫家からの条件は何を容れることが出来ないのでしょうか?」
「父が後継に任じたのは士祇兄上です、これを覆すことは出来ません。更に自治権の保証が無ければ士家が孫家の下に付くことは決してありません。私の首は、以ての外でしょう」
「ふむ、全てが容れられないということですね。虞翻殿は、如何か?」
「格下風情がこちらに条件を出すこと自体があり得ん。士家は、戦を続け故郷を燃やし、族滅の憂き目に遭うのがお望みか?」
「道理に従う者に、天と民は味方しましょう。例え戦で負けようと、我らは我らの道理に従い、孫家と共に滅ぶ覚悟に御座います」
これが、文官の戦である。
言葉の一つ、態度の一つ、その全てで運命が大きく変わる。
極めて繊細でギリギリの攻防。
ただ、裏付けの地盤があまりにも違い過ぎる。
圧倒的に不利なのは、僕の方だ。
それでも僕は敢えて胸を張り、親父の様に絶やすことなく微笑み続ける。
「争点はやはり、自治権という事になるようですな」
誰よりも酒の杯を重ねる龐統がそう言う。
なんとも不思議な人だ。何というか、全てこの人の手のひらの上で、僕らは踊っているような気さえしてくる。
それほどまでに余裕があって、むしろどこか楽しんでいる風ですらある。
劉備はこういう人間すら下に付けれるのかと、少し驚いた。
「士徽殿、やはりこの交渉における士家の言い分は多少、傲慢であるように思う。責任も取らず、領土の割譲を要求はあまりに常識外れだ」
「こちらは損害を受けております。当然の要求かと」
「立場を弁えよ、と言っているのだ。まぁ、しかし言い分は分かる。自治権に関して、容れることが出来ないのは明確だ。孫家側にも、その点は理解していただきたい」
「話を先に進める為だ。分かった、とりあえず承諾しておこう」
「では、こちら側でまとめさせていただきたく思う。士家の要求は自治権のみ、それ以外に望んではならない。孫家は自治権を認めたうえでの交渉を行う。これで如何か?」
互いにとって、何とも苦い結論だ。
しかしこうする以外に決着は無い、というのは分かり切っている。
ハナからこの結論を出す為に、互いに啖呵を切っていたとも言えるだろう。
「まぁ、孫権様に後は聞いてみない限りは分からんが、とりあえず俺としてはそれを容れておこう」
「承知しました。詳細についてはまた追々、詰めていきましょう。呂岱将軍の軍は撤退していただきたく思います。こちらも山越族を解体いたします」
「それはしょうがないな。ただ、歩隲将軍は決着がつくまで駐屯させるぞ」
「承知しました」
これで、とりあえずの戦は終わった。
ようやく肩の荷が下りた、そんな気がした。
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それではまた次回。




