86話 故郷の未来
緑を基調とした、質が良く、高貴な気風を思わせる衣服。
そして、長年使い込まれたような、古びた冠を頭にのせる。
衣服も、冠も、親父のものである。
流石に身長が違う為に衣服は別に作ったものだが、色や模様は全く同じだ。
「さて、行こうか」
衛兵を連れ外に出ると、集めていた民衆が所狭しと集まっていた。
夜だというのに人が多く、やはりこのただならぬ戦の雰囲気に誰もが不安を感じているのだろう。
現れた僕に、衆目の視線が一堂に集まる。
大王様だ
誰かが、そう呟いた。涙を流している老人や商人も多い。
親父の面影が残る、若い僕が、同じ姿をして現れたのだ。
この逼迫した状況下だからこそ、心に刺さるものがあったのだろう。
高台に立ち、衆目に視線を下ろす。
城の外の太鼓の音だけが聞こえるが、それ以外は静かで、不思議な空間であった。
「……父は、この天下が乱れに乱れる中、交州に平穏をもたらし、豊かさを築き、誇りを産んだ。今まで我々は、それを享受しているだけであった。それだけで幸せであったからだ」
僕の声だけが大衆の奥まで響く。
言葉を続ける。
「されど、父は卑劣な手に倒れ、悪漢がその隙に付け込んできた。平穏は今、侵されている。もう、我々を守ってくれる父はいない。残されたのは、私と君達だけだ。ここに居る私達だけだ」
一呼吸を置き、大きく、息を吸う。
「君達に問いたい! 我が子に、どのような故郷を残したいのかを! 誰にも屈せず、誇り高く我が足で立ち続ける故郷か。それとも、大王が残した全てを奪われた故郷なのか!」
「──私は、士燮が三男、この交趾を委ねられた『士徽』である! 君達の意思を全て叶えて見せよう! さぁ、誰でもいい、君達の声を聞かせてくれ! その全てに耳を傾けよう! 共に交州の未来を築いて行こうではないか!!」
大きな歓声が上がる。
皆が、口々に不安を、誇りを、そして未来を語る。
僕はそのまま民衆のもとまで下りて、同じ地上に立ち、同じ目線で並ぶ。
「一人一人、話を聞こう。全てに答えよう。そして、全てを叶えよう。父に代わって、私がこの地を守って見せよう」
腰を、地に下ろす。
「さぁ、最初は誰だ」
親父に似た、軽快で挑発的な微笑み。
心は、掴んだ。これで内からの崩壊は無い。
後は僕の精神力が擦り切れるまで、歩隲との我慢比べだ。
☆
「うーん……まさか、本当に来るとはなぁ。いや、まぁ、来いって言ったのは俺だけどさぁ」
大きく広い耳をした壮年の大男は、眉を左右違いに歪ませて首をひねる。
目の前に居るのは、見目麗しい若い女性だった。
命の恩人の面影が残るその美貌に、大男は複雑な思いを抱いていた。
「公孫蘭です。劉備様、この度は私を娶っていただき、本当にありがとうございます」
「いや、まぁ、うん……お前は、それでいいのか?」
「はい」
「顔に嘘って書いてあるんだよなぁ」
自分で言いだしたことだが、どうにも納得しづらい。
確かにあの時は、公孫瓚の血族という事で熱くなっていた。
今もその気持ちに偽りは無いが、それ以上に、あの雷豊とか言う若者に惚れ込んでいた。
「お前さ、雷豊を好いてただろ。雷豊もお前を好いていた。まぁ、本当に同じ雷氏だとは思っちゃいないが、雷豊はどうした?」
「この場だけの話にしていただけるなら」
「勿論。この場には俺とお前だけだ」
「雷豊の素性は、交州を治める士燮様が三男、現在、交趾郡を治めている士徽様です」
「……どおりで、視野が広いわけだ。あの妖怪の息子か。そりゃあ、俺の下に付くわきゃねーな」
劉備は機嫌良さげに、軽快に笑う。
暗い顔の公孫蘭の気分が少しでも紛れればいいと思って笑ったが、大した効果は無かったみたいだ。
「むぅ、どうしてくっつかなかった」
「現在、交州の置かれている状況は逼塞しております。どうか、劉備様にお助けいただきたく思った次第です」
「正直な奴だ」
「嘘が通じない人だというのは、知ってますので」
「流石は英雄の血を引く女だな」
床で礼儀正しく座り、頭を下げる公孫蘭を呆れたように眺め、劉備は寝床に横になる。
二人ぶんの余裕がある寝床だが、劉備はわざわざそこを占拠するように、ドカリと寝ころんでいた。
「曹操ならばお前を喜んで抱いただろうな。だが、俺は違う。お前を抱く気はせん」
鼻に指を突っ込み、毛を抜く。
あまりの緊張感のなさに、公孫蘭はただただあんぐりと口を開くのみ。
「何か、至らない点が……?」
「近頃亡くなった甘は、故郷からずっと俺に付いてきた愛くるしい女だった。糜も、俺の為なら全てを捧げることが出来る女だ。会ってみると良い。言ってることが分かるぞ」
「え、あ、はい」
「俺はな、俺の為に全てを捧げることが出来る様な、心底俺に惚れているような女しか抱かん。曹操のように他人の女を取って興奮するような変態とは違う」
逞しいことを言っているようだが、これもこれで変態だと思う。
口には出さないが、公孫蘭はそう心で呟く。
「お前を娶る。頼みも聞こう。兄貴に恩が返せると思えば、安い話だ。ただ、娶った以上、お前を俺に惚れさせるぞ。覚悟しろよ」
「え? あ、えと、ありがとう、ございます?」
「それと、俺が死ぬまでは妻で居ろ。そこから先は知らん、好きにしろ。お前が士徽に惚れ続けるなら帰っていいし、俺に惚れたなら妻で居続けろ。人の心は移ろいやすい、それは悪いことではない。お前の好きな方を選んでいい」
くぁ、と大きな欠伸。
公孫蘭は呆気にとられながらも、地に頭をつけた。
「早速、明日から阿斗の世話と、糜の看病をしろ。交州の件は、勝手にこっちでやっておく。ただ、孫権との同盟の方が重要だ、ということは忘れるな」
言いたいことは終わったのか、劉備はのそのそと起き上がって部屋を出る。
公孫蘭は、いや、雷華はバクバクと暴れる胸を抑えて、涙を流した。
長くはある。ただ、終わりではない。希望はあるのだ。それを思えば、幾日でも耐えられる。
「おい! 龐統のヤツを呼べ! 早速アイツに初仕事だ! 自分を鳳凰だとか何とかほざく小男の手並みを見てやろうじゃねぇか!!」
外はそんな雷華の気持ちはいざ知らず、どたばたとした足音が五月蠅かった。
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それではまた次回。




