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辺境の流刑地で平和に暮らしたいだけなのに ~三国志の片隅で天下に金を投じる~  作者: 久保カズヤ@試験に出る三国志
四章 南越の小国

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79話 士燮


 昼夜を問わず、駆けた。

 隊列の指揮を蝉と雷華に任せ、僕は蝉の連れていた護衛兵を三人のみ連れ、駆けた。


 その道中はまるで永遠を感じるように遠く、気づいてみれば一瞬だったようにも思う。

 体は泥にまみれ、髪は暴れ狂っている。

 ただ、今はそういうことを気にしている場合ではなかった。


 久しぶりに戻った交州の空気は、一変していた。

 誰もが怒りに震え、悲しみに包まれ、緊張に溢れている。

 皆が士燮という偉大な統治者の容体を案じていたのだ。


 これが僕の故郷か。

 景色は同じ、しかし、空気が違うだけで別世界の様だ。



 屋敷の外は人が溢れ、悲痛な面持ちを浮かべている。

 何人もの祈祷者も並んで、神に祈りを捧げ続けていた。


「親父!!」


 扉を開き、倒れ込むように部屋に入る。


「おぅ、早かったのぉ。それにしてもお前、なんちゅう汚さじゃ。風呂に早う入れ」


「え……あ、あれ?」


 寝所に横になっているのは、いつもと変わらぬ、元気そうな親父の姿であった。

 確かに少し痩せてはいるが、それくらいのものだ。


 そして親父の隣に座るのは、厳めしい顔をした肌の浅黒い老人。

 見慣れない顔である。交州で採用した医者ではなさそうだが。


「紹介しておらなんだ。この人はあの高名な『華佗』先生じゃ」


「あ、せ、先生でしたか。お初にお目にかかります。士徽と申します」


「あぁ、貴方が。御贔屓にして下さっており、助かっていました。ようやく直接お礼を申せますな」


「お前に届けた通り刺客に襲われたのだが、先生のお陰で何とか持ち直せた。士徽よ、お前が医学の大切さを説いていた意味がようやく分かったわい」


 親父は変わらずに、前歯の欠けた口を開き、不気味な笑い声をあげる。

 何というか、変わらない親父の姿を見て、体の力が抜けていく。


「あぁ……よかった。よかった」


「えぇい、泣くなみっともない。お、すまんな華佗先生。少しだけ席を外してくれい。二人で話がしたいんじゃ」


「されど……承知しました」


 華佗は一つ礼をして、部屋を出ていく。

 それを見て、親父は僕を手招きした。僕もそれを見て親父の側による。



「どうであった。劉備は」


「まさしく英雄でしょう。清濁を併せ飲む剛毅があり、兵の一人一人に伝播する熱を持っています。地盤を持たずとも、兵が彼に従う訳が分かった気がしました」


「そうか、そうか。では、戦場はどうであった」


「交州とは別世界の様で、しかし現実にも起こりうることを肌身で感じました。戦は数ではなく、人と人の殺し合いです。それを分かっていなければ、策も成り立たないでしょう」


「予想以上に多くの物を学んできたようだな。まぁ、多少、目立ち過ぎであるがな」


「……ごめんなさい」


「生きて帰れたのだ。それだけで十分よ」


 親父は、疲れたように息を吐いた。

 それをみて僕は退出しようとしたが、服をがしりと掴まれる。


「お、親父、もう休んでくれ。用心してくれ」


「言っておかねばならんことがあるのだ。良いから、聞け」


 父が子に諭す声色とは違う。

 主が臣下に命令を下すような、そんな気迫。


 僕もそれで上げかけた腰を再び下ろす。


「俺はしばらく、復帰は出来ん。いや、もう隠居せねばならん歳だ。これも良い機会だと思うことにした」


「そんな……この地はまだ、親父の力を必要としている」


「大丈夫だ。その為にお前がいる。この士燮に代わって、士徽よ、お前が交趾を治めよ。分からんことがあれば士壱と陳時に聞け、士祇を支えよ、良いな?」


「……承知しました」


「それと、これを聞いて孫権の小僧が何をするのか、俺には手に取るように分かる。だが、敢えて言わないでおく。お前の機知で乗り越えられるだろう。俺の事はもう気にするな」


「必ず、守り抜きます」


「気負わなくていい。交州よりも、自らの身を案じよ。曹操の下に逃げても、孫権に降っても、南蛮に転がり込んでも、そして劉備を頼っても、もう生きていけるだろう?」


 これが、交州を背負ってきた英傑、士燮の策謀。

 交州の置かれている厳しい現状をよく見たうえで、守りながら、同時に逃げ道も作る。

 どう転んだって生きていける。まさに、陰から天下を自分の思い通りに動かしていたのだ。


「お前らが生きていれば、交州は決して失われん。この士燮の名が、この地から消えることは無いからだ」


 自信に溢れた、悪い笑顔。

 僕もそれを聞き、ようやく笑顔を浮かべることが出来た。


「その通りですね。天下に知られずとも、交州では未来永劫語られるでしょう。僕もその名に恥じぬようせねばなりますまい」


「ふん、まだまだ若いお前が俺と張り合おうなぞ、百年早いわ」


 ひとしきり笑い、親父は外を眺める。


「外に目を向け続けた、そのせいで足元を疎かにした。お前も気を付けろよ」


「内を固める事から始めます」


「それで良い。魯陰を今、遼東に潜らせている。上手くいけば遼東を好きに動かせるだろう。これをよく活用するといい」


「承知しました」


「ふむ……少し疲れたな。華佗を呼んでくれ。お前も、体には気を付けろよ」


「親父も、どうか安静になさって下さい」


「おう」





「すまんな、華佗先生。まさに貴殿は神の腕よ」


「いえ……正直、私は今、奇跡を目の当たりにしております。人知の及ばない何かが、士燮殿を支えており、これは私の力にありません」


「ヒッヒッヒ! 妖怪と呼ばれる俺が、神の奇跡に支えられているのか。それは面白い」


 華佗は汗を拭い、士燮の体をひたひたと触る。

 血色も良い。元気なようにも見える。しかし、体は異常なほどに冷たい。


 数日前からそうなのだ。


 体は死んでいるのに、士燮は生きていた。

 このような患者を診たのは初めての事であった。


「まさか、矢の一本ごときで死ぬとはなぁ」


「孫策殿が暗殺された時と、同じ毒矢に御座います。そして私は、かの刺客が誰に命じられ、士燮殿を襲ったのかを知っております」


「言わずとも良い。無駄なことだ」


「はい、無駄なことです」


 まさかこの人は本当に、妖怪なのではなかろうか。

 華佗は士燮の体を診察しながら、その疑いをますます強くする。


「死人の受診をするのは、初めてか?」


「はい……何も、手の施しようがありません」


「そうであろう。しかし、助かった。よく、今日まで私をもたせてくれた。士徽に言葉を伝えない限りは、死んでも死にきれなかった」


「それはよう御座いました」


「あぁ……この戦乱の最中、十分、幸せに生きることが出来た。恵まれすぎていて、怖かったほどだ。されどもう、心配も、心残りもない。あとは息子達がよくやってくれるだろう」


「はい」


「長いようで、あっという間であった。だが……幸せであった」





 210年、交州を治め、妖怪と恐れられた英傑「士燮」が没した。



 民も、異民族も、交州に住む人々は皆、その死を惜しんだ。

 これほど多くの人々に親しまれ、惜しまれた人間もまた稀であっただろう。



 天下を陰から牛耳っていた妖怪の手は闇に沈む。

 ここから再び、天下はそれぞれの思惑で動き始めるのであった。




次回は、交州に残された士一族が、今後について考えます。


面白いと思って頂けましたら、ブクマ・評価・コメントよろしくお願いします!

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それではまた次回。

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― 新着の感想 ―
[一言] 謀略の影に交州を見抜けても その策源がまだ小僧とまでは依頼人が見抜けなかったのがどう転ぶのかw
[一言] 士燮の死はやはり衝撃が大きいですね。 それでも主人公と話せたのでまだ良かったですが。
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