73話 赤壁の戦い 後編
曹操の敗走。
その一報が届いたのは、于禁、劉備、ほぼ同時であった。
「曹操軍敗走! 関羽将軍、劉封将軍は追撃を開始!」
「丞相の本軍、敵襲により撤退! 江陵へと逃げておられます!」
于禁はその報告を聞き、狂わんばかりに叫んだ。
劉備を、抜くことが出来なかった。あと一歩、そのせいで勝利を逃したのだ。
「命を捨ててでも、劉備に喰らいつけ! 決して、殿の下へ走らせてはならん!!」
于禁軍は防御も捨て、命を捨てた突撃を開始。
しかし、劉備軍もまた同時に突撃を開始。先鋒は、張飛。
「兄者! ここは任せろ!」
「張飛、死ぬなよ!!」
劉備は半数の兵を割き、華容道へ進軍。目的はもちろん、曹操の首一つ。
于禁は必至に追いすがるが、張飛の精鋭がそれを許さない。
「出てこい! 于禁! 曹操より先に、テメェを地獄へ落としてやるぞ!!」
張飛がひとたび大刀を振るえば、一面が朱に染まり、数多の首が吹き飛ぶ。
飛び交う怒号。于禁は、前に出て、矛を振るう。
それは張飛の大刀とぶつかり、鈍い金属音を響かせる。
「そこをどけ、身の程を弁えろ……このクソ野郎がぁぁあああ!!」
「ようやく兄者が雲を掴み、天下へ飛ぶんだ。その願いは聞けねぇなぁ!?」
☆
華容道にようやく出たと、思った瞬間だった。
後方にはためく「劉」の旗。響く銅鑼と、馬蹄。
何度も見た。忌まわしい程に脳に焼き付く、因縁の男。
「今、勅命によりこの劉備が、曹操の首を貰い受ける!!」
烏林の方も、関羽と甘寧の軍が集結し始めている。
曹仁と夏侯淵の姿は見えない。
「殿、このまま江陵へお急ぎください。劉備は、我らが虎豹騎が引き受けます」
曹純はそう言うと、疾風の如き速さで駆け出した。
響く喧噪と剣戟の音。曹操は曹純の方を見ず、ひたすら馬を走らせる。
周囲を囲む兵は百も居ないだろう。
段々と、弓矢も届く距離になってきた。
恐らく関羽と甘寧が、追いついてきたのだ。
許褚は自らの体を曹操の盾としながら、後ろを振り向き弓を放つ。
その正確無比な弓矢は、敵の弓兵を馬から一人、また一人と落す。
「殿、ここからはお別れに御座います。何とか、お一人で江陵まで」
「虎痴、何を言う」
「長江を上った周瑜の軍が先に居るとの報告が。私がそれを引き受けます」
周瑜は、もうそこまで。
許褚は嘘を言う男ではなかった。
気づけば賈詡もどこかではぐれたのか、姿が見えない。
「大丈夫です。江陵の曹丕様、襄陽の郭嘉殿が迎えを出しておられます。あと少しです」
前方に、敵影が見えた。
万を超える大軍勢。もう、逃げられない。
「丞相、お先に失礼します」
「ま、まて! あれは、あれは敵ではない!」
高く振られるのは「曹」の旗。
周瑜でも、劉備の軍でもない、あれは江陵に残していた曹丕の軍で間違いない。
少数の兵が駆け寄ってくる。
「父上、御無事でしたか。もう、大丈夫に御座います」
「そ、曹丕、何故ここが分かった」
「郭嘉殿の言に従いました。既に河は封鎖し、周瑜本軍は曹洪将軍が足止めしております。もう、大丈夫です。後はお任せを」
全身の力が抜ける程の安堵。
曹丕はそんな曹操の体を抱きとめる。
すると後方から馬蹄が響く。
あれは、甘寧の部隊か。凡そ百を数えるほどの、少数の精鋭達だ。
「父上、さぁ、お早く。将軍も」
「曹丕様、兵を。私が追い散らします」
「いえ、許褚将軍のお力を借りるまでもありません。士幹!」
「はい!」
曹丕の側にいる、若い武人が声を上げる。
まだ成人もしていない、十代も半ば程の少年であった。
「百騎与える。初陣だ、見事武功を立てて見せよ」
「三十騎で結構! 追い散らして見せましょう」
そう言うと少年は、本当に三十騎のみを率いて、飛ぶように駆けだした。
流石に少なすぎる。しかも、甘寧の兵は孫権の軍の中でも飛び切り勇猛である。
許褚はたまらず飛び出そうとしたが、曹丕がそれを笑顔で留めた。
「よく見ておいてくだされ。あれは、私の武術の師範となる男です」
士幹の三十騎は槍の様に尖りながら、甘寧の部隊に突き刺さった。
しかし、敵も勇猛。貫くまでにはいかずそのまま囲まれ、三十騎は揉み上げられる。
終わった。そう思った瞬間、いきなり敵部隊が蜘蛛の子を散らすように霧散。
散り散りになって逃げ始め、士幹は矛先に一つの首を掲げて悠々と帰還した。
「敵の部隊長の首に御座います」
「よくやった。それにしてもよく敵の部隊長が分かったな」
「こちらが少ないと侮り、前に出てきておりました。部隊長ともなると質の良い馬に乗ってますから、一目で分かりました」
「流石だな。まさに天武の才よ」
馬を見ただけで、敵の部隊長を見極める。
許褚にはその理屈はよく分からなかったが、それを実現して見せた。それも、少年がだ。
曹丕は文武に秀でた天才である。その曹丕が認めている。
この少年もまた、天才なのだろう。許褚は、驚きの表情を浮かべたまま切り離された首を見て、それを確信した。
曹操は曹丕の部隊と合流。これを旗印に、散り散りになっていた兵も徐々に集まりだした。
虎豹騎に阻まれた劉備はそれを見てすぐに撤退。関羽もそれに同行。
周瑜軍は曹洪軍と対峙を続けながら戦線が膠着。江陵の目の前で対峙を続けている。
赤壁の戦いは、ここに終決。
郭嘉の一手により、曹操は史実よりも被害を抑えて、帰還することに成功したのであった。
これにて第三章は終結です。
まだ物語は続きますので、今後ともよろしくお願いいたします!
次回は、郭嘉が最後の一手を残します。
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それではまた次回。




