64話 亡き友に
綺麗に整った軍営。
一人で居るには少し広すぎる空間で、周瑜は静かに視線を宙に泳がす。
「……流石に、曹操だ。如何に攻めても、被害は大きいな」
幾度となく頭の中で戦を繰り広げ、少しずつ、修正を繰り返す。
しかし如何に戦おうと、必ずこちらの被害は大きかった。
孫家の名将達の命をいくつか捧げて、ようやく撃退が成功するような、そんな未来ばかりが宙に浮かぶ。
「また、一人で妄想か? 君は戦の前、多くの報告書に埋もれる策士であったはずだが、いつのまにそんな優雅な男になったのだ?」
「あぁ、魯粛か。座ってくれ」
堂々たる出で立ちの男が、周瑜の正面に腰を下ろした。
「別にどうこう言うつもりは無いが、孫策様はもう、居ないのだ。らしくないことはするな」
「分かってるよ。分かってるが、やはり、怖いのだ」
孫策は戦の前、悠々と一人で出歩き、気楽に遊びまわる様な男だった。
まさに、戦の申し子だ。天才。悩んで悩みぬく、自分とは違う人種だと思っていた。
友が戦の前、どのような気持ちだったのか、それに思いを馳せる。
やつなら、どう曹操と戦い、どう勝つのであろうと。
この戦を皮切りに、どこまで天下を駆け上るのであろうと。
「諸葛亮の前では自信を装ってみたが、怖いものは怖い。必ず勝てる策など、あるはずもない。相手はあの、曹操だぞ?」
「じゃあ何故、あのようなことを」
「昔の自分を見ているようで、意地悪をしたくなった。天下に、自分以上の人間がいるはずもないと、思い上がっていた頃の自分だ」
そんな自分の思い上がりを打ち砕いたのが、孫策だった。
この世には居るのだ。どうしたって手の届き得ない世界に居る「天才」という存在が。
如何に努力しようと、天才達はそんな努力を軽々と飛び越えていく。
「孫策が隣に居ないまま、曹操に勝てるとは思えないのだ。だからせめて、あの友に近づこうと思った」
「そうか」
「これで、最後にする。この戦が終わればきっと、孫策の死を受け入れ、一人で立てるような気がする。それまではまだ、共に戦わせてほしい」
「構わないさ。大将はお前だ。あと、報告が来てる、受け取れ」
魯粛が放った書簡を受け取り、周瑜は目を通す。
「曹操が動いたか」
「あぁ、数日のうちに烏林に着陣するみたいだ。兵の数は十八万。船は急揃えだが、十万が収容できるだろう」
「五万に行くかどうかと見ていたが、そこまで揃えたか」
「なんでも船を全て鎖に繋ぐことで、船の機動を無視し、多くの兵を乗せるようにしたみたいだ。これなら調練をしてない水兵でも戦場で戦える」
「こちらとは真逆だな」
周瑜の水軍は小さく機動性の高い船が中心で、練度の高い水兵が船を自在に操ることで水上で無双の強さを誇っていた。
まさに陸上で言う騎馬兵と同じだ。素早く動いて要所を抑え、攻め滅ぼす戦である。
それを見てか、曹操は船を要塞のようにした。
騎馬兵は、要塞相手には役に立たない。
なるほどこのような戦い方があるのかと、周瑜は思わず眉をしかめてしまう。
「劉備軍は」
「夏口から水兵、陸兵合わせ二万を北岸後方に置くとのことだ。先鋒の大将は関羽」
「こちらの要請通りか。意外だな」
「ただ、諸葛亮から密使が届いている」
「ほぅ」
「北岸に着き次第、少しずつ兵に烏林を越えさせ、襄陽からの兵を抑える為に布陣させると。その場合、北岸に残るのは関羽率いる兵が二千のみ」
魯粛は不思議そうな顔でそう伝えると、周瑜は嬉しそうに笑った。
何がそのようにおかしいのだろう。これでは、こちらが曹操の全軍を受け止めなければならない。
これでは、何の為の共同戦線だというのだろうか。
「分からないか、魯粛」
「襄陽の兵は僅か二、三万。曹操軍は二十万。劉備は楽な方を相手にしたと、俺は見る」
「僅か数万、されど数万。二万もいれば、こちらの連合を相手取るには十分だ。それに、これはただの後方部隊ではない」
「というと」
「曹操配下きっての精鋭達だ。彼らがひとたび動けば、我らは烏林で曹操を破っても、容易く防衛されるであろうし、破られれば一瞬で退路を断ってくるぞ」
「な……」
「ここを抑えるのは戦略上、極めて有効だろう。まぁ、我が軍が勝てれば、の話だ」
自分に対抗心を燃やす、あの諸葛亮の顔を思い出す。
どちらが多くの戦功を立てるか、これはそういう勝負だと言いたいのだろう。
「ふふっ、もう勝った後のことを考えやがって、やはり劉備は大物だ。ならば、負けてられないなぁ」
今、曹操が求めているものは何か。
曹操はどのように勝とうとしているのか、周瑜は頭を巡らせる。
これは、自分と曹操の一対一だ。兵数の勝負ではない。
そう考えれば、勝ち目はある。
「魯粛、例の策は進んでいるか?」
「勿論だ。やはり、殿は名君だな。言わずともこちらの意図に気づいてくれている」
「ならば、良し。勝つぞ、この戦」
「勿論だ」
「気を抜いていると、諸葛亮に先を越されるからな」
あぁ、孫策。君は戦の前、このような気持ちだったのか。
溢れんばかりに血が熱く滾っている。
これこそが、孫家の戦なのだ。
三国志の歴史の中で、孫策の死ほど、劇的な事件って無い様に思うのです。
あまりにも事実は小説よりも奇なり、みたいな。出来過ぎなほどに仕組まれた暗殺。
やっぱり曹操が暗殺の手配をしたのかなぁ、なんて。
次回は、劉備が出陣の号令をかけます。
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それではまた次回。




