53話 虚実の策
孫子の兵法において、一貫して言われている大原則がある。
それは「自分よりも強い相手とは戦うな」という点だ。
戦の「敗北」は、ともすれば国の滅亡にもつながる。
だからこそ、負けない為にどうするか。それが孫子の兵法で散々述べられている点だ。
日本の剣豪であった「宮本武蔵」がどうして負けなかったのか。
それは、自分よりも強い相手と決して戦わなかったからだ、という話がある。
他にも、あの「織田信長」がどうして戦国の覇者となり得たのか。
その要因の一つに、戦国最強と言われる「武田信玄」「上杉謙信」と直接対決をしなかった為、というのもあるだろう。
勝ちたければ、強い相手とは戦わずに逃げなければならない。
劉備も今まで、そうやって生き延びてきたはずだ。曹操が来たら、逃げる。
しかし今回の戦は、そうもいかない。
袁紹に曹操が勝った今、この戦に敗れれば、劉備が逃げることの出来る地は既に無い。
徐庶は、それが分かっていた。
誰よりも、自分の主の命が今、如何に危ういかを知っていた。
曹操という大波の前で、懸命に逆らおうとする砂の山だ。飲み込まれてしまうのは、火を見るよりも明らかだった。
「私は、商家です。商いの話しかできません。されど商いは、戦にも通ずる。互いに損益が大前提としてあるからです」
麋竺さんは、僕と徐庶さんの様子を、汗を滲ませ眺めていた。
僕は言葉を続ける。
「兵法論において、強者との闘いは避けるべき、という記述はよくあるものでしょう。商いも同じ。大商人の占める地区で新規の事業を起こしてもすぐに潰されます」
「軍師たる私に兵法を説くか。続けよ」
「しかし、皆初めは、少ない元手から商いを始めます。初めは強者を相手に、やっていかねばいけないのです。故に、事業を大きくする為に意識しておくべき点、というものが存在します」
指を二本立てる。
この二つの原則こそが、弱者が強者に勝り得る要素。
「一つは、先を制すること。新たな事業の気脈を感じ取ったならば、誰よりも先にその位置を取り、先行有利を勝ち取ることです。例えば、自分にしか出来ない技術を誰よりも先に確立させれば、その位置においては弱者であろうと、利益を総取り出来ます」
ベンチャー企業が取るべき戦略が、まさにこれだろう。
いきなり大企業と同じ土俵に立てる訳もないのだから、どこかで先行有利を確立することで事業を軌道に乗せるのだ。
「二つは、集中すること。そもそも元手が少ないのだから、全てを一つの事業に投じるというものです。大きな資産を持っている商家は、採算を合わせる為に様々な事業に手を出しています。なので、全力を出せばこの事業において上回れる、という個所を見つけ、集中することで勝ちに行くのです」
大企業があまり本気を出してない事業に腰を据えて、位置を確立するやり方だ。
廃れた商店街が、チェーン系のスーパーやコンビニに勝つためには、敵を知り、敵の持たないところに力を集中させる。
商店街の駐車場を利用すると、ショッピングカートの使用が可能という「洪福寺松原商店街」なんかはその好例であろう。
この二つの戦法とも、よくよく見れば「強者から逃げ、勝てる相手と戦う」という理には適っている。
相手の得意に立たずに、隙間で勝っていく戦術。これこそが、弱者の戦法だと言える。
「孫子の『虚実』の兵法と同じだな」
徐庶さんは考えこむように、その場で唸る。
そう、まさしくそれだ。
どうしても強者との戦いに臨まなくてはならないとき、それを孫子は「虚実」の章に記している。
大勢ではなく、局所で勝っていく。これでのみ、弱者は強者と対抗出来るのだ。
「これを戦場で考えるならば、まずは曹操軍を分散させ、こちらは戦力を集中。局所的な要地を先に抑え、主戦場を敵に見誤らせ、奇襲で砕く。これが勝利の大前提となります」
「その通りだ。まさしく。兵力差ばかりに目が行っていた気がする。だが……相手は、あの曹操だ」
それがやはり、一番の懸念点だった。
曹操はまさしくこの戦術を神の如く用いることで、袁紹を降したのだ。
こちらの思い取りに動く相手ではない。
「しかし、一つ、曹操軍は今、隙があります」
「何?」
「それは、勝ち過ぎていることです。人の心は万能ではありません。一番気が緩むときというのは、勝ち過ぎているときです。孫子にもあります。大勝してはならない、それは大敗に繋がるからだ、と」
「何か、必ず勝てる策、それはあるか?」
「私は軍人でも、軍師でもありません。商人です。徐庶様以上の策謀の知恵は持っておりません。道理を弁えるのみ」
「まさしく、そのとおりだ。ここで必勝の策を言われてしまえば、雷豊殿は、韓非と同じ運命を辿ったであろう」
徐庶はそう言って笑い、短刀を抜くと、鞘に戻して懐に収める。
気づけば、服は雨に打たれたかのように、汗で濡れていた。
「雷豊殿、武具の件は保留とする。ただ、明日より私の側に付け」
「な、わ、私が、ですか? 先にも述べましたが、私は軍人ではなく……」
「知ってる、何度も言うな。話し相手になってくれるだけでいい。我が策謀が正しいかどうか、貴殿の意見を聞きたくなった」
「し、承知しました」
「よろしいですかな、麋竺殿。貴殿の客人であるが、少し貸してくれ」
「雷豊殿が承知したならば、言うことはありません。それにしても、肝が冷える思いをしました」
涼やかな表情なのは、徐庶一人。
絶対に僕の寿命、何年か縮んだよ、これ。
今回のお話は、書いていて結構、楽しかった印象があります(笑)
あ、話に出てくる「韓非」ですが、簡単に言うと「有能だった為に妬まれて殺された人」です。
そのうち絶対、キングダムでも出てくると思う。うん。
次回は、魯粛と張昭が大喧嘩の巻き。
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それではまた次回。




