2-7.ランチは青空の下で
お昼休みを迎えて図書館を出ると、既にエマさんは門の前に立っていた。紙袋を片手に抱えて、逆手を大きく振ってくれる。その明るさに笑みが零れた。
「待たせてしまった?」
「あたしも今来たところよ。さ、行きましょ! 」
どこに行くのだろうと思いながら、わたしはエマさんと共に歩き出した。
何となく周囲を伺ってしまうのは……使節団を見たくないから。ううん、違う。王女様と一緒に過ごすノアの姿を見たくないからだ。
彼に会いたいけれど、でも……二人並んだ姿を見るのは怖い。
幸いにもアンハイムの人達に会う事はなかった……というか、随分と人の通りが少ないような気がする。この先にあるのは公園だけど、大通りではなく裏道を歩いているからだろうか。
……もしかしたら、これはエマさんの気遣いなのかもしれない。そう思うと、また泣きたくなってしまって。随分と涙脆くなってしまった自分に溜息が漏れた。
「今日はピクニックよー! この後お仕事じゃなかったら、ワインの一本や二本も空けたいところなんだけど」
「ふふ、確かにお外でワインを飲むのも楽しそう。お天気もいいし過ごしやすいわ」
公園の端っこ、芝生の上に敷物を広げたエマさんが座るように促してくる。エマさんの隣に腰を下ろして見上げた空は、吸い込まれる程に深い青色をしていた。薄く掛かる雲は水で伸ばした絵具みたい。
夏の気配を感じさせながらも、木陰を選んでいるからか暑くはない。抜けていく風が爽やかに、緑の匂いを運んでいった。
「あたしとしてはワインも持ってきたかったんだけど、うちの人に止められちゃって。美味しい白ワインが入ったから、今度飲みに来て頂戴」
「ええ、必ず行くわ」
「ありがとう。ワインの代わりに準備をしてきたのは桃のアイスティーなの。で、こっちがあまりりす亭特製ランチよ」
はい、と渡された小さな木の器を受け取った。木目も美しい四角い箱の蓋を開けてみると、くるくると巻かれたクレープが綺麗に並んでいる。色が濃いものもあるから、これはガレット生地だろうか。
「わぁ、可愛い」
「味も抜群なんだから。食べましょう」
にこにこと笑いながらエマさんが木製カップを渡してくれる。ふわりと桃の甘い香りがするそれを覗くと、カップの中には小さく切った桃が沈んでいた。
ランチを膝の上に載せ、カップを一度敷物の上に置く。カップは底が広がっているから、こぼさないで済みそうだ。
両手を組んで祈りを捧げるけれど、やっぱり早口になってしまうのはご愛嬌ということで。
早速ひとつを手に取った。
綺麗な薄黄色の生地に包まれているのはレタスと鶏肉、茹でた卵を刻んだもの。トマトソースの赤がとても綺麗。
あまり大きく作られてはいないから、口に入れやすい。一口食べてみると、酸味の強いソースと甘いクレープ生地、それから柔らかい鶏肉がとても美味しかった。
「美味しい」
「良かった。たまには外で食べるご飯もいいわねぇ」
「ええ、とっても気持ちがいいわ」
明るい雰囲気に、今だけはもやもやとした気持ちも消えてしまいそう。
きっとエマさんもノアの件を知っているのだと思う。それでわたしを元気づけに来てくれたんじゃないか……なんていうのは、自惚れだろうか。
「エマさん……ありがとう」
「ん? あたしはただアリシアちゃんとご飯を食べたかっただけよ。でも……話したい事があったら何でも聞くわ」
ふたつめのクレープに手を伸ばしながらエマさんが笑う。それがいつものあまりりす亭で見る時と同じ優しい笑顔だったから、何だか我慢が出来なかった。
浮かんだ涙が頬を伝って落ちていく。家族の前でも我慢は出来たんだけどな。あまりりす亭の雰囲気が、そうさせてしまうのかもしれない。
「……エマさんも、ノアと王女様の噂話は知っていると思うんだけど」
「まぁねぇ」
指先で涙を拭ってから、次のクレープへと手を伸ばした。ガレット生地のそれは、口に寄せるとふんわりと香ばしい香りがする。中にはボイルされた海老とチーズが入っているようだ。
「あと数日で王女様は帰国なさるから、それまでの我慢だと分かっているんだけど……もやもやしてしまうの。会えないのも辛いし、王女様の側にいるノアを見るのも嫌なの」
エマさんは頷きながら話を聞いてくれている。赤い大輪花の髪飾りが風に揺れた。
「ノアの気持ちを疑うわけじゃない。そういう人じゃないって、分かっているもの。それでも何だか不安になるし。周りの人がノアに対してどんな気持ちを持っているのか……そんな事を考えたら余計にもやもやしてしまう。……本当は、お仕事の事なのにヤキモチを妬いちゃう自分も嫌。もっと大らかに、気にしないでいられたらいいのに」
「嫉妬しちゃうなんて当たり前でしょ。好きな人の側に、仕事だろうが何だろうが他の女がいていい気分になるわけないわ」
強い口調に目を瞬いた。当然とばかりに言い切ったエマさんはわたしの額を指でつつく。
こんな気持ちになるのは、わたしだけじゃないのだろうか。
「それだけノアくんの事が好きっていう事でしょ。別にそのもやもやも嫉妬も、無くしてしまわなくてもいいじゃない。まぁ……それがあるから嫌な気持ちになってしまうのも、あるんだけれどね」
恋って本当に難しいわ。
そんなエマさんの言葉が風に乗って消えていく。
そうだ。
わたしがこんな気持ちになってしまうのは、間違いなくノアの事が好きだからだ。
彼にはわたしだけを見つめていて欲しいし、わたしの傍に居て欲しい。
優しい眼差しも、揶揄うような軽口も、抱き締めてくれる腕の温もりも、わたしだけに向けていて欲しい。
そして彼は──わたしだけにそれをくれるって分かっている。
「……ありがとう、エマさん。なんだか少し、気持ちが楽になったかも」
「そう? まぁあと数日だし、ノアくんのお仕事が終わったらまたうちに飲みに来てね」
「ええ、必ず行くわ」
そうだ、あと数日。
ずっと自分に言い聞かせていたのに、何だかそれをちゃんと理解出来たような気がする。
大丈夫。今なら胸を張って、そう言える。
安心したら何だか一気にお腹が空いてしまって、わたしはクレープにかじりついた。
酸味のあるソースが掛かっていて、海老の旨味とよく合っている。チーズはそれを邪魔しない、むしろまろやかにしているようにも思えるくらいだ。
二つ目をあっという間に食べ終えたわたしは、カップを手にして紅茶を頂いた。
桃の甘さが紅茶に溶けて、うん、これも美味しい。くどいような甘さではなく、爽やかに口の中をさっぱりとさせてくれるのは、紅茶が濃い目に淹れられているからだろうか。
さて、次はどの味を……と思った時だった。
ランチを食べ終えたエマさんが、紙袋からおやつを取り出している。鳥の形に型抜きされたクッキーのようだった。
「いっぱいあるから、食べきれなかったら持っていってくれる? 小分けして包んであるから職場で配って貰えたら助かるわ」
「それは嬉しいけれど……マスターは、今度はクッキー作りにはまっているの?」
「型を作るところから自分でやるくらい、入れ込んでるの」
型を?
そこまでやるのかと驚く半面、マスターならやりそうだと納得してしまう自分も居て。可笑しくなって笑ってしまった。
つられるようにエマさんも笑うから、賑やかな声が青い空に溶けていく。
ノアのお仕事が終わったら、この話もしよう。そんな風に思えるランチの時間だった。




