第59話 勇者バンザイ3
「わぁ! ちょっと待て! ちょっと待て!」
「待つものか! そう言う人々を何人殺してきた! この化け物め!」
勇者はハスキーを掴み上げ、拳を振り上げる。
「う、うそだろ? ボーズ」
「虹の鎧をどこへやった。言え」
「お、オマエ、その拳をどうするつもりだ……」
だが回答もないまま、無情にも振り下ろされる拳。さすが勇者。一撃が重い。
「ふっ……家庭内暴力かよ。悪い子だな……オマエは」
「お、おかしい。普段なら12柱の神々の加護により一撃で形がなくなるはずだが?」
「おとっつぁんには12柱の神々の加護も及ぶまい」
「さっきから何を言っているんだ?」
勇者がハスキーにもう一撃くわえようとしたその時、
「お、おやめ下さい!」
女湯の脱衣所より駆け出してきたミューがハスキーの前に立ち守った。
「この者は魔物に見えても勇者さまのお供です。もうじきお風呂から出てくる勇者さまがそれを証明して下さいます」
「わ、私は仲間はとらないことにしている。キミは何を言っているんだ?」
噛み合わない会話。ミューにはまだ現状が分かっていない。ハスキーが知らない青年に襲われたと思っている。
たくましい肉体を持つ、美男な青年。それを勇者とは結びつけられなかった。
勇者は勇者で、この二人の記憶が完全にすっ飛んでしまっていた。
ミューは口に手を当てて男湯の方へ向かって叫んだ。
「勇者さま」
「はい?」
「勇者さまぁ!」
「はぁい」
だが返事が目の前の青年から返ってくる。そちらの方に目を向ける。夢で見た大人になった勇者と同じ顔がそこにある。
ミューの唇はブルブルと震えた。
「どうやらそのコボルドはキミの飼い魔物か何かなのかい? 妙に人慣れしているし神の加護も及ばない無害なものらしい。しかし、私の鎧を盗んだようだ。あれがないと使命が果たせない」
「鎧は……虹の鎧は私の家にございます……」
「やはり」
勇者はミューのことをハスキーを使って鎧を盗んだものと思い込んだ。カワイイ顔をしてとんでもない少女だとも。
ミューにしてみれば、無人になった家を守るようにと勇者から借りた虹の鎧だったのだ。しかし今の彼は完全にそれを忘れてしまっている。
「返してはくれまいか? 返してくれたらそれ以上は咎めようとは思わない」
「は、はい……。すぐに取りに向かいます」
「み、ミュー! なんで黙っているんだ。やい、ボーズ。オレのことは忘れたっていい。しかし、ミューのことを忘れるだなんて!」
「一体何のことだ」
「ハスキー。いいの。もう……いいのよ」
ミューは部屋に戻り、自分とハスキーの荷物をとった。勇者の荷物は中央のベッドの上に置く。勇者の道具袋から、彼の大人の頃の着替えを出してそこに置いた。聖剣グラジナは眠っているようだ。それも荷物の横に置いた。
戻って行くと、勇者に襟首をもたれているハスキーが無言で力なく立たされている。顔には殴られて血がにじんでいた。あまりと言えばあまりの姿だ。今のハスキーは人質。自分が出立の用意してくる間の人質だった。
勇者は完全に自分たちのことを忘れてしまったのだと感じた。
ミューの目から涙がこぼれる。今まで楽しい旅をしてきた。
それを忘れてしまっている。
助け合ったことを。
好きだと言ったことを。
お嫁さんにしたいと言ったことを。
それを覚悟はしていたもののやはり辛い。
今の自分たちは勇者の顔見知りでもないのだから。
「ハスキーを放して下さいませ。勇者さま」
「ええ。必ず鎧をお返し下さいよ。しばらくこの街に滞在しますが、本当ならすぐに魔王討伐に出発したいのです」
「ええ。昼夜を駆けても」
「え? あなたの家はこの辺ではないのですか?」
「そんなことも忘れちまったのかよ……」
ハスキーは血を地面に吐き出した。殴られて口の中が切れ鉄の味がする。
そしてミューの横に並ぶ。ミューは深々と頭を下げた。
「必ずや鎧をお届けします。さぁ、ハスキー行くわよ」
「おう」
二人は宿の外に出ようとしたが、勇者は見送ろうともしなかった。女子の前でマントを腰に巻いている。恥ずかしいのでさっさと着替えたい気分だったのだ。
そんな勇者にミューは振り返って問うた。
「勇者さま。……約束を覚えてますか?」
「もちろん」
その言葉にミューの顔は僅かに明るくなる。
勇者もその笑顔につられて笑った。
「必ずや魔王を倒し、人類を救う。それが私と神々の交わした約束です」
ミューの顔が下を向いてしまった。
二人の大事な約束を勇者は忘れてしまったのだ。
「……そうですよね」
ミューとハスキーは宿から出て荷車に乗り込んだ。




