04.偶然と誤解と勘違い(1)
「いらっしゃいませ。——おや、珍しいですね」
そんなある日。夜の部開店直後のごった返す酒場でアーニーが出迎えたのは、診療所の看護助手たちのグループであった。
「やあ、アーニー。今日はお世話になるよ」
「いらっしゃいモズリブさん。それに皆さんも」
診療所もまた酒場と同じく昼夜営業だが、夜間は主に急患の対応と薬の処方だけなので宿直を置いているだけだ。そのぶん、陽暮れ後の遅い時間まで診察を受け付けていて、いつもならこの時間はまだ彼女たちは診療所で忙しく働いているはずなのだが。
「今日は患者が少なくてねえ。早めに店じまいってわけさ」
「ああ、そうだったんですね」
「それで、せっかくだしたまには皆で一緒に食事でも、と思ってね」
要するに、たまには職場の懇親会でも開こうかという話になったのだと、看護助手たちのリーダーでもあるモズリブは言った。
パッツィが分隊長に就任して以降、分隊内で小隊ごとの懇親会を推奨しているのは有名な話だ。その話が広まるにつれ、ゴロライの町では分隊に倣って職種ごと、あるいは職場ごとにそうした飲み会を開くことが増えてきている。今回の彼女たちもその一環だろう。
「それに、この子の歓迎会もそろそろ開いてやらないとねえ」
「わぁい、嬉しいです姐さん」
そう。グループの中にはあのクレイルウィもいたのだ。というか今の話だと、彼女が主賓ということになる。
「ええと、団体様なので少しお待ち頂いても構いませんか?テーブルをひとつ空けますので」
「済まないねえ、よろしく頼むよ」
せっかくの職場懇親会なら、バラバラのテーブルに案内するわけにもいかない。なのでアーニーは彼女たちを待たせ、テーブルが一卓空くのを待ってから席へと案内した。
まあ予約ではなかったせいで、その間にやって来た他の客に「あそこが空いているじゃないか」と詰められもしたが。だが診療所メンバーのための席だと言えばそれ以上文句も出なかった。なんと言っても町唯一の診療所なので、誰しも彼女たちの恨みを買いたくなかったのだろう。
そんなわけで始まった診療所メンバーの懇親会だったが、当然というかクレイルウィの存在感ばかりが際立つ結果になった。そりゃもう輝くような金髪と弾ける笑顔が魅力的な彼女である。どれほどの猛威だったかと言えば、しばらくして入ってきたゴージャスが「おれよりキラキラしたやつがいる……」と打ちひしがれて退散したほどだった。
こんな辺鄙な田舎の、繁盛しているとはいえ粗末な作りの小さな酒場には、彼女の美貌は全くもって似つかわしくなかった。周囲の客たちが「頼むから王都とかの有名一流店でメシ食っててくれ……」と心中願ったくらいには。
そこへ、何も知らないパッツィが第四小隊を引き連れてやって来た。そう、かねてより計画していた第四小隊懇親会兼サンデフ歓迎会が、まさに今夜だったのである。
「いらっしゃいませ!奥の席へどうぞ!」
アーニーの朗らかな声に背を押されるように、酒場に到着したパッツィたちは予約で確保されていた奥のテーブルに陣取った。診療所メンバーの席とはちょうど対角線上の一番離れた位置になる。
「それにしても、ゴージャスがどうして急に帰ってしまったのかと思っていたが……」
「ああ。単に予約の確認に先行してもらっただけだったんだがな」
「んまあ、これじゃあ納得よねえ」
パッツィ、スタッド、トラシューがそれぞれ深く頷いているのは、言うまでもなくクレイルウィの天使な美貌を見つけたからだ。店内を見回すまでもなくその一角だけ雰囲気が全然違うのだから気付かないわけがない。
「おいおいフレンドたち、酷いじゃないか放してくれよ」
「オメーにこれ以上面倒事増やされてたまるかっつうんだよ!」
「ホント、見境ないのも大概にしなさいよねアンタ」
「フラートにだけは会わせないようにと考えていたんだがな……」
そしてフラートが早速クレイルウィを口説きに行こうとして、スタッドとトラシューに組み伏せられていたりする。それを見て頭を抱えるパッツィである。
そんな中、パッツィたちと一緒に席についたサンデフが、看護助手たちの卓を見て柔らかく微笑んだ。それに対してクレイルウィの方でも微笑みを返してきたように見えたのは気のせいだろうか。
「……あれ?」
「ん、どうしたよ分隊長」
「いや……」
サンデフとクレイルウィ。どちらも輝くような金髪で、天使かと見まごうばかりの絶世の美男美女。これはもしや……?
「そういや、例の噂知ってるか?」
「ああ、『王都で何かやらかしてこの町に逃げてきたお貴族様のご令嬢がいる』ってやつだろ?」
そんな中、ふたつの“天使の卓”に挟まれたテーブルで飲み食いしている木こりと猟師の会話が聞こえてくる。
話の内容は、ここ数年でゴロライの町で耳にするようになった、とある噂だ。ゴロライだけでなくチェスターバーグでも広まっている噂なので、パッツィを始め分隊メンバーも当然耳にしている。だがこれまで、その貴族令嬢が一体誰なのか、突き止められた者は誰もいなかった。
(……まあ、それ多分私のことなんだろうけど)
別に王都でやらかしたわけではなく、むしろやらかされた側ではあるのだが、ゴロライに逃げてきた貴族令嬢という意味ではまさしくパッツィ自身を指していると言っていい。実家の隠蔽は完璧なはずだが、そんな噂が広まっているということは、おそらくは元婚約者の実家が探し出そうとしているのだろう。
だがこれまで、そうした追っ手の気配を察したことはなかった。だからパッツィは気にしつつも、努めて無視してきたし噂の打ち消しなども行ってこなかったわけだが。
「あの例の噂、もしかしたら“診療所の天使”のことなんじゃねえの?」
「……あっ!それあり得るな!」
(…………えっ?)
そりゃまあ確かに、クレイルウィはアングリア貴族のご令嬢だと言われても納得しかない美貌を誇っているが。
だが彼女はカムリリア人だという話だったし、名前もカムリリア語にしか思えないのだが?
(いや、でも、王都グリンドゥールから逃げてきた……?)
カムリリア人なら確かに、王都グリンドゥールにいても不思議はない。パッツィが王都にいた頃には彼女を見かけた記憶はなかったが、パッツィ自身が王都を離れてすでに7年経っている。
7年前といえば、クレイルウィはおそらく10歳前後だったはず。だとしたら、歳の近いはずのグウェンリアンなら何か知っているかも。
(……なんて、連絡も取れないのに確かめられるわけもないわね)
実家を経由すれば、おそらくグウェンリアンとも連絡がつけられるだろう。だが彼女に自分の居場所を知らせたら、そこを基点に噂が立って元婚約者の実家に捕捉されかねない。だからこそ一番仲の良かった又従姉妹にすら自身の居場所を知らせられないでいるというのに。
「……ん?そう言えばフラートはどこへ?」
「えっ、フラートさんならその席に……いない!?」
「あっあの野郎!」
つい先ほど口説きに行こうとするのを阻止したばかりだったのに、ちょっと目を離した隙にフラートが看護助手たちの席にいるではないか。
「おお、麗しのレディ。今宵貴女とお近づきになれたことを心より喜ばしく思います。つきましてはお名前を伺っても?」
「なっ、アンタいつの間に!?」
「ちょっと!その子から離れなさいよ!」
突如現れたナンパ師に気が付いて激しい敵意を向けてくる看護助手たちなど目に入らぬかの様子で、跪いたフラートはクレイルウィの手を取ってその甲に口づけを——落とす前に、サッと手を引き抜かれた。
「どなたか知りませんがごめんなさい。わたし、もう心に決めた人がいるんで。さようなら」
連れ戻そうと慌てて駆け寄る第四小隊&パッツィと、クレイルウィを守ろうと立ち上がった看護助手たちの目の前で、彼女はキッパリとそう言い放ちニッコリと微笑んだ。
まるで後光が差したかのような輝かんばかりの笑顔に、跪いたまま呆然としたフラートが、まるで浄化されたかのように塵と化してサラサラと崩れていく。
まあもちろん、そう見えただけだが。パッツィたちは看護助手たちに「済まない、うちの者が迷惑をかけた」「二度と近寄らせねえから、どうか収めてくんねえか」などと詫びつつ、硬直したままのフラートを引きずって、ひとり取り残されたサンデフの待つ元の席へ戻って行った。
「……あの子、『もう心に決めた相手がいる』と言っていたな」
「あんな極上の女を、一体誰が仕留めやがったんだ……クソ!」
「んまあ、もうお相手がいるっていうならダメよねえ。スタッドも諦めなさいな」
第四小隊のナンパの不文律として、『決まった相手のいる女性には手を出さない』というものがある。男女関係のもつれはとかくトラブルになりがちで、批判もされやすい。町を守るはずの分隊員が町民に不信を抱かせては元も子もないのだ。
だからこそ余計に、それを平気で破ってくるフラートには悩まされていたりする。だがクビにしようにも騎士としてはそこそこの実力を持ち、騎士団への忠誠心に関しては全く問題がないため、本部もなかなか処罰できないでいる。いっそ問題を起こして刃傷沙汰にでもなってくれれば流石に解雇できそうだが、それはそれで女性が被害に遭うのを黙認することになるから悩ましいところである。
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