12.勘違いと暴走の結果
「酷い怪我じゃなくて良かったですね、分隊長」
「ああ。事前にかけておいた[物理防御]が効いていて助かったよ」
診療所からの帰り道。茜色に染まりつつある空の下、フィーリアと話しながらパッツィは歩く。模造剣で叩かれた側頭部も突かれた腹部も打撲程度で、大きな怪我にはならずひと安心といったところ。念のため黒加護の術者に[回復]をかけてもらったこともあり、通院も必要ないとの診断だった。
だがそれにしても、あの天使さま。クレイルウィと名乗った超絶美少女の存在が頭の片隅から離れない。
「天使さまの彼氏って、一体どんな人なんですかねぇ?」
「さあな。だが、互いに愛し合っているのなら問題ないんじゃないか?」
あれでフリーだったりすると、ゴロライ中の独身男性の間で骨肉の争奪戦が勃発しかねなかったわけだが、とりあえずその懸念はなさそうだしそこは良かった。だが中には決まった相手がいようとお構いなしに言い寄るような、倫理観に乏しい奴もいるのが実情だ。
そう、例えば第四小隊員のフラートなどは特にそう。言葉巧みに口説かれベッドに連れ込まれた挙げ句に弄ばれた、なんて被害の訴えが年に何件もあるのだから困ったものだ。
「……とりあえず、フラートは診療所には近付かせないようにしなくてはな」
「あー、あの人ホント女の敵ですもんねぇ。あたしもう顔も見たくないですぅ」
フィーリアも入隊直後に言い寄られて危うかった時期があった。まあその時は、過去に口説かれた経験のあるパッツィがすぐさま助けに入ったことで事なきを得たのだが。
「…………もしや、アーニーでは!?」
唐突に脳裏に閃くものがあり、パッツィは愕然とした。
そう、アーニーならばあの天使さまとお似合いなのでは!?
「……えっ?」
「まさか……いや、そんな……だけど」
思えばアーニーだって他所からの流れ者なのだ。彼がゴロライの町に住み始めて少なくとも5年は経つが、アーニーよりも少しだけ若く見えた天使さまはその頃おそらく10代前半だったはずで、きっと駆け落ちするのも難しかったことだろう。
それが今になってようやく、成人してひとりで考え行動できるようになってから、満を持してやって来たのだとすれば。
「あのー、分隊長……?」
いや、そうだ。きっとそうに違いない。
アーニーも普段は着飾ったりしないが、あれでよく見たら市井の若者としては類を見ないほどの美形で、王都でイケメンを飽きるほど見てきたパッツィでさえ思わず目を惹かれるほどなのだ。もっと若かった頃はそれは可愛らしい美少年だったはずで、あの天使さまが惚れたとしても驚くに値しない。
「……そう、そうよ!きっとそうに違いないわ!」
「だからぁ、何がですかぁ?」
おそらくアーニーは追放されたか何かで、成人直後に身ひとつでこの町まで逃れてきたのだ。そして彼女、クレイルウィとももう会えないと諦めて、それでも腐ることなくこの町で頑張っているのだろう。
私に告白してくれたのだって、彼女を諦めたことの裏返し!私への同情なんかではなく、諦めきれない彼女への想いを振り切ろうと頑張っていたのね!でもその彼女が追ってきてくれたと知ったなら、彼きっと泣いて喜ぶはずだわ!
「こうしてはいられないわ!彼に知らせてあげないと!」
「ちょっと分隊長ぉ!?そんなに急いでどこ行くんですかぁ!?」
突然立ち止まりブツブツ言い出した挙げ句に急に走り出したパッツィに、微塵もついて行けてないフィーリアが慌てふためく。その彼女の問いかけに「酒場だ!」とだけ返して、パッツィはあっという間に酒場のある中央広場の方に駆け去って行ってしまった。
「酒場って、分隊長……晩食にはまだ少し早くないですかぁ……?」
独り取り残されたフィーリアのその呟きは、茜色の濃くなる空に虚しく消えていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわああああああん!」
すっかり陽も暮れてしまったあとの酒場で、人目もはばからず大泣きしているのはなんとパッツィであった。
周りには飲み干された空のジョッキがいくつも並び、食べ散らかした料理の皿も何枚もある。その真ん中でテーブルに突っ伏して、彼女が声を上げて泣いているのだ。
「分隊長さん、もう元気出して下さいよ」
「だってぇ!うわああああん!」
普段とは違う意味で女らしさが微塵もない。いやこの場合はむしろ淑女らしさと言ったほうが適切だろうか。
「ひっく、だって、黒烏に誓ったのに負けてしまったのよおおおお」
黒烏は現在のカムリリア国邦の中央騎士団の名であり、かつてのポウィス王国、つまりパッツィの出身国の騎士団の名でもあった。彼女の生家カースース侯爵家は旧ポウィスの黒烏騎士団の中核を成していた武門の家系である。
つまりパッツィが黒烏に誓ったのは、カムリリア人だからというだけに留まらなかった。生まれるずっと前に統合消滅してしまった国だがそれでも祖国であり、その祖国と生家の誇りに誓ったからこそのあの文言だったのだ。
「負けちゃったのは残念ですけど、でも正々堂々って誓いは守ったんでしょう?」
そして、そんな彼女の隣に座ってその背を撫でて慰めているのはアーニーだ。彼女が泣き始めてから放してもらえず、ずっと彼女の相手をさせられているのだ。
まあその割に嫌がる素振りはないし、言葉の端々に心底からの気遣いを見せているからこそ、パッツィが珍しく甘えているのだろうけれど。
ちなみに、アーニーを取られたことで普段の倍以上の忙しさになっている猫人族のミリからはときおりものすごい視線が飛んでくるが、パッツィは全く気付いていないしアーニーは苦笑しつつも無視している。
というかまあ、酒場に慌てて駆けて行った彼女が何故こんな状態に陥っているのかと言えば。
「診療所の新しい子、ですか?僕はまだ会ったことはないですけど、とっても気立てが良くて綺麗な子なんだそうですね?」
アーニーが天使さまことクレイルウィを「知らない子」だと言い切ったからだ。
「え……アーニー、知らない子なのか?」
「はい。ありがたいことに健康な身体に育ったから僕は風邪ひとつひきませんし、診療所にお世話になったこともないんです」
「だ、だが、アーニーは確かアングリアから来たと言っていただろう?」
「確かに僕はアングリアの出身ですけど、両親はもう亡くなってますし、向こうに残ってる知り合いはずっと会えていない祖父しかいないんです」
「で……でも、この町に来る前に心を許していた女性とか——」
「そんな人いませんよ。僕この町に10歳の頃から住んでますし、大事な人といえば引き取ってくれた今の家族と、それ以外には分隊長さんだけです」
「10歳からこの町に住んでるの!?私が来るより前からじゃない!」
そこまでやり取りしてパッツィが思わず赤面したところで、近くで話を聞いていた酔客のひとりから「隊長ちゃんよォ、診療所のあの天使、あれでカムリリア人なんだってよ。本人がそう言ってたから間違いねえよ」と聞かされて、全部パッツィの早とちり、誤解だったと判明したのである。
そこから恥ずかしさを紛らわすためにエールを呷り、今日の模擬試合の話を始め、そうすると今度は負けた悔しさが込み上げてきて、愚痴り始めたら止まらなくなったのだ。
そうして今や立派な“絡み酒パッツィ”の出来上がりである。そこからさらに進化して、ヨシヨシしてくれるアーニーの優しさに甘えきった泣き上戸が爆誕したのであった。
「んまあ、大丈夫かしらと思って様子を見に来てみたけれど……」
「こりゃ処置無しってやつだな」
「分隊長って案外泣き上戸だったんすね。——うわ『抱っこして』とかせがんでら」
「それで抱っこしてあげるんだ。アーニーさんってば優しいなぁ」
そしてパッツィは、その姿を酒場にやって来たトラシュー、オーサム、ウィット、フィーリアらにバッチリ目撃されたことに気付かなかった。4人が声をかけずにそそくさと退散したので尚更だ。
ちなみにトラシューは、訓練時には通常業務に回っていてその場にはいなかったため、後から顛末を聞いただけである。
結局パッツィは閉店まで飲み続け、またしても泥酔寝落ちしてアーニーに送ってもらったのだった。
そうして翌朝になり、またしても「やってしまった……」と頭を抱えるハメになったのは言うまでもない。
いつもお読み頂きありがとうございます。
ここまでで第一章は終了になります。明日の更新は簡単な世界観の設定と登場人物紹介を。ChatGPT作成の地図もつけますので、作中での地理的な把握に役立つかと思います。
その後はまた隔日更新で第二章がスタートします。今度はラブコメ要素が強くなるので恋愛ものっぽくなりますよ!




