公爵の要望
「公はクラーケンに苦労されているのでは?」
ディアナの言葉に、ベルダーの眉毛がピクリと動く。
クラーケンは北の銀狼同様ルグナシア大陸固有の海洋生物だ。
海運業を担うベルダー家にとってクラーケンは天敵でもある。
貿易のために海に出た船がたびたび襲われるからだった。
襲われた船に乗せている貿易品は当然失われるし、乗組員にも被害が出る。
そのため、ベルダー家にとってクラーケン対策は一番の重要事項といえた。
(そういえば、コラード家の旗は銀狼に交差する剣だけれど、ベルダー家は錨に交差する剣だわ)
どの旗も、その部族に関係の深いものが描かれているのだろう。
「クラーケンのこともご存知だとは、ディアナ嬢は我が国についてよく知っていらっしゃる」
「国の懸念事項ですから」
そこまで言ってディアナは一息つくために紅茶を飲んだ。
そして、今日ベルダーと取引する内容を伝えるべく口を開く。
「公はつい最近、ルラシオン家とエスペランサ王国のタラッサ家の間で共同開発された物があるのをご存知でしょうか?」
「タラッサ家と?」
「ええ。タラッサ家にはルラシオンの先代の妹君が嫁いでおります。その縁で今もつき合いがあるのですが、彼の国もクラーケンには苦労されているようで」
フォルトゥーナは海に面していないためクラーケンの被害に遭うことはない。
しかしルラシオン家としてはクラーケンの脅威は他人事ではなかったのだろう。
なぜならタラッサ家がベルダー家と同様、エスペランサ王国で海運業を担っているからだ。
今代当主の弟が新しい物を開発する能力に長けていたこともあり、ここ数年ルラシオン家はタラッサ家と共同で研究を続けていた。
そしてついにクラーケンに対抗する手段を開発することに成功したのだ。
その一報が知らされたのは、ちょうどディアナがウィクトル帝国へ嫁ぐことが決まった頃だった。
「クラーケンは巨大で力強く、人の手で撃退することは難しいと聞いています」
「そうだ。だから万が一遭遇するようなことがあったら何をおいても逃げることを優先している」
それでも逃げおおせることは難しい。
だから、ベルダー家の船乗りたちはいつでも命懸けだ。
「今までの記録からクラーケンが出やすい時期や海域というのはある程度わかっている。だが、だからといって出ないわけではない」
そう言うとベルダーの視線が下がった。
彼の視線の先には失われた人たちの記憶があるのだろう。
「クラーケンそのものをどうにかすることはおそらく無理でしょう」
ベルダーを見ながらディアナは言葉を続ける。
「そんなことは言われずとも十分にわかっている」
「ですので、そもそも遭遇しないようにすることが重要だと思いますわ」
ディアナの言葉にベルダーがいぶかしげな表情を浮かべた。
「元よりそれができれば苦労はしない」
「それを可能にする装置が、開発されたということです」
ガタンッ。
突然ベルダーが立ち上がったことによって椅子が音を立てる。
自身がそんな無作法をしていることも気づかず、ベルダーがディアナを見た。
「それは本当か!?」
「本当です。こんなことで嘘はつきませんわ。落ち着いて、ひとまずお掛けください」
ディアナに言われるまでベルダーは自分が立ち上がっていることすら気づいていなかった。
「これは失礼した。あまりにも驚いたので」
「驚くのも無理はありません。そもそもその装置の開発が成功したのはつい最近のことですから。詳しくはアランに説明させますわ」
そう言うと、ディアナは背後に控えていたアランに説明をうながした。
「クラーケンを撃退するのが難しいのであればそもそも近づかなければいい、その認識は皆さん持っていたと思います。広い海の中であれば遭遇さえしなければいいのですから」
そしてアランは説明していく。
今回開発された装置は、人間の耳には聞こえない音でありながらクラーケンが忌避する音を出してはどうか、という考えが事の発端だった。
今まで蓄積されてきたデータによりクラーケンは低音域の音を嫌がるのではないかという仮説が立てられている。
その仮説をもとに、両家合同でさまざまな装置を作っていった。
そしていくつもの試作品を重ねて今回初めて実用に耐え得る装置ができたというわけだ。
すでにタラッサ家で試行されており、この時期であれば五回に一回は遭遇していいたはずのクラーケンに今のところ一度も遭遇していない。
「それは吉報だ。その装置を取り引きすることはできるのだろうか?」
身を乗り出す勢いでベルダーが言う。
「本来であれば国同士での契約となりますが、ルラシオン家とタラッサ家には私の一存で取り引きできる許可を得ております」
「それはつまり……」
「そうです。もし公が私にお力添えくださるのでれば、私の名において装置を融通できるようにいたしましょう」
ディアナの言葉に、ベルダーは口の端を緩く持ち上げた。
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