宿命の果てで君を待つ
次から次へと脳内へ流れ込む記憶は、自分のものであり、彼のものだった。
短時間で得る情報量の多さに眩暈を起こしながら、エリィはその記憶の流れに身を任せていた。
夢見心地というのは、まさにこんな感覚を言うのだろうか。エリィは自身が置かれた状況に少しの疑問も抱かずに、ただその記憶を眺めていく。
ゲルダと夜遅くまで出歩き、迷子になって泣いた記憶。白い顔をさらに青白く染めたジェシカに見つけ出された後、二人揃ってこっぴどく叱られ、最後は強く抱きしめられた。
兵たちの訓練に交じって、ハイドラがサーベルを振るう姿を窓辺から眺めていた記憶。まだ自分と同じ髪色だった彼は、見上げた先にこちらの姿を見つけ、演習の最中満面の笑みで手を振ってきた。
そんな幾つもの記憶が、蓄積していく。
まるで陽だまりのような温もりとなって。
* * *
再び目を開いた時、そこは辺り一面に純白が広がる花畑だった。
どこかから小鳥のさえずりが聞こえ、陽だまりの香りがエリィの鼻孔をくすぐった。一体どれほど眠っていたのだろう。これまでの疲労が嘘のように、身体が羽根のように軽く感じた。
もう少し、もう少しと枕を抱く早朝のジェシカの気持ちが、今なら少しわかる気がする。
「起きましたか」
誘われるまま再び眠りにつこうと目を閉ざすが、しかしその聞き覚えのある声を無視することは出来なかった。甘い誘惑をどうにか断ち切って、エリィは視線を持ち上げる。
どうやら自分の頭は声の主の膝の上にあるようで、まどろみから覚醒したと同時に、エリィは慌てて起き上がった。
「あんたは……」
彼に向かい合う様に座り込んだエリィが、その存在を認識して息を飲む。
「こんにちは、エリィ」
陽だまりが良く似合う、赤髪の青年。
「……マリー」
初代アレクシスは、エリィの呼びかけに柔らかく微笑んだ。
* * *
「少し、歩きましょうか」
立ち上がったマリーの声に答え、エリィはその隣に並ぶ。そよそよと二人の頬を撫でる春風と、川瀬を流れるせせらぎの音が、二人の放浪者を歓迎していた。
「こんな風に、ディアナとジェシカと三人で旅をしていました」
かける言葉を探していたエリィに気遣う訳でもなく、マリーはただ自分がしたいままにエリィへと話しかけた。
「ディアナは怒りっぽくて、可愛いものが好きで。彼の作る料理はとてもおいしかった」
まるで意思を持つような動きで、足元の花々は揺れ動き、二人の前に道を作る。まるで二人の行先を示すかのように。
「ジェシカはいつでも自由で、自分勝手で、数歩後ろから僕たちを見守っていてくれた」
マリーはただ真っ直ぐに、開かれた道の先を見つめながら足を進めていく。エリィもまた、疑問もなくその隣を進む。最初から、この短い散歩道の終点を知っているかのように。
「それと、ジェシカは少しそそっかしいところがあります。例えばディアナの名前は、彼女が幼い彼を少女だと勘違いして付けた名前だそうです。……あなたにも、心当たりがあるのではないですか?」
「……痛いほど思い当たるよ」
その名をジェシカから貰ったエリィが呆れ声で返すと、マリーは楽しそうに小さな笑い声をあげた。
「あと、ジェシカは人使いが相当荒い。あれも昔からか?」
「そうですね。まあ、僕たちからすれば彼女が荒いのは人使いではなく、神使いと言うべきでしょうけれど」
ゆったりとした速度を落とさないまま、エリィは隣の青年に視線を向けた。
これほど傍に居るにも関わらず、マリーからダリアラを前にしたときのような圧迫感を感じない。ヨルのように理由のない巨大な安心感も無い。
その存在は、神を名乗るにはあまりにも平凡だった。
「……『アレクシス』は、存続するこの世界に神が残した呪いです」
昔話と同じ声色で、マリーは言葉を続けた。
「当時世界の各地には、神の力である魔法を受け継がせ、この世界を『アレクシス』と共に破壊するための存在を残した神が居ました。彼らから魔法を学び、その力に使役される者を、神々は『魔法使い』と呼びました」
エリィは少し前に、ジェシカが明かした自身の昔話を思い出していた。彼女は「魔法の師」としか言わなかったが、その正体もまた、神だったのだ。
「しかしその目的を由としなかった者たちは、やがてその呼び名を嫌い、性別に関わらず自らを空想上の存在である『魔女』と呼称するようになったのです」
ディアナが魔女を名乗るようになったのは、彼の性格上、誰かに使役されているような呼び名が嫌だったからだろうが。とマリーは付け足して、眉を八の字にしながら肩を揺らした。
「しかし、魔女となることを選ばなかった魔法使いたちは、世界の各地で今も生活を続けています。そしていつまでも、その使命を果たす機会を待っていることでしょう。……僕が居なくなっても、あなたが居なくなっても」
土を踏む二人の足音が、一定のリズムを刻んでいた。
「俺が居なくなったら、また新しいアレクシスが生まれるんだろ」
エリィの問いかけに、マリーは無言で肯定を示した。
この呪いは消えない。この世界が、終焉(救済)を迎えるまで。
「僕が解決できなかったばかりに、あなたには迷惑をかけてしまった」
マリーの声色が、ほんの少しだけ下がったようだった。
「そしてきっと、これからも」
終わらせることが正しいとは思わない。それ以上に、ただ守ることだけが正しさだと思うことも出来なかった。
それでもマリーは五十年前のあの日、ただ二人に生きていて欲しいという我儘だけで、その使命を捨て去った。
そしてその我儘が、更なる犠牲を生んだ。後継者は生まれ、歴史は繰り返された。
来るべきではなかった、この未来で。
神に愛されることのない、この世界で。
「……そんなこと言うために、俺をここに呼んだのか?」
マリーの後悔の念を一瞬にしてかき消すかのように、エリィの声は良く通った。
思わずマリーの足が止まり、声の主へと顔を向ける。
彼に合わせて歩みを止めたエリィが、睨みつけるようにマリーを見つめていた。
「俺だって、覚悟決めてここまで来たんだ。迷惑なんて思ってねーし、今更謝られたって逆に困る」
それに、とエリィは付け加えた。これが一番大切なことだと言わんばかりに、両手を腰に当てながら。
「こっから先は、俺に任せろよ。俺がどうにかしてやる。だって俺は魔女の使いで、アレクシスだ。そんで、いつか大魔王になる男だぞ!」
抗わず、受け入れ、新しい未来を模索する。自分にしか出来ない方法で。
それは過去に、マリーが選べなかった選択だ。
「…………」
マリーは言葉を失った。
言い終えた直後こそ鼻を鳴らして胸を張ったエリィだったが、何も返事を返さないマリーを前に徐々にその背を丸めていく。
「なんだよ、なんか言えって……」
なんの根拠もなく、と笑われる覚悟はしていた。それでも、この言葉に嘘偽りはない。
この先どんな未来が待っていたとしても、諦めないと決めたから。
「いえ、すみません。……確かに、こんな話をしたかった訳では無い」
ようやくマリーが薄い唇を動かして、エリィの言葉に工程を返す。
そして彼の姿に懐かしい二人の面影を重ね、やがて長い睫毛を伏せて小さく微笑んだ。
「ありがとう、エリィ」
それは何に対する感謝なのか、エリィは遂に聞きそびれてしまった。




