16 お説教
「お前ら、ちょっとそこに座れ」
王子の私室に入ったグレンは、すぐに回れ右をして帰りたくなった。
部屋では、猛獣が彼を待っていた。
獰猛な笑みを浮かべた王子の目は据わっていた。
こんな時の彼に逆らってはいけない。
付き合いの長くないグレンにも、その事は身に沁みてよく分かっていた。
部屋にはダヤンとフィリップもいたが、彼らは傍観するつもりらしい。
聖女と勇者。二人が揃ったところで王子が指差したのは、硬い床だった。
部屋には勿論ふかふかの絨毯がひかれているのだが、テーブルやイス、家具の置かれているところだけ。
多分そういうレイアウトなんだろう。
この国では床に暮らす習慣はないが、騎士の間には正座の習慣があった。
建国時、国王に協力した戦士の中に、遠国の武芸者がいたらしい。
彼の残したものの中に、反省を示すため、膝を折りたたんで地面に直接座り足を苛める正座と、もっと深い反省を示すため、地面にひざまずき両手両足を地につけるだけでなく頭まで地につけ額ずく土下座がある。
王宮で訓練を受けていたグレンはその習慣に慣れていたので、すんなりと硬い床に正座した。
フィリアはびっくりしてドレスの裾を揺らして戸惑いを見せたが、意外にもグレンが素直に王子の前で正座したのを見て、諦めてその横に並んで座った。
初めてする正座に、フィリアは泣きそうになった。
王宮の床が汚れているとは思わないが、お気に入りのドレスが汚れてしまう。
初めて友達と会った記念のドレスなのに。
そんなフィリアの感傷を無視して、舌なめずりするような王子の声が二人を襲った。
「お前ら、俺達が南で魔族と睨み合っていた時に、随分くだらねぇ痴話喧嘩に励んでいたらしいな」
痴話喧嘩、と聞いてフィリアが反発する。
キッと顔を上げて、王子に反論しようとしたのだが、フィリアが行動に移す前に、目が回るような痛みが頭を襲った。
「お前ら馬鹿か!? 馬鹿だろ! よくもまぁ、んな下らねぇ事で揉めていられたな。お前らの頭は飾りか? 王宮に戻って平和ボケしやがったか? まだ魔族の問題は片付いてないっていうのに、なにやってんだ!!」
王子は左右二つの拳で同時に二人の頭に拳骨を落とした。
フィリアは涙目になって俯き、グレンは痛そうに殴られた頭に手をやった。
「ごめんなさい」
フィリアにも自分が大人気ない真似をしたという自覚はある。
グレンのした事は淑女としてとても許せるものではなかったが、自分の態度もかたくなだった。
大人の女性ならもう少し柔軟な対応をしていたのではないかと、気持ちの余裕のあるいまなら考える事が出来た。
「悪かった」
グレンは複雑だ。
自分は悪くない、とも思うのだが、ではフィリアが悪かったのかというと、そんな事は間違ってもない。
ましてや浄化の旅の後すぐに前線に向かった彼らが、急遽帰国するほどの心配をかけたのかと思うと、自然と申し訳ない気持ちになった。
二人に反省の気持ちがある事を見て、王子はとりあえず怒りの矛先を収めた。
「まぁいい。どうせ親父が余計な事しやがったんだろ」
二人が喧嘩をした原因は、グレンが女を侍らしていた事だが、大本は二人を取り巻く王宮の状況にあると王子は見ている。
英雄とはいえ、後見の決まっていない子どもが二人。
権力欲の強い貴族からしてみたら、これほど美味しい獲物は転がっていないだろう。
本来なら二人を後見するのは王のはずなのだが、なぜか王は沈黙を保っている。
クソ親父のヤツっ。
その魂胆も、透けて見えるような気はした。
多分王は、二人がこの状況に根を上げて助けを求めて来る事を待っているのだ。
勇者と聖女。人ならざる力を持つ二人に貸しを作れば、後の事がいろいろとやりやすくなる。
そんな風に思っているのだろう。
王としてはそれほど悪くはないのだが、時折垣間見える小狡い傲慢なところが王子は大嫌いだった。
「グレン、お前親父に何を言われた」
「王宮で待機しろ、と。まだ魔族との対峙が続いているから、危急の際に備えて戦力を維持して待機しているように言われたよ」
王子の問いかけにグレンは躊躇も見せずに答えた。
フィリアはびっくりしてしまった。王とのやり取りは、一応秘密だったのではないか。
とてもそれを聞けるような雰囲気ではなかったので口を噤んでいたが、頭の痛みも忘れて二人のやりとりを注視した。
「それで姫さん達を指名されたのか」
「具体的な指示はなかった」
具体的な指示はなくとも現状維持しろという事だろう。
グレンの立場としても、あの時点でパーティを解散させる危険性を感じていたので、表面上は王の指示に従った。
力の暴走を危惧していただけではない。
王宮の雰囲気が、どうにも妙だった。
仲間達を王宮まで連れてきてしまった以上、危険を感じる場所でパーティを解散する事は出来ない。
それに、王に対する警戒もあった。
あの傲慢な国王は、いつもグレンからフィリアを取り上げようと企んでいる。
隙を見せるわけにはいかなかった。
二年前は寝所に忍び込み直談判したのだが、今回は王もそうそう隙は見せない。
仲間の力を借りて王を牽制しようとしていたのだが。
「ならパーティは解散させて再編しろ」
その目論見は王の息子によって砕かれた。
「なんでっ」
「お前は戦力を揃えて力を誇示しているつもりだったんだろうがな」
王子は呆れたようにため息を吐いた。
「逆効果だ。王宮に、女を戦力として見るヤツなんかいねぇよ。むしろ舐められるだけだ」
わけが分からない。彼女達は控えめに言って騎士に引けをとらない戦闘力を持っている。
「王宮では誰もが見た目だけで判断する。女はどれだけ力があっても所詮女。男に及ぶものではないと見られるんだ」
「そんなのおかしい」
彼女達の強さは、グレンが誰よりもよく知っている。
「そうだな。だが納得できなくても飲み込んどけ。ここで恐れられるのは、厳つい顔をした野郎どもだ」
グレンは唇をかみ締めた。
王宮のものの考え方に、グレンはどうしても馴染めない。
グレンの気持ちも分からないではないが、見当違いな事をしても効果は無い。
「どうせアツヤ達も城下にいるんだろ。姫さん達はわが国の客人として保護する。
一度王宮を出て、連中を引き連れて帰還しろ」
「なんの為に」
「デモンストレーションだよ。お前を舐めてる王宮の奴らに、ガツンと思い知らせてやるんだ」
この企みが成功すれば、勇者に力では負けてもこの王宮では負けることはないと高をくくっている父親に対しても、一矢報いることが出来る。
なにも王と対立しようというのではない。
ただほんの少し、彼に譲歩して貰うのだ。
彼ら二人の功績から目を逸らすな、と。
「誰のおかげで、いまここに無事でいられるのかをな」
誰のおかげでいまだその煌びやかな椅子に座っていられるのか、誰のおかげで安全な場所で派閥争いに興じていられるのか、じっくりと思い出してもらおうではないか。
「そんな事に意味はあるのか?」
「意味はある。お前が武装兵団を引き連れて正門を開けさせれば、それだけで示威になる。どうせまだ報酬も出てないんだろ」
「一時金は貰った。それで皆は城下でのんびりしてる」
正式な褒賞は祝賀パーティの後だというから、他にすることもないらしい。
「ならちょうどいい。奴らを集めて東の峠に行け」
「理由を聞いてもいいか」
当然の疑問に王子も軽く頷いた。
「東の峠に食い詰めた盗賊団がいる。魔族の脅威が去ったからと、近隣住民や峠を通る商団を襲い相当あくどい事をしているらしい」
そいつらを討伐して来い、と王子は言った。
「親父に許可はとってやる。正式な王命だ。せいぜい派手にアピールして、王宮の連中の度肝を抜いてやれ。
英雄が盗賊を退治すれば、城下の連中も喜ぶだろ」
グレンは首を傾げた。
「そんな事に、なんの意味があるんだ」
王子は獰猛に笑った。
「お前が本気になれば、親父だって無視しちゃいられねぇ。それは分かってるんだろ」
グレンは頷く。
「王宮がおかしなことになってるのは、親父が貴族どもを野放しにしているせいだ。
だが王命を出すとなれば王とお前に接点が出来る。
それを利用してお前のバックに王がついているとアピールするんだ。そうなりゃお前を狙っている連中も下手なちょっかいを出せなくなる」
「そんなに上手くいくかな」
「不安なら、護衛にザムトでもおいてろ」
ザムトというのは城下で待機している、二メートルを越す巨漢の傭兵だ。
強面な彼が張り付いていれば、確かに迂闊に狙ってくる者はいなくなるかもしれない。
だがそんな事で、あの見えない悪意がなんとかなるものか、グレンは懐疑的だった。
納得いかない様子のグレンを見て、王子はその頭を乱暴に撫でた。
「お前はな、もうちょっと周りの目を気にしろ。お前は魔王を倒したんだ。それは誰にでも誇れる事だ」
そうだろうか。
「お前がここで生きる事に、遠慮なんかする必要はないんだ」
そうなんだろうか。
正座したままのグレンの前に膝をついて、王子はグレンと目を合わせ、彼の肩を力強く掴んだ。
ぼんやりとしていた目が、意志の強い王子の瞳に捕らえられ焦点を結ぶ。
「誇れ! 自分を。
お前には、生き残った奴らの前で胸を張る責任があるんだ。
俺達は生き残った! 災厄は終ったんだとな」
お前は大勢の前で誇れるような事を成し遂げた。それを自覚しろ。
王子の勢いに呑まれて、グレンの胸が熱くなった。
誰もそんな事は言ってくれなかった。
グレンは魔王を倒す力を得たのだから、魔王を倒すのは当たり前だと思っていた。
そうではないのだと王子は言う。
彼の言葉を信じたい。
それでも素直になるのは照れくさい。
肩を掴まれていた手を退けさせ、ぐしゃぐしゃになった頭を押さえながら、グレンは憎まれ口を叩いた。
「まだ終ってないんだろ」
「それは言わぬが花ってヤツだ。王宮が威信をかけて平和をアピールしようとしてるんだ。目一杯利用しろ」
「…わかった」
素直になるのは悔しいが、素直にならざるをえない。
王子にはそんな不思議な魅力があった。
「あと、お前ら舞踏会でダンスを踊れ」
「なんでだよ」
「特別な場所で最初にダンスを踊るのは、夫婦か恋人同士だ。
フィリアが欲しいなら、周りに見せ付けてやれ」
そんなに上手くいくだろうか。
王宮に集う人々に対し不信感のあるグレンは懐疑的にならざるをえなかったが、王子がそこまで言うなら不思議と上手くいくような、そんな気がした。




