15 聖女と勇者
その日、フィリアはお茶会に出席していた。
上位貴族のご婦人方が催すような堅苦しい集まりではない。
同世代の少女達の、気軽な集まりだった。
始めその誘いが届いた時、フィリアは信じられなくて手紙を二度見してしまった。
「お嬢様、どうなさったのですか」
可愛らしい封筒に入った手紙を見ながら、驚きに目を見開き、うっすらと頬を染めている主人をいぶかしんで、ネリアが声をかける。
フィリアは、ハッとしたように顔を上げ、ネリアを見た後、「なんでもないわ」と言いかけ、それを止めた。
なんでもない訳がない。
すごく嬉しい。
「あのね、ネリア」
フィリアはもじもじとして中々切り出そうとしなかったが、優秀な侍女であるネリアは根気強く待った。
「同世代の女の子達のお茶会に招待されたの」
「お嬢様」
「ごめんなさい。いいの、分かってるわ。行ってはいけないのよね。でも嬉しくて」
二年前王宮に召し上げ上げられたフィリアには、同世代の友達がいない。
勿論、故郷には友達と呼べる存在は少なからずいたが、彼らは王宮に上がれるような身分ではない。
王宮でフィリアを取り囲む人々はみな年上で身分も高く、退屈な自慢話をしたり、無理難題をもちかけたり、彼女の失態を意地悪く待つような、慕わしいとはいいがたい人が多かった。
自然、フィリアも彼らには隔意をいだき、警戒して、いつも淑女として恥ずかしくないよう気を張っていた。
そんな日々の中、フィリアを慰めたのは、上位貴族のご婦人方のお茶会に招かれていた、彼らの係累の少女達だった。
彼女達は若く、健やかで、フィリアに対しても素直に接してくれた。
勿論、素直に噂を信じる彼女達は、時にフィリアを困らせもしたが、その悪意のない無邪気さは、ささくれ立つフィリアの心の癒しにもなっていた。
以前出会ったお茶会で、少女の一人が、普段はもっと気軽なお茶会を開いていると話していた。
気の置けない友達同士が集まるお茶会は、王宮では素直に振舞う事の出来ないフィリアの憧れだった。
思いがけず、彼女達からそんなお茶会の招待状が届き、フィリアは舞い上がってしまった。
だが、フィリアは忙しい。
上位貴族のご婦人方に一通り顔見せが終っていたため、お茶会の招待などは落ち着いていたが、祝祭の準備がある。
なによりも、フィリアには気軽に招待に応じられない事情がある。
聖女の帰還を待って王都で行われる予定の祝祭、その目玉でもある舞踏会で、フィリアは聖女として正式にお披露目される。
それまではあまり人前に出てはいけないのだ。
降るように舞い込んだ上位貴族のご婦人方からのお茶会の誘いも、王に許可を得たものに限られていた。
しょんぼりするフィリアを見て、ネリアは一計を案じた。
「お嬢様、女官長様に相談なさってはいかがでしょう」
「女官長に?」
「はい。女官長様であれば祝祭の準備などに関するお嬢様の予定も把握されておりますし、なによりこの王宮に詳しいお方です。いい知恵をお借りできるのではないでしょうか」
ネリアには一つの確信があった。
大人が相手では無理でも、デビュタント前の少女達が相手なら問題ないのではないか、と。
フィリアも、フィリアと同年代の少女達も、本来なら社交界の一員としてとっくに認められている年齢である。
だが続く災厄の中、国内では自粛ムードが高まり華やかな集まりは敬遠される傾向にあった。
勿論、まったくないわけではなかったし、同年代の少女の中でもデビュタントを済ませている少女もいたが、今回フィリアと知り合いになった少女達は、この二年、危ない状況下で親元を離れる事が出来なかった者が多い。
逆に言うと、王都在住でない少女達は、フィリアと同じように今度の祝祭で社交界に紹介される娘が多いのだ。
「そうね。聞くだけ聞いてみましょう」
ネリアの狙いは当たり、フィリアは無事、少女達の集まりに参加することが出来た。
思いがけず王宮で女友達を作るきっかけを得て、フィリアは喜び勇んでお茶会に出かけていった。
「聖女様! こちらですわ」
王宮のサロンを借りてお茶会を開いていた少女達は、遅れてやってきたフィリアを見て目を輝かせた。
「遅くなってしまってごめんなさい」
「いいえ。お忙しいとは聞いておりますもの。お顔を見せていただいただけでも嬉しいですわ。さぁ、こちらにどうぞ」
主賓の席に案内され戸惑ったものの、少女達の、さあどうぞどうぞ、という笑顔の圧力に押され、フィリアは主賓の席に着くことになった。
彼女達との話は楽しかった。
時折、彼女達はチラチラとフィリアを見て何事かを聞きたそうにしていたが、彼女達の間で暗黙のルールが出来上がっていたのだろう。
最後までその何かを問われることはなく、その日は流行のドレスやお化粧、珍しいお茶やお菓子の話題に終始した。
そして近く行われる祝祭についても、彼女達の関心は高かった。
「聖女様。舞踏会で踊られる相手はもうお決まりですか」
舞踏会について、詳しいことはまだ何も聞かされていない。
フィリアが困った顔をすると、少女達は事情を汲み取ってくれたようで、さりげなく話題を逸らしていった。
思いがけず楽しい一時を過ごしたフィリアだが、楽しい時間ほど早く過ぎるものである。
次の予定があるため先に退室する旨をフィリアが伝えると、少女達は快く送り出してくれた。
ただ一つだけ、分からない事があった。
最後に少女達の代表者が、見事な花束を贈呈してくれたこと。
「あの、これは?」
「今日の記念と、私達の気持ちですわ」
彼女達の温かい気持ちが感じられて、嬉しい気はするものの、いまひとつ理由が分からず首を傾げていたフィリアを、控え室で待っていたネリアは神妙な面持ちで迎えた。
「フィリア様」
「どうしたの、ネリア」
「殿下からのお呼びがありました」
殿下というと、あの殿下だろう。
このタイミングで、王宮にいるはずのない人からの呼び出しを受ける。
心当たりは、勿論あった。
フィリアは酢を飲んだような顔になった。
フィリアを送り出したお茶会の会場では、残った少女たちが興奮した様子で話し合っていた。
「聖女様、前にも増してお綺麗になっていたわね」
「やっぱり勇者様は聖女様をお選びになったのよ」
「きっとそうなると思っていたわ。だってお二人は救国の英雄なんですもの」
「辛い試練を乗り越えた勇者様と聖女様の恋。なんて素敵なの!」
「でも大丈夫かしら。勇者様の側には、隣国の姫様がいらしたのに」
「確かにお二人もお似合いだったけれど、聖女様との方がもっとお似合いだわ」
「お二人が一緒にいると、周りの空気が柔らかく見えるのよね」
「そうそう。勇者様とご一緒だと、聖女様もとても素敵に笑われるし。普段は険しい顔をなさっている勇者様も、聖女様とご一緒の時は柔らかい顔をなさっているわ」
「隣国の姫様には申し訳ないけれど、やっぱりお二人はお似合いだと思うの」
「お二人の功績があれば、きっと周りも許してくださるわ」
「舞踏会で二人は踊られるかしら」
「ええ、きっと。お二人が踊る姿は、夢のようでしょうね」
「仲睦まじいお二人の姿を見たら、きっと周りの方々も文句を言えなくなるわ」
結婚式はいつかしら。きっと素敵な結婚式になるわね。
少女達は興奮してきゃっきゃと騒いでいたが、フィリアがそれに気づくことはなかった。
お互いにとって、とても幸運なことだった。
その日、グレンは部屋で不貞寝していた。
グレンは基本的に、王宮でする事がない。
貴族達には避けられているし、騎士たちには遠巻きにされている。
じっとしていると身体が鈍るので、一度訓練所に顔を出してはみたが、なにしにきたんだコイツ、という視線にさらされてすごすごと退散したのだ。
本来なら、英雄であるグレンは祝祭の主役なので、オープニングを飾る祝賀パレードの打ち合わせや衣装合わせなどで忙しいはずだったのだが、誰がグレンの後見につくのか、派閥間で駆け引きがあり、王宮でも放置されるという事態になっていた。
王が後見につけばなにも問題はないのだが、なぜか王は沈黙を保っている。
王の沈黙が、派閥同士の争いを激化させていた。
そんな奇妙な状況について、グレンに忠告してくれる相手もいなかった。
いまのグレンの唯一の習慣は、噴水のある中庭で、回廊を通るフィリアの姿を眺める事だった。
運がいいと、フィリアがグレンに気づいて手を振ってくれる。
グレンが幸せを感じる時間だった。
だが今日はフィリアは回廊を通らない。
やることがなくて、グレンは部屋に引きこもっていた。
いままでなら彼は、こんなとき噴水のある中庭でぼーっとしていたのだが、ある事情から仲間の顔を見る事がはばかられた。
グレンは先日、フィリアを怒らせて、ある薬を飲んだ。
グレンに好意をもつ女性が男性に見える薬だ。
その薬のおかげで、いまグレンの世界には男性しかいない状態だった。
男に見える仲間と会うことが嫌なのではない。ただどうしても態度がぎこちなくなってしまう。
そんな自分が嫌だった。
仲間達に事情を話せばいいのかもしれないが、話したところでどうなるものでもないだろう。
珍しい事に、グレンは罪悪感と自己嫌悪から部屋に引きこもっていたのだ。
部屋に一人で居ると、色々なことを考えてしまう。
大体はフィリアの事だ。
フィリアがグレンを大事に思っている事は分かっている。
だが、前々から思ってはいたのだが、婚約した後も、フィリアに男として見られていない気がしていた。
その原因は、自分の容姿にあると、グレンは思っていた。
成長期に入って大分伸びたはずだが、年上の男性と並ぶと見劣りする身長。
鍛えて大分筋肉をつけたはずだが、傭兵など戦士職の男性と並ぶと見劣りする胸板。
男になった(ように見えた)グレーティアと比べた時でさえ、体格において劣るのだ。
フィリアに男として見られなかったとしても、仕方ない。
外見がダメなら、内面で攻めるしかない。
女性は、多少強引でも強い男が好きだと聞いた。
嫌よ嫌よも好きのうちなんだと。
強さでは大抵の男に負けない自信はある。
後は女性を従える自信と、強引さが必要なんだと思っていたのだが。
なぜかそんな男らしさはフィリアには通じなかった。
しかも、薬を飲んだあの夜。グレンはフィリアに弱音を吐いてしまった。
弱い自分など、誰にも見せられないと思っていたのだが、あの夜のフィリアの前では意地を突き通せなかった。
弱くてカッコ悪い男だと思われて嫌われたらどうしよう。
グレンはそんな事を一人でぐるぐると悩んでいた。
グレンはフィリアと同じように、二年前から王宮に与えられた部屋があったが、グレンが放っておいて欲しいと伝えてある事もあって、滅多に人が訪れることは無い。
そんなグレンの部屋に、ララがやってきた。
いくらグレンが自分勝手でも、幼いララ相手では気が緩む。
部屋に招き入れるとララは神妙な顔でグレンに伝えた。
「グレン様。殿下がお呼びだそうです、なの」
殿下。この王宮でそう呼ばれる人物は幾人かいるが、心当たりのある人物は一人しか居ない。
その人物は、本来なら王宮にいるはずがなかったのだが。
「グレン様?」
なんだか嫌な予感がして顔を顰めたグレンを見て、ララが不安そうにしていた。
「なんでもない。ありがとう、ララ。すぐ行くよ」
ララに笑いかけて簡単に身支度を整え、グレンは呼び出された部屋へと向かった。
呼び出された部屋に行くと、案の定、王子が待っていた。
肉食獣もかくやという獰猛な笑顔を浮かべている彼を見て、回れ右をして帰りたくなったが、部屋にフィリアがいるのを見つけて、グレンは諦めた。
ランデール王子。
この国の第一王子で、最強の一人に数えられている騎士。
身長も体格も、剣の腕も、なにもかもグレンを上回っている年上の男。
この二年、フィリアを守って来ただろう、戦士。
グレンは王子が苦手だった。




