外伝 アントニオの恋1
ジル視点です。
星夜祭のあと、僕は正式にクレオと婚約し、毎日が薔薇色となった。
正直に言うとクレオは婚約を渋ったのだが、何度も頼み込み、ほとんどゴリ押しの形で了承してもらった。クレオの好意が見えるからこその、押して押して押しまくる作戦だった。
普通の人ならば、あんなに恐れ多いですからと遠慮されたら諦めるだろう。というか、諦めないやつもやばい。その点、僕はクレオの気持ちをわかっているからいいんだ。多分。
「婚約してから毎日幸せそうですね、叔父上」
朝食の席で、アントニオは僕に微笑んだ。皇族たちが揃う広くて天井の高い食堂は、まだ僕と彼だけの静けさだ。僕は朝の澄んだ空気で趣味の魔法薬を作るため、アントニオは鍛錬のため、超早起きなのでよく一緒になるのだ。
「ありがとう。アントニオも早く婚約したらいいよ、愛する人に愛されていると実感できて、こんなにいいものはない」
「ええ、一生独身でいいと息巻いていた叔父上なのに、嘘みたいですね」
「アントニオはいいなと思う人はいないの?」
アントニオは押しも押されぬ結婚適齢期の皇太子だ。輝く金髪と翡翠の瞳、類まれな美貌は皇帝であるルカにそっくりだが、ルカの息子ではなく異父弟なのである。その複雑な出生と育ちのせいか妙に達観した青年になった。
わかっていて、僕は愚かな質問をしてしまった。同時に瞳の能力を使う。――相変わらず、まだ私室にいるだろうサーラに向かって真っ赤に燃える炎が伸びていた。
「養母への執着はそろそろ卒業した方がいいんじゃないかな」
「何を仰るのですか?私の気持ちは家族愛です」
さらりとアントニオは言い返す。彼は12歳のときに21歳のサーラと出会い、かなり真剣に恋をしていた。その事実を知っていたのは僕と本人だけだっただろう。
鈍感なサーラは全然気づいていなかった。多少執着はされたし、告白らしきものもされたけれど、幼さゆえのものだったと今でも信じている。
「家族愛ならいいけどさ」
僕は朝の紅茶にミルクを垂らした。濃いめの紅茶にミルクの白がわっと広がり、すぐに優しい色合いに変わる。
恋の始まりだけは、このようにゆらゆらと色が移り変わるので判定できる。自分は相手を好きだけれど、相手はどうなのだろう。誰だって、無防備に傷つくのは怖い。自分と同じだけ好きになってくれるかと不安で、想いを消してしまいそうに揺れ動く。
だけどそれが確固たる愛に昇華すると、同じものが返ってこなくとも燃え続ける。そして元々は区別がないのだろう。いわゆる男女の愛と、家族愛は僕から見て同じ、真っ赤な赤色なのだ。だから、アントニオが異性としてサーラを見ているのか、養母としてサーラを愛しているのかわからない。もう、わからなくなってしまった。
第三者から見てもそうなのだから、アントニオは今でも混迷の渦にいるのかもしれない。縁談はたまに持ち上がるのだけれど、彼は色々と理由をつけ、決して婚約者を決めようとしない。
「当然です。母上は父上と深い愛情で結ばれています。わかっているんです」
アントニオは諦観してるように、何も入れていない鮮やかな赤い紅茶を飲んだ。
それから、一ヶ月後のこと。
いつも通りと思われたの晩餐の席で、アントニオはため息がちだった。ついにスープを運んで来た給仕を呼び止める。
「私はこれで満腹だ。残りの皿は持ってこなくて良い」
「あら、体調が悪いの?」
サーラが心配そうにアントニオを見つめる。隣に座るルカも同様の眼差しだ。それほど年齢差はないが、彼らにとってアントニオはまだまだ食べ盛りの子どもなのだ。
「申し訳ございません、昼に食べ過ぎたようです」
その言い訳じみた発言に僕は何気なく、瞳の能力を使った。特に深い理由はない。ただ何らかの追加情報を求めただけだが、驚いたことにサーラ以外に伸びる恋の波長が認められた。
アントニオがついに――!
食後、僕はワクワクした気持ちでアントニオの部屋を訪問した。みんながいる晩餐の席で問いただすほど無粋じゃないけど、好奇心は十分にあるのだ。
「アントニオ、何か悩んでるなら僕に相談してごらん」
「悩みなんてありませんよ、私は恵まれています」
「とぼけなくてもいいよ。恋の悩みで胸がいっぱいなんでしょ?」
僕の核心を突いた質問に、アントニオは目を泳がせた。それからうっすら頬を赤くする。おお、なんて初心なんだ。神よ、彼に幸せを与え給え。
「ち、違いますよ、恋だなんてものじゃないです。親近感とも同情ともつかないもので、何となく気になってしまうだけで……」
しどろもどろにアントニオは誤魔化そうとするが、はい確定ってやつだ。
「いいね、どこの誰?いつ出会ったの?」
「叔父上には隠せませんね」
「そうだよ、早く教えて」
なお、僕の能力は誰にもはっきり言っていないが、みんな何となくは勘づいている。僕が他人の気持ちにものすごく敏感であると。
アントニオは深呼吸をして、話を始めた。
「最近、首都に市民のための公園ができましたよね?そこに人が少ない早朝、馬に乗ってミロと散歩に行ったのです。そこでたまたまミロの姉君に、出会いました」
ミロは昔からのアントニオの侍従で、皇室と縁の深いベラノヴァ侯爵家の傍系の三男だ。親族が多くて、皇宮を歩けばベラノヴァ家門に繋がる人がいるし、公園にもいるらしい。だけど僕は悪い予感に背筋がぞくりとした。
「ミロの姉って、2人いるけど両方結婚してなかった?不倫は良くないよ」
僕もアントニオも婚外子だ。両親には感謝しかないが、それなりの気苦労はあった。そんな思いを周囲や、万が一生まれるかもしれない子どもにまでさせるかもしれない。
「いえ。モニカ令嬢は、夫を病気で亡くして領地から戻ってきたそうです」
「じゃあ未亡人か……でも」
アントニオを止めたくて、僕は何度も首を振ってしまう。皇太子の妃は基本的に初婚だとか、そんな慣習以前の大きな問題がある。
「死んだ人には一生敵わないよ、茨の道を歩むのはやめた方がいいよ!だって、僕の母さんだって絶対に父さんを忘れない、いい思い出ばっかり蘇るんだって」
「そうですね、モニカ令嬢の心には確かに亡くなった夫君がいらっしゃるようです」
長い睫毛を伏せ、アントニオの顔に憂いの影ができる。せっかく望みある新しい恋だと思ったのに、どうしてまた難しい人を好きになってしまうんだ。
「ただ、素敵な方だと思いました。私とは違い、巧みに馬を操り、颯爽と駆けていくあの姿。揺れる黒髪のポニーテール」
「ああ……そういう感じの人なんだ」
僕はどんどん増える不安材料に堪らなくなる。ミロの姉ってことは多分アントニオより歳上だ。歳上の黒髪で運動神経がいい女性ってすごくサーラに似てるじゃないか。サーラから卒業できたと期待したのに、そんな人が好みとして固定されてしまってるのか。
なぜか僕の方が落ち込んでしまったので、バランスを取るようにアントニオが微笑んだ。僕の背中までポンポンと叩いてくれる。
「話を聞いてくれるだけで有り難いです。もう少しモニカ令嬢の話をしてもいいですか?」
「も、もちろん」
好きな人と過ごせないとき、好きな人の話をするのもまた良いものだ。僕はハラハラしっぱなしだけど。
「彼女は、とても明るく笑っていました。そう振る舞っていたのだと思います。わかる気がするのです。私も、そういった時期がありましたから。力になりたいと思ってしまうのです」
「そうだね、アントニオは優しいから」
親近感は恋の始まりとしては妥当である。ただ、かなり深刻な親近感だ。アントニオは反逆を起こした実の父母を処刑によって亡くしている。その分、サーラとルカが親代わりになったけれど、心に空いたままの穴みたいなものが、モニカ令嬢に共鳴してしまったのか。
僕はしばらくの間悩んだ。でもとりあえずモニカ令嬢がどんな人なのか確認するべきかと、サーラの開くお茶会に彼女を呼ぶようにお願いをした。何も知らないサーラは簡単に「いいわよ」と了承してくれた。
お茶会の当日、緊張してモニカ令嬢を探す。ベラノヴァ家の人は先代侯爵の妻が北方の少数民族だったので、大体みんな褐色の肌にエキゾチックな顔立ちをしている。
でもモニカ令嬢くらいになると帝国人と混じって薄まり、滑らかな小麦色の肌だそうだ。そしてくっきりした黒髪の絶世の美女とアントニオから聞いていた。確かに目立つ美しい人で、僕は多くの女性が集まる庭園の中でもすぐに見つけられた。
モニカ令嬢の青い瞳は大きく、睫毛は濃く、目尻にほくろがあって妙な色気がある。良い意味でサーラとは全然似ていなかった。
そして僕は瞳の能力を使い――
「両想いなのか!!」
思わず叫んでしまった。見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、ちらちらと恋の色に揺れている。それは遠くで人に囲まれているアントニオへと向かっていた。なお、死んだ人への愛は、僕には見えない。向かう先がないからだろうか。
「ミロ!聞きたいことがあるんだけど!」
僕はアントニオの侍従、ミロを呼びつけた。
「お呼びでしょうか」
ミロは小さい頃に女の子みたいだったことが嘘のように逞しく成長していて、しゅたっと音がしそうなくらいに速く駆けつけた。これもまたベラノヴァ家の血筋なのか体格がすごく良く、運動神経も優れていて魔法だって万能だ。今のだって何らかの魔法を使って現れたのだろう。
「君、ふたりを逢い引きさせたね?」
「……何のことでしょう」
「絶対そうだよ、進展しちゃってるよ」
「殿下が私の姉に会いたいと仰るので、私は従ったまでです」
「そもそもだけどさ、わざと引き合わせたの?」
「それは本当に偶然です。殿下が姉を気に入るなんて思いもしませんでした」
僕に嘘を見分ける能力はないけれど、じっと見つめれば多少は判断がつく。ミロに嘘の気配はなかった。それにミロはちゃんとアントニオを友人として愛していて、仲が良すぎて、変な噂が立つくらいなのだ。苦しませるつもりはないに決まっていた。
「まあ、しばらく見守るしかないか」
「恐れ入りますが、姉はまだ夫を亡くしたばかりです。内密に願えますか」
「そうだね」
こうして秘密の関係のまま、アントニオとモニカ令嬢は逢い引きを続けた。僕は見守ることしかできなかった。全ての恋が実るわけじゃないし、もしかしたら自然に終わるかもしれないと一抹の希望を抱いていた。
春が来て、夏が過ぎて広葉樹の葉が枯れ落ちた。しかしアントニオとモニカ令嬢の恋心は変わらず、それどころか着実に愛に育っていった。
僕はクレオと幸せな結婚式を挙げた。みんなからの祝福を受け、泣いたり笑ったりするクレオの姿を目に焼き付けた。クレオが喜んでくれるのが一番嬉しい。僕は幸せで満たされ、余計なお世話だけどこういう気持ちをアントニオにも味わって欲しいと心の片隅で思った。
冬になり、皇宮の庭園にはこんもり雪が積もった。そんな中でも、アントニオは体力作りのため走り込みをサボらない。彼は、より過酷な状況でがんばりたがるところがある。
「がんばってるなあ」
僕はガーデンチェアに座り、周囲一体を魔法で適温に調節して高みの見物を決めるのが趣味だ。紅茶がおいしくなる。
しばらく眺めているとクロエとネーロが、アントニオの邪魔をしにやって来た。サーラとルカの愛の結晶であるところの彼らは、やんちゃ盛りで遠慮を知らない。しかもアントニオが大好きすぎて猫のように足にまとわりつき、何の訓練かわからない有り様になった。双子をそれぞれ足にしがみつかせたまま、雪中を歩くのはキツ過ぎるんじゃないかな。
アントニオが体力の限界を迎えたあたりで、ミロが子守を引き受けた。アントニオは白い息を吐きながら僕のところに来た。いくら何でも、過酷すぎたようだ。
「お疲れ。甘い紅茶飲む?」
「ありがとうございます」
僕の隣に座り、アントニオは衣服についた雪を払った。僕が空気をポカポカにしているので、そうしないとすぐに溶けて濡れてしまうのだ。
アントニオが紅茶を飲んで一息つく。
「モニカ令嬢とは、最近どうなの?」
僕は話をするなら今かもしれないと切り出した。人は体力を消耗しているとき、嘘や誤魔化しが下手になるとどこかで聞いたことがあった。
「ご存知でしょう」
「ああ、仲良くやってるみたいだね」
皇太子教育の賜物か、アントニオは優雅に微笑んだ。ダメだ、疲れてても隙がない。しかも僕がたまに逢い引きの現場を覗いてるのを知ってるみたいだ。
「……見て下さい、クロエとネーロ。元気ですね」
「うん」
双子たちの歓声が聞こえた。ミロは双子たちが作った雪だるまを魔法で操り、上手に気を引いていた。本当によくできた侍従だ。
「あの子たちが生まれる前、僕は彼らにどんな感情を抱くかすごく不安でした」
「え、うん」
いきなりアントニオは何の話をしたいのだろうと僕は心臓をドキドキさせる。




