外伝 ジルの年末 2
クレオは赤い瞳を潤ませ、すがるような目付きをした。
「わ、私の飼い猫が、脱走してしまったのです。ですが殿下のお手を煩わせるほどではありません」
「そんなの、すぐに見つけてあげるよ」
僕は、御者と手伝いの者に命じて馬車を先に魔法学院に向かわせた。僕ひとりなら、あとで魔法で飛べばいい。
それにしてもクレオが皇宮で猫を飼っていたとは知らなかったが、まあサーラならすぐに許可を出しそうな話だった。
「その猫の毛とかあれば追跡魔法も使えるし……いや、もしかしてクレオ、その猫をすごく愛してる?」
「もちろんです」
「誰よりも?」
「はい」
僕は瞳の能力を使う。クレオの胸のあたりから出ている、真っ赤に燃える炎――やっぱり、ものすごい愛情だ。その先を追えばいい。クレオが愛し始めた存在とは、人じゃなくて猫だったんだな。
「こっちだね」
「今、呪文を唱えられました?!」
「うん、早口でね。ちょっと特別な魔法なんだ」
「ジルベール殿下は本当にすごい魔法使いなのですね」
瞳のことは言いたくないので、僕は誤魔化した。能力を使ったままなので、クレオからの僕への好感度がぐんぐん上がっているのが見える。石ころからやっと人間になれたような、良い気分だ。
クレオが好意的な態度を隠さず、完全に信頼して僕の後ろをついてくる。こんなに良いことって。
でも最高の散歩は、あっという間に終わってしまった。すぐに見つかった猫は、皇宮の敷地内のうち、翡翠宮の近くの植え込みに潜んでいた。
「あっ! ラフィー!」
クレオがしゃがみこみ、ラフィーという名前の猫を呼んだ。ラフィーはまだ仔猫で、白地に赤茶のまだら模様をしていた。だけど、その横にはもう一匹そっくりの猫がいる。どちらがラフィーか、僕にはわからなかった。
「どうしたの? その子は兄弟なの? だから逃げちゃったの?」
まさに猫なで声という感じで、クレオは猫たちに優しく呼び掛けた。でも猫はじっと固まって、動かない。
「……おいで」
僕もクレオの横にしゃがみ、手を差し伸べた。餌も何も持っていなくても、子どもの頃はこんな感じで、見かけた猫を手懐けていた記憶がある。
すると、猫たちは恐る恐る僕の手を嗅ぎに来た。
「ま、まあ! ジルベール殿下は猫に好かれるのですか?」
「うん、実はね。そうなんだ」
はっきりそうとも言えないけど、ちょっとは猫に好かれる。僕は猫を怖がらせないよう、微動だにしなかった。猫たちは僕の足元にすり寄って、熱心に体を擦り付けている。クレオの赤い瞳が、熱っぽくなっていた。
「何て素晴らしい能力なんでしょう」
これはクレオの好感度が爆上がりしているのでは?
すぐに瞳に力を入れて確かめると、ガンガンに燃えていた。親愛じゃなくて、恋の始まりの色だ。
こんなの違う。絶対に違うのに、急に胸が苦しくなってドキドキした。だって多くの女性は、僕が皇弟で、見た目もルカの次にかっこよくて、富も権力も持ってある程度自由が効くところに惹かれて言い寄ってくる。
僕の、猫に好かれやすいっていう、どうでもいい能力で恋心を持たれるなんて、想定外すぎた。
僕は気付けば、星夜祭の夜を一緒に過ごそうと誘っていた。愛猫と過ごすつもりだったらしいクレオは、猫も一緒でいいならと言い、もちろん僕は構わないと胸を叩いた。
魔法学園の子どもたちにプレゼントを手渡したあと、急いで皇宮に戻り、クレオと合流した。もう日は沈み、星が瞬き始めている。
平民を装って帝都の民家に行くことも話をしてあるから、クレオはベージュの地味なコートを着ていた。彼女の素朴なかわいさが滲み出ている。
「そういう格好も素敵だね。じゃあ行こう」
「はい。それにしても星夜祭を見るためだけのお家があるなんて、やはり皇族の方は違いますね」
「ごめん、そんな豪華なものじゃないよ。でも管理人を頼んで、先に家を暖めてもらってるから、猫ちゃんたちは居心地悪くないと思う」
それにしても、クレオは元々主張の強くない性格とはいえ、こうも簡単に僕の誘いに乗っていいのだろうか。猫のことで好意を持ってもらえたとはいえ、警戒心がなさすぎる。今まで良く独身を貫けたものだ。
馬車の中、二人きりの緊張感もあって僕は一方的に話をした。なお、猫たち(クレオは結局二匹とも飼うらしい)はきっちり閉められた籠の中で大人しくしている。
向かう先は僕の父、ファウスト先帝が買った家だということ。それは、皇后がいる身でありながら、僕の母、魔女エメラルダスに会うためだったこと。その家は皇帝らしい豪華な服から、平民に着替えるためだけに使っていて、実際は魔女の塔でいつも会っていた。僕もそこで産まれ、育った。
でも星夜祭のときだけは、首都にあるその家で過ごした。花火は港で上げるけれど、そこは良く見えるし、街中のお祭り騒ぎの雰囲気がとても楽しかったからだ。
僕はその頃、父さんが皇帝とは知らなかったし、異母兄がいるとも知らなかった。両親はちょっと変わってるとは思っていたけど、心から愛されていたから、満足していた。
「でも僕が楽しく過ごしてるときに、ルカはひとりぼっちだったんだろうなと思うと、罪悪感がね……」
「ジルベール殿下は悪くないです、子どもで、何も知らなかったのですから」
「うん、ありがとう」
クレオは困ったように、薄めの眉毛をもっと下げた。気のきいたことを言いたくて、僕は必死で頭を巡らせる。
「僕はずっと、幸せなんだよ。人生、いいことばっかりで恵まれてる。今夜はクレオが家に来てくれるし」
「あの、本当に私で良かったのでしょうか? 殿下の思い出の家なのに、猫まで連れて」
「誘ったんだから、当然だよ。本当はやっぱり、星夜祭は賑やかな方がいいよ」
馬車が止まり、僕たちは馬車を降りた。平民エリアの、周囲に溶け込む何の変哲もない家だ。クレオは子爵家の令嬢だから、帝都にある邸はもう少し立派なものだろう。物珍しそうに、クレオは家の中に入った。
中には生活感はあまりなく、最低限の家具があるだけ。でも星夜祭のためだけにしか使ってないから、年季の入った星の飾りなどがあちこちにある。
「適当に寛いで。古い家だから、汚れても問題ないよ」
暖炉には既に火が入っていて、家の中は暖かい。スープやパンなんかも用意してもらっている。クレオは猫の入っている籠の扉を開け、出てくるに任せていた。僕は暖炉の前で猫が寝れるよう、クッションなどを置いてみる。
「何だか、良い雰囲気ですね。なぜかワクワクします」
「良かったら、ワインでも飲む?」
「ジルベール殿下が飲まれるのでしたら、少しだけ」
「ジル、でいいよ。親しい人はそう呼ぶ」
「私は親しいというほどでは」
「もう6年も前から知り合いだよ」
サーラの侍女、そして皇弟という肩書はここではいらない気がした。クレオが、とても素敵に微笑んだ。好意を持たれていると知っているからか、今までになくかわいい。
ようやく自覚した。僕はかなり前から、クレオを好きだったらしい。自分の好意は、自分で視認できないから鈍い傾向にある。
クレオの、他人から一歩引いた感じに親近感を抱いていた。いつも冷静で、淡々と仕事をこなす姿に憧れていた。
だけど僕は他人の好意が見えて、クレオに何とも思われてないとわかってしまうから、僕は傷つかないように過ごしてきたようだ。自分から積極的に動けば、可能性はあったかもしれないのに。
僕たちはテーブルにワインと、用意してあった軽食を広げてお喋りをした。今までの時間の埋め合わせみたいに、何でもいいから話をしたかった。
クレオはやはり猫の話が多かった。サーラの侍女になる以前、猫を飼っていたけれど寿命を迎えてしまった。それから、寂しい日々を仕事に熱中することで過ごしてきたけれど、偶然ラフィーを拾ったという。
「クレオは、猫のどこが好きなの?」
「かわいい見た目ももちろんですけど、幸せをいっぱいに吸収してるところです」
クレオは、暖炉の前でリラックスし始めた猫の兄弟に赤い瞳を向けた。熱に溶かされたみたいに、伸びきっている。
「そうだね、確かに」
「猫は暖炉とか、お日様の光とか、小さなことで幸せなんですよね」
クレオの優しい声は、もっと聞いていたくなる。僕は次を促すように、頬杖をついた。
「幸せそうな姿を見せてくれるのって、嬉しいことなんです。あなたもきっと、そんな人です。ジル様が幸せそうなのは、素敵ですね」
「僕は気楽に幸せを享受してていいって?」
「いいと思いますよ」
僕は、子どもの頃から十分幸せだった。母さんがいて、父さんがいて。その分、ルカが苦しんでたなんて知らなかった。でもルカは僕を愛してくれた。どうやって恩返ししたらいいのか、わからずにいた。
「ありがとう、クレオ。クレオに言ってもらえると信じられる」
冷静なクレオは、周囲の人をよく観察していそうだから説得力がある。僕が黙ってしまうと、クレオが小さな手を僕の手に重ねた。慰めの気持ちなんだろうか。飼い慣らされたみたいに、もうこれでいいやと思ってしまう。
僕はいつでも愛情を確認できるから、相手が冷めたときが怖くて恋愛できずにいた。でも、この手の感触を知ってしまったら、もうクレオなしでは生きられない。せめて石ころよりは好意を持ってもらえて、こうしてちょっと触れてくれたらそれでいい。
「クレオ、僕は君が好きみたい」
「え?」
「結婚しよう」
「あっ、花火!始まりましたよ!外に出ましょう」
クレオが椅子から立ち上がり、僕を引っ張った。確かにドンドンと低い破裂音が鳴り響いている。猫が脱走しないように気をつけて、玄関扉から外に出た。
丸い、大きな花火が夜空を照らしては、チラチラと燃え尽きて落ちていく。僕は出るときに持ってきた上着をクレオの肩にかけ、横に立った。通りには多くの人が出てきて、空を眺めている。
「きれいですね!」
「クレオ、結婚しよ」
僕の声が聞こえたのか、近所の人がヒューヒューと口笛を吹く。なのにクレオは聞こえないふりをして、空を見上げていた。顔が赤いのは外の寒さや酔いのせいではないと思いたい。独身主義でもないことは、さっき確認した。
卑怯だけど、瞳の能力を使って好意を確かめた。赤い炎は、ぼわっと大きく燃えていて、僕を精神的に温める。
「聞こえてるよね? 迷惑かな」
「ちょっと突然すぎて……それにあなたはご自分の身分というものがあるでしょう?!」
「僕は、自由だよ。好きにしていいってこの国の、一番偉い人たちに言われてる」
それは、ルカとサーラだ。クレオもわかってるみたいで、頷いた。
「そうでしょうね。でも、私をからかわれては困ります」
「からかってないよ、ずっとクレオを見てた」
「そんな……」
クレオは恥ずかしいのか、困りきっていた。そうか、クレオは他人の好意が見えないのだから、僕の突然のプロポーズを疑いたくもなるのか。僕はかなり、舞い上がって突っ走っていたらしい。
「じゃあ、信じてくれるまでゆっくり待つよ。でも僕は本気だから」
「私なんて、人間より猫が好きなダメな女ですよ?どうして?」
「ダメじゃないよ、クレオはすてきな人だよ」
クレオは、まだ僕への気持ちを自覚していないらしい。僕は余裕の笑みを隠しきれなかった。何と、ラフィーへの愛情と僕への愛情は同じくらいなのだ。
これはクレオにしては、貴重だと思われる。
6年も見てきた人だ。僕はクレオを、たくさん知っている。彼女の愛をこの目で見ながら口説けるのなら、幸せなことこの上ない。
黄金色の花火が次々と打ちあがった。一年を彩った星が落ち、新しい星が生まれている。




