最終話
「サーラが目覚めたら名付けようと思っていたからまだだ」
「そんな、決めてた名前があるでしょう」
「男の子だったらネーロ、女の子だったらクロエ、か? 実は心の中では呼んでいた」
「ぴったりだと思うわ。ね? ネーロ、クロエ」
ネーロとクロエは、円らな瞳をぱちくりさせる。
「わかってるわ。ルカに似てすごく賢いのよ」
「ああ。それにサーラに似て愛らしく、元気だ」
「そうね、元気なら良かった」
ばたばたと騒がしい足音がして、サーシャとジル、アントニオたちが入ってきた。赤ちゃんの甘い匂いがして静かで神聖だった部屋が、ちょっと男くさく感じてしまう。
「サーラ!! 良かった目覚めて……僕、本当に心配したんだよ。変なところ母様に似ないでよお」
サーシャが駆け寄ってきて、私の手を握りしめる。私とサーシャは双子で産まれたけど、双子で産まれた女性は双子を産むなんて俗説があるのだった。本当になるとは思わなかった。
「似たくて似た訳じゃないわよ」
「でも母様と違ってサーラは体を鍛えてたから、あんまりお腹が目立たなかったんだね。誰もわからなかったよ」
「そうねえ。腹筋は結構あったから」
一般的には双子やそれ以上だと、お腹が大きくなるという。でも私はどちらかというと目立たない方だった。筋肉のせいだったかもしれない。
「サーラが目覚めてくれて良かったよ。サーラが意識ない間、ルカはそれはもう大変だったんだから。昼は政務、夜はずっとサーラに付き添ってさあ。ルカまでどうにかなるかと思っちゃったよ」
ジルが相変わらずぐしゃぐしゃに乱れた金髪でルカに寄り添う。ジルの場合はいつもそんな髪型で平常なのだけど、流石に疲れた様子だ。
「そうなの? ごめんね、ルカ。ジルにも迷惑かけてごめんなさい」
「何を言う。私こそ、サーラにこんな負担をかけてすまないと思っている。私が妊娠できたら良かったんだ」
ルカは真顔でいつもの冗談みたいなことを言う。妊娠中、ずっと言っていたものだ。
でも、私がサーシャに偽装した魔法も体の周りを魔法で覆ってサーシャに見せかけるだけだったように、体のつくりを変えるのはとても危険だし無理がある。
「ルカは何も悪くないわ。それにルカは最高の環境を整えてくれた」
私はマリアンナを含めて、医師や助手たちに微笑みかけた。ギリギリ生き残れて本当に良かった。私ひとりにこの医師団は大がかりすぎると思ってたけれど、並の体制では危なかったかもしれない。
「誰も悪くないということよ、ね」
私はいい感じに話を締めようとした。でも、ぐすっと鼻をすする音に私は首を動かす。アントニオが顔を歪めて泣き崩れていた。
「アントニオ?」
「サーラまでいなくなるのかと思ったんだからな……そんなに軽く言うな」
アントニオは口調を乱して、以前のようになっていた。それだけ心配をかけたんだと私は胸が痛くなる。そうだ、アントニオの実の母親はもういないのに、母親面してる私までいなくなるなんて、アントニオにしてみたらあり得ない酷い話だ。
「ごめんね、おいで」
私が腕を広げるとアントニオは逆らわずにすぐに来てくれた。私はベッドに上半身を起こしている状態だけど、まだ背が低いアントニオだと抱くのに丁度良かった。形の良い後頭部を抱き締める。アントニオは、私の妊娠中は遠慮してか全然来てくれなかったけど、子ども返りってやつかもしれない。
「サーラ……これからは母上と呼びますから。サーラと呼んでいてはあの子たちの教育に良くない」
「あら、ありがとう」
私たちの会話に、ジルが明るい笑い声をあげた。
「アントニオは本当に赤ちゃんに夢中だよ。面倒みたがって乳母が困ってるくらい」
「あっ! 言わないでって言ったのに!!」
アントニオが慌てて私から離れ、ジルの口をふさごうとした。ジルがしなやかに身をかわす。
アントニオとジルは、血縁的には複雑だけどおそらく従兄弟で、皇室の系図的には伯父と甥だ。今まで微妙な距離感だったけど、私の意識がない間にずいぶん仲良くなったらしい。こういうのも、新しい命があってこそなんだろう。
――――私は順調に回復し、子どもたちも元気に育ち、あっという間に5年の月日が過ぎた。
「母上と父上は、戦ったらどっちが強いの?」
うららかな春の日射しを浴びながら、私の膝の上に座ったネーロが無邪気に私を見上げる。黒髪に緑の瞳、ルカ譲りの最高にかわいらしい顔つきは天使そのものと言っても過言ではない。
「そんなの、ルカに決まってるじゃない」
私が答えると、ケーキを食べていたクロエがうーんと小首を傾げる。
「でもお父様は、お母様の方が強いとおっしゃってたわ」
クロエはルカ譲りの柔らかい金髪と緑の瞳で、将来どんな美人になっちゃうのか心配なくらいかわいい。ルカにも私にも似ているけど、最良の組み合わせになってくれた。
ルカはかわいすぎる、天使だと溺愛している。『サーラ以外の女性は愛さないと誓ったが、クロエだけはどうか許して欲しい』とまで懇願までされた。もちろん娘は別なので、全然構わない。それに、甘えん坊のネーロを私も溺愛している。双子のいいところは、夫婦で子どもの取り合いにならないところだろう。
「ルカがそんなことを? 精神的にってことかしら。でも私はルカの方が何もかも強いと私は思うわ。ほら、剣術だって……」
私たちが座るガーデンチェアから少し離れたところでは、珍しくルカがアントニオに直接剣術の指導をしていた。皇帝と皇太子の一騎討ちはなかなか見応えがある。
結婚前、ルカとデートに使ったりした秘密の庭園は家族揃ってお茶をする良き場所になっていた。ルカと私は政務、子どもたちは勉強に忙しいけれど何とか時間を捻出している。
17歳となり、身長が伸びて体格も逞しくなったアントニオは必死にルカに対して剣を打ち込んでいた。だけど――甲高い音がして、アントニオの剣が弾き飛ばされてしまう。
私は残念な声をあげるところだった。剣を落とすなんて、ボロ負けにも程がある。
アントニオは成長により体格は恵まれたけれど、運動神経はあまり良くない。それでも静かな湖のように優しく清らかな雰囲気で、縁談を望む令嬢は多い。まだ未熟だからと本人が断っている。
「参りました。父上は本当にお強い」
アントニオは腕を胸に当て、騎士の礼をする。
「誉めなくていい。しかし、皇帝が剣を持つのは最後の手段とは言え、これでは舐められるぞ」
「はい、より一層鍛練いたします」
「返事はいいんだがな」
ルカは肩をすくめてから、今度は細かい指導を始める。ルカが剣を持つその姿は勇壮で精悍で、私はうっとりとその姿に見とれた。
ルカは歳を重ねて尚、美しさと格好よさを増している。昔は黙って仕事の顔をしていると冷たく見えるときもあったけど、今は威厳の中に優しさを醸し出している。単に私の愛情が増しているだけかもしれない。
「ねえお父様! 私、お母様と勝負してるところが見たいわ!」
クロエは口の横に両手をあてて大きく声を張り上げ、少し離れたルカにお願いをした。危ないから近付いちゃダメと言ってあるからだ。
「うん? サーラと勝負だと?」
ハハハ、とルカが爽やかに笑う。剣を腰の鞘に納め、こちらに歩いてきた。アントニオも後ろに続く。足が長いふたりはすぐにテーブルの横に到着した。
「どんなにかわいいクロエの頼みでも、それは聞けない」
「ダメ? こんなにお願いしても?」
クロエは上目遣いでじっとルカを見つめた。その瞳には、ルカの『聖顕の瞳』と私の『魅了の瞳』両方の能力が宿っている。それはネーロも同じだった。我ながら、危険な子たちを産んでしまったとは思う。
今は特別製の、魔力を大幅に吸い取る腕輪で能力を制限している。しかし、クロエとネーロはお願いしたいときに人を見つめる癖があった。
「ダメだ。これは門外不出の秘密だが、我が皇室で一番えらいのは実はサーラなんだ。仕える者が、主君に剣を向けてはならないだろう?」
「な、何言ってるの?」
ふふっといたずらっぽくルカは私に向けて笑う。クロエとネーロは何でもすぐ信じちゃう年頃なのに。
「そうなんだ」
「そうなのねえ」
「ああっ、もう!」
「私も薄々思っていました。母上が一番えらいです」
アントニオまで、飲んでいた紅茶のカップをそっと置いて宣言する。そう穏やかに笑うと説得力があるから困る。
「そうとも。この世で最も尊く愛しい人、どうかその手にキスをする栄誉を」
ルカはネーロを素早く私の膝から下ろし、優雅な動作で座っている私の前にひざまずく。その姿勢でもルカはどこか支配的で、私は催眠にかかったように手を出してしまった。
「いつもありがとう。愛してる」
優しく手の甲にキスを落とし、ルカは翡翠の瞳で私を見上げる。どれだけのときを共に過ごしても、決して褪せない輝きに胸がぎゅっとしてしまう。子どもたちの前なのに顔が赤くなるのがわかった。
「ルカ……」
「サーラ」
私は椅子から立ち上がり、ルカに抱きしめてもらおうと飛び込む。ルカは寸分の遅れもなく立って、しっかり私を抱き止める。そのままぐるぐる回ってふざけた。
「まーた母上と父上はそんなになっちゃって」
「国民には見せられないわね」
ネーロとクロエの呆れた声が聞こえた。我が子ながら大人びている。
「早く退位してゆっくりしてもらえるよう、私が頑張らないと」
「そうね、がんばってお兄様! 私がお兄様を支えるから!」
「僕だって兄上の補佐官になるよ!」
アントニオがぼそっと呟くと、ネーロとクロエがはしゃいで宣言をする。双子はアントニオが大好きで、アントニオも双子を可愛がってくれていた。
先日、実の兄ではないことを伝えたけれど、だから何としか言われなかった。ネーロとクロエは、幼いからこそ大切な気持ちに正直だ。好きだと思う気持ちに面倒な事情はいらない。
すっかり賑やかになった庭園は今日も緑が萌え、噴水からの水飛沫が虹を映し出していた。
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