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眠りと、目覚め

 私は分娩台に運ばれてから、断続的な痛みに長く苦しんだ。ルカは付き添いたがったけど、苦しんでいるところを見られたくはなかったので事前に断っていた。


 陣痛は朝から始まって夜までかかり、朦朧とした意識の中でようやく赤ちゃんの泣き声を聞いた。


 良かった、これで終わったんだと安心した。



 ――気がつけば、また朝になっていた。カーテンの隙間から青白い朝の光が漏れている。


 医務室にまだいるんだな、と私は寝たまま辺りを見回した。私はベッドに寝ていた。ルカがすぐ近くの椅子にかけている。ルカは目を閉じて腕を組んで俯き、どうやら眠っているようだった。


「……ルカ、あ、赤ちゃん、は?」


 私は声を出そうとして、ひどく咳き込みながら問う。信じられないほど声が出しづらくて、ほとんど息しか漏れない。それでも、ばっと顔を上げたルカと視線がかち合った。起きてくれた。


「サーラ」


 ルカの両目に涙が盛り上がり、私は胸騒ぎに体を起こそうとする。でも、上から押さえつけられてるみたいに体が鈍重で、上手くいかなかった。仕方なく口だけを動かす。


「ねえ、赤ちゃんは? 何かあったの?」

「元気だ」

「どこ?」

「今連れてくるから、まだ起きなくていい」


 起きなくていいと言われたけど、そもそも体を起こせそうもなかった。出産で体力を使い果たしたのだろう。ルカが震える手で私の頬に触れる。


「どうした、の?」

「サーラが10日も意識を取り戻さないから、私は生きた心地がしなかった……」

「え?」


 そんなに、と私は声にならない声で聞く。記憶に恐ろしいほど空白ができている。意識を失ったにしても半日くらいのつもりでいた。


「サーラと結婚して、私はあまりに幸せ過ぎて、どこかに落とし穴があるんじゃないかとずっと不安だった。悪夢が現実になったのかと思った。まだ、もう少しこうさせてくれ」

「私、もしかして危なかったの?」

「一時は」


 ルカが悲痛に頷いた。私は怖くなって、腕や背中がぞわぞわとした。自分が死ぬともわからないうちに死んでたかもしれないなんて。


 頬に触れているルカの手に自分の手を重ねる。


「ごめんね、心配かけて」


 ルカはかなり痩せたのか整った骨格が浮き上がっている。それでも危なげな美しさがあって、耽美派の絵画のようだ。


「私こそ、すまなかった。サーラに痛く苦しい思いをさせた」

「ううん、あんなに私は大丈夫って言ったのにごめんなさい」


 私は健康と頑丈さには自信があった。それに不摂生はしてないし、経過は順調だった。それでも出産には危険が伴うんだと今になって恐ろしくなる。


「サーラは何も悪くない。私も望んだことだ。せめて、私は絶対にサーラより先には死なないと誓うよ。お前は別離の苦しみは知らなくていい」

「だめよ、私はもうルカにつらい思いはさせない。絶対私の方が長生きするから。だって私はルカより4歳若いし」

「私が……」

「いえ私が……」


 しばし睨み合ったあと、あまりの不謹慎さにどちらからともなく笑い出す。変な張り合いだった。ルカは指で目頭をおさえる。


「待ってろ、今医師を呼んでくる。それから子どもたちも」


 ――子どもたち?


 私が問う暇もなく、ルカは案外に機敏な動きで扉の外へ出て、待機していた人に何事かを伝え、私から目を離すのが不安なのか急いで戻ってくる。


 すぐに助手の人たちがやってきて私の半身を起こして水を飲ませたり顔を拭いたりしてくれるので、私は質問できなかった。


 それから医師のマリアンナがやってきた。彼女にも負担をかけてしまったようで、少し疲弊した様子だった。こんな私でも皇后だから、何かあってはと脅えてたのかもしれない。


「ああ、皇后陛下! 意識が戻られて本当に良かったです。この度は、申し訳ございませんでした」

「何のことでしょう?」

「双子だと見落としていたことです」

「ええっ……」

「皇后陛下は大変ご立派におふたりをお産みになられましたよ。ただ出産が長引いて出血が多く、血が止まらない状態に陥ったのです」


 私はされるがままに脈やら下まぶたの裏やらを診られる。でも、双子かどうかの判定法は今のところない。そんなの魔導具による妊娠検査でもわからない。あれは妊娠してるかどうか調べるだけで、お腹の中に何人いるかを調べるものではない。


 それに、事前に双子だとわかっていても、出産に伴う出血は防ぎようのないものだ。多量に出血すると血を止める成分が不足して止まらなくなることも、私はルカと一緒に医学書を読んで学んでいた。


「ルカ、彼女たちを怒ったりしてないわよね?」

「あ、ああもちろん……助けてくれと頼んだだけだ」


 私は軽くルカを見やる。ルカはなぜか目線を逸らしたので私はもっと追及しかけたが、マリアンナが苦笑して止めてくれた。


 すぐに侍女のジータと、このたび乳母を頼んでいたバレッタ卿の妹君、エステッラが、その腕にそれぞれ赤ちゃんを抱いてやってきた。エステッラは2人の子どもを育てたベテランで、ありがたくも乳母を願い出てくれた。


 私が全く役に立たない間、双子にお乳を与えてくれたのかと感謝しかない。


「ごめんなさいエステッラ、私……」

「全っ然大丈夫ですよ! 私は出が良いですし、とってもいい子たちです! お顔を御覧になって下さい!」


 エステッラは赤い瞳を柔和に細めて、元気よく声を張った。流石にバレッタ卿の妹君だ。


 私は念願だった、赤ちゃんの顔をやっと見た。


「な、なんてかわいいの」


 おくるみに包まれた赤ちゃんはあまりに小さくて、かわいくて、涙で視界がぼやけた。


「黒髪が男の子で、金髪が女の子なのね?」

「そうなんだ。男の子と、女の子だ。本当によく産んでくれた」

「もっとよく見せて!」


 情けないことに体が言うことを聞かない。産まれたらすぐにこの腕に抱きたかったのに。


 ジータとエステッラがそっと近付けてくれた。澄んだ瞳で、不思議そうに私を見てくれる姿に胸を鷲掴みにされてしまう。赤ちゃんの瞳はふたりとも、ルカと同じ最上級の翡翠のような緑で美しい。もう二度と出産のあんな痛い思いをしたくないと思ってたけど、この子たちを守るためなら致し方なく受けてもいいくらいだった。


 私はごめんねと万感の思いで小さな頭を撫で、柔らかい頬に触れた。乳母や侍女に任せきりにしないで私が自ら育てようと思ってたのに、最初から躓いてしまった。


 それに、妊娠中にお腹の中で動いていても元気なのねと呑気にしてるだけで双子だと気づきもしなかったし、産んだのも痛くて一人目までしか記憶がない。こんなに駄目な母親なのに、無事に産まれてきてくれてありがとうと囁く。


「……名前は?」


 涙を拭いて、私はルカに振り返った。ルカはまた瞳を潤ませていた。

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