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希望

 カミラ夫人の勧めもあり、私はお茶会を早めに退席して妊娠しているのかどうか調べることにした。


 侍女のジータに付き添ってもらい、回廊を進む。気付けばかなり早足になっていた。


 欲しい人のところにはなぜか子どもは来てくれないとか、あまり熱望すると病むなんて噂を信じてあまり考えないようにしてたけれど、私はかなり子どもを望んでいた。


 もちろん、複雑な事情により養子縁組をした12歳のアントニオへの愛情も確かにある。ちゃんと息子として愛している。ただ子どもは複数いたっていいはずだ。夫婦間に子どもがひとりだけじゃ、人口は減ってしまう。血の繋がりを重視してる訳じゃなくて――


 考えを整理しきれないまま、私は宮殿内に最近設けられた医務室の扉の前に立っていた。ジータが扉を開けて、てきぱきと話をしてくれる。


 ここには、ルカが集めた婦人病や妊娠出産が専門の最高の医師や助手がいる。必ず私を守ると誓ってくれたルカは、手厚くあらゆる方向から私の危険を排除しようとしてくれていた。


 もっとも、子どもは授かり物だ。私が妊娠しなくて医師らが何年も手すきになるかもと怖くなった私は、宮殿で働く女性が自由に訪れられる、女性専用医務室にしてしまった。毎月の不調や、悩み事を相談できる場所となり、女性陣から評判が良くて何よりだけれど――


「それでは早速検査してみましょうね。そちらに横になって頂けますか?」


 私を診るのは2名いる医師のうち、より熟練のマリアンナだ。確か46歳で、すてきな笑い皺を浮かべている。結婚直前と結婚後に問診というか相談をして、親しみは持っていた。


「はい」


 私が寝台に横になる間に、マリアンナは専用の魔導具を用意した。色々な装置が納められた巨大な箱から管が2本伸びたもので、近年開発された。


 お腹の中に、本人以外の魔力反応があるかどうか検査することで妊娠を確定する。服を着たままでいいし、母体にも赤ちゃんにも負担はない。


「では、こちらの管の先に触れて下さい」

「はい」


 私は箱から伸びている一方の管の先、握りこぶし大の珠に手を沿わせる。その途端、ぱっと室内が明るくなる。箱の前面のガラス板の嵌め込まれた部分から、眩い青い光が明滅しながら広がっていた。


 マリアンナはもう一方、先が大きく広がっているものを私の臍下に当てながら苦笑した。


「ごめんなさい、眩しいですね。今感度を下げます」


 箱のスイッチやダイヤルを操作したことで、明るさはましになる。妊娠初期から検査できるので、微弱な魔力も感知するようになっているのだろう。私の魔力はすごく弱いけれど、結構眩しかった。


「皇后陛下の魔力の波長を解析して分けますから、もう少しお待ち下さい」


 魔力の波長は、個人によって異なる。それを利用した妊娠を調べる装置だけど、忙しそうに調節しながらマリアンナは私の顔をちらっと見る。


「何か?」

「いえ、失礼しました」


 私はドキドキと落ち着かない気持ちで結果を待った。やっぱり気のせいだったのかな。私があんまり期待した顔でもしてるから、言いづらいのかもしれない。聞いていたより長い時間が過ぎた。ジータは私の側に立ち、両手を組んで祈るようなポーズをしている。


 やがて、マリアンナが手を止めた。青い光に変化がないので、妊娠してなかったのかなと歯噛みする。でも、マリアンナはくしゃっと魅力的な笑みを浮かべた。


「ご懐妊、おめでとうございます。大変魔力の強い御子様ですよ」

「え?」

「皇后陛下のお話だと、まだ妊娠5週のはずですが信じられない魔力の強さでいらっしゃいます。流石、ルカルディオ陛下の御子様ですね」

「まあ……」


 それしか言えず、私は魔導具から放たれる青い光を見つめた。この世で一番かわいい輝きに思える。光だけでこんなに愛しいのなら、この腕に抱けたらどんなにかと涙さえ出そうだった。


 私は魔力が弱いから、マリアンナは調節に手間取ってしまったようだ。そんな失礼なことは決して言わないマリアンナに笑いかける。


「ありがとう。難しい調節をさせてしまいましたね」

「とんでもございません」

「お腹の子と魔力が違いすぎることで、何か気をつけることはあるかしら?」

「魔力差があるからと、母体や胎児に悪影響があるという根拠を示すものは、現在のところありません。繋がっていますから、妊娠中に陛下の魔力が強くなる程度です。あとは、気楽にお過ごしになるのが一番です」


 マリアンナは心配ないというように、手のひらを見せる。


「凍った湖にでも飛び込まない限り、何があっても皇后陛下のせいではありません」

「ええ。それだけはしないように気をつけます」


 私は身を起こして、大きく頷いた。最初の問診のときに、きちんとした教えは受けている。妊娠しても必ず出産に至れると限らないとも教えられた。でも、考えたくはないことだ。この青い光を失いたくない。


 それからいくつかお話をして医務室を出ると、世界が変わったように見えた。きらきらして、見慣れた宮殿が殊更に美しく感じる。アーチ型の天井に描かれた天使の絵は感動的な傑作だ。


 お母様も私とサーシャの妊娠がわかったとき、こんな気分だったのかしら。


「おめでとうございます、陛下。私が先に気付くべきでしたのに、申し訳ございません。これから私が全力でお支え致しますわ」


 ぼんやり天井を眺めながら歩く私を、ジータが言葉通りに私の腕を取って支えてくれた。


「ありがとう。ジータは素晴らしく優しい淑女ね。あなたを育てたアレッシ夫人にお礼を言いに行きたいわ。今伺ってもいいかしら?」


 ジータの母君、アレッシ夫人は文官として宮殿の行政部にいる。


「まあ。妊娠すると気分が高揚し過ぎておかしなことを言うというのは本当でしたのね。それには及びませんから、まず落ち着くことをお勧めしますわ」

「そう? ジータはしっかりしてるのね。すてきよ」


 何だか、横にいるジータを含め今生きている人全てが奇跡みたいに感じられた。尊重しなきゃいけない大切な存在だ。私はまだ母未満だけど、母とは偉大なものだ。お礼を言いに行きたい。


 私は――ルカとアントニオの母である、ニヴェスリア元妃に思いを馳せる。


 彼女は既にこの世にはいないけれど、彼女の遺したものは、とてつもなく大きい。ルカを産み、アントニオを産んだのだから。


 でも、私はニヴェスリア元妃に何も出来なかった。先帝陛下やルカでさえ道を踏み外す彼女を止められなかったのに、私が何か出来たかと思うのはおこがましいけれど、悔いはずっとある。


 彼女に託されたアントニオに対して、私が出来ることをしたかった。




 夜、寝室でルカと二人きりになってから、ルカに話があると伝えた。ルカは何ごとかと心配そうにソファに座り、私はその横にかける。


「実はね、今日、妊娠の検査を受けたの」

「そうだったのか?! どうだったんだ?!」


 ルカは期待と不安が半々の表情を見せた。私も検査前はこんな顔をしてたんだろう。私は黙って、意味ありげにお腹を撫でる。出来たみたい、とありがちなセリフを言うのは恥ずかしかった。


「そうなのか? 子どもが……」

「うん。すごく魔力の強い子だって。ルカに似て良かった」

「サーラ!」


 ルカは私を抱きしめ、額にキスをした。喜んでくれて良かったなあと安心する。


「魔力なんてあってもなくてもいい。ありがとう、こんなに嬉しいことってあるんだな」

「まだ超初期だから、どうなるかわからないけど。ルカなら知ってると思うけど…… 」

「ああ。サーラの健康を一番大事にしてくれ。だるかったり、気分が悪かったりしないか? サーラの政務を減らそう。その分は私が引き受ける。私はそれしか出来ないのだから」


 心配性なルカは私の両頬を包み、じっと健康状態を見極めようとしている。帝国の叡智と呼ばれるルカは、ほとんどの医学書の内容が頭に入っている。だから、妊娠や出産に際して万が一にも私が死ぬことを恐れ、そういうことに消極的だったらしい。まあ私が宥めたりすかしたりして押しきったけど。


「今のところ、食べ物の好みが少し変わったくらい。あとは元気だから心配しないで」

「そうか。変化があったらどんなことでも教えてくれ」

「変わらなかった思いはあるわ。アントニオのこと」


 私は、つい重苦しい口調になった。何のことかわかったルカが唇を引き結ぶ。


「もう結論を出していいのか?サーラを疑う訳ではないが、これからサーラの体調は変わっていくだろう。産まれてからでも遅くはない」

「説明が難しいけど……妊娠がわかって、もっとルカやアントニオが大切になったの。だから、少しでもアントニオを不安にさせたくないわ」


 以前からルカと話し合って、決めていたことがある。予想以上に妊娠が早かったので急がなきゃいけない。


 どんなにアントニオは私たちの子どもだ、愛してると言っても、私たちの間に子どもが生まれたら、アントニオが寂しさを抱えることは想像に難くない。口では何とでも言えるのだから。


 気持ちを証明するために、ひとつしかないものをあげたかった。


「アントニオを皇太子にしましょう」


 現在皇子であるアントニオに皇位継承権を与え、立太子させる。それが、亡きニヴェスリア元妃の願いであり、アントニオが抱き続けている希望だから。

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