ふたりの誓い
「サーラは疲れたんだろう、早く寝た方がいいな」
「そ、そういうことじゃなくて」
私の精一杯の誘い文句を、ルカは慈愛と労りの微笑みを浮かべてかわしてしまう。
――大方の予想通りだ。私の侍女たちは、『ルカルディオ陛下は本当にサーラ様を大切にしていらっしゃいますから、お疲れであろうサーラ様を慮り、今夜は早く寝ようとおっしゃるでしょう』と言っていた。
ルカは大きな手を私の額に手を当てた。
「うん、少し熱っぽいな」
「お酒のせいよ。でもこれ、おいしくて飲み過ぎちゃいそう」
私は、愛の妙薬に限りなく近いというお酒の入ったグラスを傾けた。それは甘酸っぱくて、疲れた体を癒してくれるようだった。
目の前には、夫になった愛して止まないルカがいる。繊細な金髪、凛々しい眉。気品と調和に満ちた、夢のように美しい人。神秘的な翡翠の瞳はどれだけ見ても飽きることはない。
私の陣営は、『お酒に酔ったふりをして抱きつけば、万事上手くいきますわ』と助言してくれた。
「このお酒、甘口なようできついのね。酔ったみたい……」
ちょっと棒読み口調ながら、ルカの広く逞しい胸にもたれかかるように抱きついた。すぐにルカが背中をさすってくれる。
「大丈夫か? 水を飲むか?」
「ううん、水は今はいいの」
「おかしいな、こんなに猫みたいに甘えて。愛の妙薬が効いたみたいではないか」
私ははっとして体を離す。愛の妙薬とは惚れ薬のようなものだ。しかし最初から愛し合っていたら効果がないと、さっきルカは言っていた。つまり真実の愛を証明するために、今夜は衝動的な行動は出来ない。完全に皇帝の罠であった。ルカがいたずらっぽく笑う。
「効かないよな?」
「も、もちろん。ルカを愛してるから」
「私もだ。全く変わらない。いつも通り、愛している」
なぜか色気たっぷりに低い声で囁き、ルカは私の手を取って指を絡めてくる。心臓が跳ね上り、ドクドクと脈打った。心臓が止まってはいけないけど、止まってと願う。
「サーラ」
「う、うん」
「サーラは子どもの頃、何になりたかったんだ?」
「え?」
何とこの盛り上がりの最中、ルカは平然と昔話をしようという。今夜はお話だけなのねと私は諦めた。こうなったらルカにとことん合わせてみようと、記憶を巡らせる。
「騎士の家系だから自然に騎士に憧れたけど、……7歳でルカに出会ってからは、どうにかお近づきになりたい、お役に立ちたいと現実的に文官を目指したわ。女性騎士の募集はなかったから。でも今はこんなにルカに近付けて、近衛騎士団の役職ももらえて、政務も任されて。そう、ルカが何もかも叶えてくれたのよ。だから、私はすごく幸せ」
私が滔々と語るに連れ、ルカは輝くように微笑んだ。
「そうか。それなら良かった」
「ルカの子どもの頃の夢は?」
聞いていいのかわからないけど、私は訊ねてしまう。ルカはゆるく首を振った。
「これは誰にも言ったことのない秘密だが」
「うん」
「私も子どもの頃、騎士になるのが夢だった。父上が在位されているとき、私と父上が同時に襲われたことがあったんだ。身を挺して守ってくれた強く逞しい騎士の背中に憧れたんだ」
私の剣タコのある手を両手で包み、ルカは視線を下げてそう言った。
「そうだったの……」
初めて聞く襲撃の話と、叶わなかった夢の話に胸が切なくなる。
「ごめんなさい、私ばかり」
「いいんだ。サーラが笑ってくれるだけで全て報われる。サーラが幸せであることが何よりも私の幸せだから」
ルカは繋いでいる手に少し力を込めた。手のひらは熱く、思いが伝わるようだった。
「だからだろう、私はサーラの騎士姿が好きだ」
「ありがとう」
「礼を言うのは私の方だ。私を好きになってくれて、ありがとう」
そっくりそのまま言い返したかったけど、また終わらなくなるので口をつぐむ。胸が詰まって上手く言えそうもないのもあった。
「私は騎士にはなれなかったが、サーラを必ず守り抜く。つらいこと、苦しいことがあればすぐに言って欲しい。私はサーラのためなら、何でもする。生涯をかけてサーラを幸せにする。結婚式では、神にそう誓ったよ」
更に胸を撃ち抜かれたようで、私は細く息を吐いた。
「私も、似たようなことを誓ったの。ルカの幸せを願ってる」
「互いに幸せでなければ、幸せじゃないということか」
「そうなるわね」
私はルカとくすくす笑った。騎士道とは自己犠牲の道とも言われる。己を鍛えるのは他者を守るため。持つ者は、持たざる者に優しくて分け与えねばならない。そういう意味では、何もかも持っているルカは誰よりも秀でた、強く優しい騎士だ。
「ルカは、世界一の、私だけの秘密の騎士よ。皇后として任命するわ」
ルカが驚いたように目を大きく見開いた。すぐに意図を察して、恭しく私の手を取り直す。私の手の甲を上にして、指先だけを重ねた。
「命を賭けて、サーラを守ると誓う」
ルカはそっと、私の手に口づけをした。触れる指先も唇もすごく優しくて、胸いっぱいに愛しい気持ちが溢れる。
「ねえ、私の騎士さん。ぎゅっと抱きしめてくれる?」
「ああ」
騎士が抱擁なんてするのかなどと無粋なことは言わず、両腕でかき抱くように、何かから守るように、ルカは私を包む。私は目を閉じて深呼吸をした。こうしているだけでも幸せだけど――
「ベッドに連れていってくれる?」
「もちろん」
私のわがままを意に介さず、ルカはお姫様抱っこをしてベッドまで運んでくれた。壊れものを扱うように慎重に、そっとベッドに下ろされる。
「明日は寝坊してもいいのよね」
「ああ。ゆっくり体を休めてくれ」
寝かしつけようとしてるのか、布団をかけて私の髪を撫でるルカを見上げた。
私とルカは、新婚なので明日から10日間の公休を取っている。私は王宮に来て以来だから1年ぶり、ルカに至っては11歳の即位からまともな休みはなかったというから、15年ぶりの長期休みだ。心が浮き足立つようで、やっぱり眠れそうにはなかった。
◆
結婚から2ヶ月経った頃、私は皇后としてお茶会を開いていた。慈善事業の出資者への感謝も兼ねている。ベラノヴァ団長の妹、カミラ夫人が間に入ってくれて、多くの貴婦人方とも仲良くなれ、それなりに楽しく過ごしていた。
お茶会は通常3種類くらいお茶を用意する。種類豊富なお菓子や軽食に合わせ、長くお喋りをしながら味わうものなのだが、この日は最後のお茶が濃いめのミルクティーだった。
ティーポットから、勢いよく泡立てて注がれるミルクティーの香りに私は口元をおさえた。お菓子を食べ過ぎたのか、突然気持ち悪く感じたのだ。
「どうされました?皇后陛下」
カミラ夫人がすぐに気付き、レモン水を差しだしてくれる。彼女は細やかな気遣いができる人だ。まだ皇后陛下と呼ばれるのはむず痒いが、それ以上に胸がむかむかした。レモン水を飲み、胸をさする。
「失礼しました。急に気分が悪くなってしまって。ミルクティーは今は飲めないようです」
「あら、以前はあんなにお好きだったのに。それに、今日は酸味のあるお菓子ばかり召し上がってましたわね」
「そうでしたか?」
カミラ夫人が、扇で口元を隠して私に囁く。
「もしかして、とさっきから思っておりました。まだお調べにはなっていませんの?」
「まだですが……」
カミラ夫人の意味するところは、妊娠の検査だ。子どもが5人いるカミラ夫人の勘は鋭いかもしれない。




