結婚式 2
クワイヤにいる聖歌隊が讃美歌を歌う中、私とルカは並んで大聖堂の中央、緑の絨毯が敷かれた身廊をゆっくりと進む。高窓のステンドグラスを通して虹のような光が射し込み、いつになく神聖な空間に思えた。
身廊の左右にはベンチが整列していて、国中の貴族と国外からの貴賓が座っている。
左側の最前列には私のお父様とお母様が、右側の最前列にはジルとアントニオ、それから元輝石の魔女エメラルダスがいた。
私は背筋を伸ばし、ルカと一緒に最奥の祭壇を目指して歩く。ただし身廊はすごく長い。そこまでゆっくり歩きでもないけど、2番まである讃美歌が終わるまでかかった。大きなブーケは大剣並みに重く、胸のやや下で抱えているのはなかなかの負荷だった。
讃美歌が終わり、大聖堂いっぱいにパイプオルガンの演奏の音色が鳴り響いた。
その伴奏の中、大司教が詩歌を詠む。ディランドラ教の聖典のうちの、結婚式にふさわしいものだ。
曰く、人は誰しも未熟な肉体と魂を持って産まれてくる。未熟な肉体と魂は親兄弟、隣人によって育てられる。しかし、肉体が冷たく硬い骸になるまで、魂は未完成のままである。
日々肉体の成長を感じられる少年少女のときを過ぎると、魂の不完全さ故に誰しもが孤独と哀愁、嫉妬と焦燥に苛まれる。不完全な魂を補いあうため、人は心に決めた人を伴侶とし、魂を結び付けたいと願う。魂を結ぶことが結婚である。神はそれを許される――
「あなたたちの未来に、多くの幸があらんことを」
大司教の祈りに、出席者が一斉に拍手をした。続いて銀色の水盤が司祭たちによって運ばれてきた。清らかな水は、ゆらゆらと天井のレリーフを映している。大聖堂の奥の秘所には、500年もの間湧き続ける聖なる泉があり、そこから汲んだものだという。
「互いの祈りを、聖なる水に」
大司教に促されるまま、私とルカは水盤の外側に触れた。この水盤はとても魔力の伝導が良い特別なもので、触れるだけで内側の水に魔力を込められる。
あまり敬虔な信者ではない私だけれど、かたく目を閉じて祈りを込めようとする。
どうか、ルカが幸せになりますように。もうルカが苦しまないように。ルカはもう十分苦しんだから。これからは私が共に寄り添い、杖として、盾として、ときには剣となって戦いますから――私はルカを愛していて、彼と喜びを分かち合いたいのです。
目を開けると、水は透明なまま揺れていた。水盤の向こうに立つルカは何を祈ったのだろう。ルカの美しい翡翠の瞳に水面の光が射して、潤んでいるようにも見えた。
大司教は錫杖を振るい、水を操って水盤から3つの真鍮のゴブレットに水を移す。1つは祭壇に置かれ、神に捧げられる。残る2つは私とルカに手渡された。
「では、誓いの杯を」
私は杯を飲み干した。特に味はしないけれど、水は良く冷えていて体が内側から澄み渡り、力を与えてくれるようだった。
それから結婚契約書にサインをした。
通常の貴族同士の書面とは異なり、ルカルディオ陛下が私を皇后として認めるという内容だ。私は初めて、同じ書類に名前を併記できて嬉しかった。が、これでサーラ・フォレスティという名前の役目は終わる。
私はサーラ・クリスティア・ディランドラになる。クリスティアは、ルカのお祖母様の名前であり、名誉なことにその名を頂いた。なお既に亡くなっている方だ。皇族は名前の混同を避ける目的で二つ名前を持つ。ディランドラの家名をそう気軽に呼んでいいものではないからだ。
「ルカルディオ・アレッサンドロ・ディランドラ皇帝陛下、サーラ・クリスティア・ディランドラ皇后陛下に祝福を」
全員が立ち上がり、大きな拍手をした。私とルカは拍手に応えようと、出席者側に振り返る。後ろで大司教が錫杖を振り、祝福魔法をかけてくれた。聖顕の瞳を持つルカには不要だけれど、お祝いはたくさんもらっても気分の良いものだ。
それから、オープン型の馬車に乗って帝都の目抜き通りをパレードをする。馬車は船か揺りかごのような形をしていて、後方に御者としてバレッタ卿とベラノヴァ団長が立った。
ディランドラ帝国の旗を振る人で沿道はひしめき、見たことのない盛り上がりようだった。私は笑顔で手を振った。
「本当に大勢の人がいますね……」
私は賑やかな空気に呑まれながら、こそっとルカの耳元に話しかける。かなり顔を近づけないと、会話も出来ない。途端、人々から口笛と高い歓声が上がった。何かと思ってそちらに向くと、キス、キスと盛り上がっている。顔を近付けたので勘違いされたらしい。
次第に群衆はキスをしてと盛り上がる。小さな女の子まで、父親とおぼしき男性に肩車されて無邪気にキス! と叫んでいた。何そのキスコールは。
「これは矢の雨より厳しいな」
ルカが微笑を崩さず、私の耳元に囁いた。人々は思った以上に好意的で、むしろそれ以上だった。でも確かに、私も観客なら皇帝陛下と皇后陛下のキスを見たい。それに私がルカを愛していると見せつけることで、人々の安寧に繋がるかも――しれない。
「しましょうか。頬くらいなら」
「サーラがいいなら」
私はルカの刺繍飾りの見事な胸元に手を置き、高貴な白い頬にキスをした。歓声はどっと沸き、天を割りそうに轟いた。馬がうるさそうに耳をピクピクさせる。
「今ので帝国の男全員の嫉妬を得たな。私は帝国一の幸せ者だ」
誇らしげに、ルカが笑う。私は後から照れてしまい、後はどれだけキスコールを受けてももうしなかった。
パレードを終えて王宮に戻ったらまた別のドレスに着替え、晩餐会を行う。全員とまではいかないけれど、高位の貴族と外国からの貴賓には挨拶をしなければならないので時間と気力を大量に使った。
全て終えた夜には、ぐったりしていた。翡翠宮に輿入れをして、昔からの侍女に体を清めてもらい、ナイトドレスに着替える。薄化粧を施してもらい、私はルカの寝室の前に送り出された。疲れ切ってはいたけど、初夜を迎えた訳である。
魔法でサーシャの姿になっていたときに、一度ルカのお見舞いに入って以来だ。緊張はとてつもないが、ええいとノックをした。
すぐにルカの返事は返ってきて、私はルカの――これからふたりのものになる寝室へと足を踏み入れる。少し改装したらしく、造りが変わっていた。私がしばらく使っていた紫水晶宮のような、異国情緒溢れるロマンチックな内装だ。
「サーラ」
ルカはベッドではなく、ソファに腰かけていた。落ち着き払っていて、余裕がありそうに見える。今さら、大人の男性なんだなと再認識した。テーブルの上には、ルビー色の酒器と果物などがあった。
「長い一日だったな。ここへ」
「はい」
私は隣に座って、ルカが注いでくれたグラスを受け取った。匂いからして果実酒かと思われる。晩餐会でも少し飲んだけれど、とても素面では居られないのでありがたく口をつける。甘酸っぱくて口当たりが良く、私はもう一口で半分を飲んだ。
「おいしい。これは?」
「エメラルダスが結婚祝いにとくれた。愛の妙薬に限りなく近い果実酒だそうだ」
「……っ?!」
危うく噴き出しそうになる。元輝石の魔女、エメラルダスは何てものをくれたんだろう。別にそんなものなくても大丈夫なのに。多分。
「大丈夫だ、元々愛があれば効かないらしいから」
ルカは平気な顔でグラスを空けた。ルカはお祝いの席以外ではほとんど飲まないけれど、多分めちゃくちゃお酒に強い。顔色さえ全く変わらない。
だけど、今夜のルカはやけに色気が増して見えた。長い睫毛の影が目元に陰影を作り、私はどうしても注目してしまう。ルカの翡翠の瞳も熱っぽく私に向いていた。
「何だか熱いような……」




