結婚前夜
(少しわかりづらいかもしれませんが、サーラの心の中では、ルカルディオ陛下をいつでもルカと呼ぶようになっています)
「サーシャは頭でも打ったの? バカ言ってないで寝なさい。私ももう寝たいんだけど」
何が妻も姉も僕のもの、だ。そんなワガママが許されるのは皇帝くらいのもの。でもルカルディオ陛下はそんなワガママを言わず、求める女性は私ひとり。よって、ルカは最高。またひとつルカの良さが証明されてしまったわと私はサーシャを押し返そうとした。
「だって、明日にはサーラは僕の姉じゃなくてみんなの皇后になっちゃうと考えたら寂しくって……」
「姉であることは一生変わらないじゃない」
「でも!」
扉を開けたままサーシャと押し問答をしているので、何事かと紫水晶宮にいる侍女たちが寝間着やナイトキャップを着けたままの姿で集まってきた。
でも、サーシャが私にへばりついているだけなので、あらまあと笑われるだけに終わる。姉弟ケンカには誰も仲裁に入ってくれようとしない。
私はため息を吐いて、サーシャの艶々の黒髪をなでる。お手入れが行き届いていて触り心地は良かった。
「もう落ち着いてよ。それにサーシャも警備の近衛騎士として一緒に翡翠宮に移るし、昼間も執務室で一緒だし、そんなに変わらないんじゃないの?」
「違うんだよ!」
サーシャは顔を上げる。ぽろぽろと紫の瞳から涙を零れさせていた。
「明日からは、サーラを皇后陛下と呼ばなきゃいけない。近くにいても、今までとは変わっちゃうんだ」
「私はサーシャだけはいいと思ってたけど。だって、どう見ても血縁者だし」
「ダメだよ。サーラが人前で陛下に敬語を使うのと同じように、ルールは守らないといけない」
「うーん……」
その辺りの考え方は、あまりに私と同一だった。一応は貴族家として染み付いた行儀だ。
「じゃあふたりで話せる時間を作るから」
「嘘だ。結婚したらサーラはルカルディオ陛下と蜜月を過ごすでしょ。ってことは、政務に忙しいサーラに僕との時間はもうほぼ無いってことだよ」
「……」
私をあっさり論破して、サーシャは厳しい目付きをした。ぐうの音も出ない。そりゃあ結婚したら、ルカとイチャイチャしたいに決まってる。でも。
「サーシャだって、ペネロペと結婚式挙げたあとはたっぷり休暇を取って蜜月を過ごしたじゃない。私だって寂しかったけど我慢してお祝いしたんだから。サーシャも我慢して私を祝って」
「うっ……」
話は平行線をたどるばかりだった。私とサーシャは基本的に同じレベルなので決着はつきそうもない。ただ、私の鍛え上げた感覚が接近しつつあるルカの気配を知らせていた。今日は5日に1度のお泊まりの日じゃないけど、結婚前夜だから軽いお話にでも来てくれたのかな。
「みんな! もうすぐ陛下がいらっしゃるわよ」
私が声を張り上げると、寝間着の侍女たちはきゃあきゃあ言いながら近くの部屋に姿を隠した。ルカルディオ陛下に寝間着姿を見られるのは不敬だし、恥ずかしいんだろう。ただし続きは見たいらしく扉の隙間をほんの少し空けていた。
「サーシャ、陛下がいらっしゃるけど、私にくっついていていいと思う?」
「今だけはいいんだ」
サーシャは私を抱きしめ、肩口を涙で濡らし続けてていた。やがて濃紺のシャツというリラックスした姿のルカがやって来る。珍しいことに、ジルが帯同していた。兄弟そろって夜にここに来るのは初めてかもしれない。
「サーラも弟と取り込み中か。私もジルが騒ぎだしてな、ここに避難しに来たんだが」
ルカは最高峰に男前の顔で苦笑する。そのルカの左腕を抱き抱えるようにジルがくっついていた。ルカとジルは異母兄弟ながら、拗らせた仲の良さを持っている。
「もしかしてジルまで直前になって寂しくなった感じですか?!」
「ああ、そうなんだ」
「サーシャもです。示し合わせたみたいですね」
ジルが青と緑の大きな瞳でぎろっと私を睨み付けた。
「別にサーシャとは示し合わせてないよ。僕はただ、結婚なんて人生の墓場で破滅の始まりだからやめてって言ってるだけ。結婚しなくたっていいじゃん。ずっと婚約関係でいいよ」
ジルは言ってることが無茶苦茶だった。しかし一年かけて用意した結婚式や式典の予定は覆されない。
私とルカは困ったな、と顔を見合わせる。四つ巴というのか――事態はより一層に膠着した。
「よし、ジルとサーシャを同じ部屋に閉じ込めておくか」
ルカは私が思ってもみない発言をした。閉じ込めるのが好きなのかな。
「それはかわいそうですよ。ここはやっぱり、お互いの弟と、一晩かかってでも話をつけましょう。それがけじめです」
「サーラは早く寝ないと明日体力が持たないぞ。ドレスは私の衣裳より重いんだろう?」
「ええ、鍛え上げましたから問題ありません」
私は拳を握り、腕を曲げる。鎧並に重いドレスを長時間着ても姿勢を崩さないよう、私は筋力を増強させた。
「さあ、来なさいサーシャ。納得行くまでお話してあげるから。それでは陛下、お休みなさいませ。明日を楽しみにしております」
私はサーシャを部屋へと引きずって、扉を閉めた。扉の向こうからルカの声でお休み、と静かだがよく響く声がかかる。
「ごめん……僕、サーラの邪魔してばっかりだね。やっぱり陛下に申し訳ないから僕は引き下がるよ」
「ううん、今夜はいいの。サーシャは私をたくさん助けてくれた。ここまで来られたのは、サーシャがいたからよ」
ソファに座ってもらい、私はその横に座る。大きなサーシャの手を握った。手の大きさに差が出始めたのは何歳だったかな。思い出に浸るように、私とサーシャはしばらく押し黙る。
「……子どものときも、僕が熱を出したらこうやって付き添ってくれたよね」
「うん」
「サーラはどうしていつも僕に優しくしてくれるの?」
「どうしてって……」
泣きすぎて目の端が赤くなってしまったサーシャだけど、じっと私を見つめていた。
「サーシャを好きだからに決まってるじゃない」
「でも、陛下の方が好きだよね」
「比べるものじゃないわ」
物心ついたときから一緒にいた大切な存在だ。大好きで、好きかどうかなんて愚問なくらいにサーシャは好きの領域に根付いている。
私が先に生まれて、サーシャの体の丈夫さを奪ってしまったかもという根拠のない罪悪感はいつの間にか消えていた。宮殿で近衛騎士として立派に働く姿を間近で見ているせいかもしれない。
「もう僕に優しくしなくていいんだよ。僕は、ちゃんと愛する人と結婚した」
「どうして私が振られるみたいな言い方されなきゃいけないの」
がんばって涙を止めようとしているサーシャは、笑ってしまうようなことを言う。おかしいのに、私まで泣きそうな気分になった。
「サーラは陛下と結婚するから。あんなに素晴らしい人、ほかにはいないよ」
「そう思うわ」
「最後まで優しくしてくれてありがとう。サーラは僕の誇りだよ」
「泣かせないでよ」
最後なんていう言い方が、妙に寂しさを募らせた。明日が訣別のときだと思い知らされる。私たちが双子の姉弟であることには変わらないけれど、やっぱり色んなものが変わっちゃうんだ。堪えきれない涙が頬を伝う。
サーシャとこんな話をするのが、今夜で良かった。式の直前に泣かされたら、顔がひどいことになってしまう。
「もう、顔が腫れちゃう」
「大丈夫、みんな遠くからしかサーラのお姿を拝見できないから」
「陛下が見るわ」
「陛下はサーラがどんな姿でも愛してるよ、だから僕は許せる」
「別にサーシャに許してもらうものじゃないけど」
「ううん、僕の許しは必要」
近衛騎士なのにものすごく不敬な発言をしてるけど、サーシャは真剣みたいだった。お互いに泣き笑いをしてしまう。
その夜は、サーシャは私の部屋のソファで眠った。流石に子どもの頃のように一緒のベッドで寝たりはしないけど、サーシャの気配や寝息は懐かしくて、安心するものだった。
すぐに朝は訪れ、私は式の準備として大勢の侍女たちに囲まれた。




