ダンスと余興
陛下が令嬢と踊るジルの姿を見つけて、嬉しそうに口元を綻ばせた。しかし、私は違和感にじっと目を凝らして見知らぬ令嬢を観察する。栗色の髪をなびかせる細身の令嬢の動きはあまりに軽やかで、素早い。相当な筋力がないと不可能だ。
「残念ですが陛下、あの令嬢の中身はサーシャですね。あのターンのキレ、正確無比なステップは間違いありません」
サーシャはジルと組み、ドレスを着て踊りたいと以前盛り上がっていた。いい幻覚魔法があるとかなんとか。だけどその願望を陛下の誕生祝いの場で果たすなんてと私は呆れる。昨夜、そんな素振りは全く見せなかったのに。
「ではあれは誰か令嬢の姿を借りたのか? それとも実在しない人物なのか? 困ったものだな」
「私の弟がふざけたことをして、申し訳ありません」
「いや、むしろ私の弟の遊びにサーシャを付き合わせてすまない。ジルが恵まれた魔力を悪用してやったことだ」
楽しそうに素晴らしい踊りを披露するジルと見知らぬ令嬢は、存分に人々の注目を集めていた。ついにジルベール皇弟殿下に意中の人がと、皆ヒソヒソ話をしている。
「それにしても、こうして見るとジルは……」
「はい」
私は陛下の次の言葉を予想する。今日のジルは安全なパートナーがいるからなのか、いつもわざとだらしなくしている身なりを、珍しく完璧に整えていた。金色の猫っ毛がきれいに撫で付けられ、豪華な衣裳を着崩すことなく胸を張り、サーシャをリードしている。
ジルを寵愛している陛下は、格好いいなとか言いそうだ。
「……ジルは格好いいな」
「陛下の次に格好いいですよ」
予想が当たって、私はちょっと笑いながらそう答える。陛下も私に向かっていたずらっぽく笑った。
「だが弟とは、気楽なものだな」
私はいよいよ吹き出してしまう。
「ふっ……ふふ、気楽ですよね。兄や姉の苦労も知らず遊びに興じて」
「そこがかわいいんだが」
「弟なりに、がんばってくれるときもありますし」
「そうだな」
二人の姿でひとしきり笑ったあと、私はサーシャの婚約者、ペネロペの姿を見つけて一旦陛下と離れた。それこそお人形のように、たっぷりのフリルと襞、大きなリボンを身に付けた正統派美少女のペネロペは貴婦人の中にあってもよく目立つ。
ペネロペは氷のダンスホール後方から、踊る二人を見守るようにひとりで立っていた。これは、絶対サーシャだとわかっているんだろう。
「ペネロペ」
「まあ、サーラお姉様。ご機嫌麗しく存じます」
優雅に淑女の礼をして、ペネロペは微笑む。
「サーシャがこんなことをしててごめんなさい。婚約したばかりなのに、ペネロペを放って、信じられないわ」
婚約者以外と踊ることは絶対にダメではないが、基本的には避けられる。それに女装してほかの男と踊るなんてのは、ちょっと聞いたことがなかった。
「いいえ、サーラお姉様に謝って頂くことはありませんわ。むしろ、わたくしがサーシャの着付けを手伝ったのですから、わたくしが悪いのです」
ペネロペは小さな桃色の唇を動かし、衝撃的な事実を伝える。
「知ってたの?」
「はい。ごめんなさい、サーラお姉様が準備した陛下の誕生祝賀会に水を差して。でも、サーシャの願いを叶えてあげたかったのですわ」
ペネロペは、小さな手両方で私の右手を包んだ。その手は熱く、息づかいは荒い。
「サーラお姉様はご存知でしょう。わたくしもサーシャも、かわいいものが大好きなのです。いつもはわたくしがサーシャの着せ替え人形、でも今日はサーシャが着せ替え人形となってくれて本当に……興奮しましたわ」
「えーっと?」
私はペネロペの醸し出す妖しげな雰囲気に戸惑った。純粋な美少女だと思ってたのに、ずいぶん変わった興奮の仕方をしている。きっとサーシャのせい。
「ねえお姉様。どうかご覧になって。わたくしがドレスや髪型やお化粧をして作り上げた完璧な令嬢の姿を!ときに蝶のように舞い、ときにハチドリのように鋭く、芍薬のようにたおやかで、サーラお姉様の次に美しいでしょう?!」
青い瞳を爛々と輝かせ、ペネロペは狂信者のようにサーシャ扮する令嬢を自慢する。それでも私への配慮を忘れないのは、流石のモンカルヴォ家のご令嬢だった。
「そうね、ペネロペの次に美しいわ」
「まあ、ありがとうサーラお姉様」
我を取り戻したのか、褒められて照れたのか、ペネロペはぽっと頬を染める。
「でもわたくし、心配になってしまいましたわ」
「何が心配なの?」
私もペネロペが心配だけどとりあえず聞いてみる。
「わたくしもサーシャもドレスが大好きですから、将来子どもができたら、サーシャとわたくしで競って着せ替え人形にしてしまいそうで……」
今度は私が照れる番だった。もう子どもの話をするの、と。ペネロペが14歳の頃から私は家庭教師になったし、サーシャはもちろん生まれたときから知っている。その二人がくっついて親になるかもしれないことに、どうにも気持ちが追い付かなかった。
「――ペネロペの子どもなら、きっとおしゃれ好きになるわ。だから喜んで色んなドレスを着てくれるんじゃないかしら? 大丈夫よ」
それでもがんばって、前向きな意見を述べてみる。ペネロペは丸い大きな目を零れ落ちそうに見開いた。
「ああ、サーラお姉様はいつも優しくって大好きですわ! わたくし、がんばりますわ!」
「そうね」
何をがんばるものなのか、よく知らないけど知ってる風に頷く。目の前ではサーシャとジルがくるくると踊り続けていた。
その後、帝都で一番人気の歌劇団による野外公演や晩餐会などの楽しいスケジュールを無事こなし、夜になった。
陛下は、皆が寝静まった頃に姿くらましの魔法を使ってこっそり私の部屋に来るという。陛下は少々頭が固いので、基本的には結婚前の身で夜中に行き来しては良くないとお考えなのだ。
私は陛下を待ちながら、小指の先ほどの人形をいじっていた。晩餐会の運試しのパイで当たったものだ。
料理長が遠い外国のお遊びを取り入れたものを提案してくれて、余興として採用したのだった。切り分けたパイを選び、中に入っている陶器製のミニチュアで未来を占うという。
私が当てたのは、おくるみに包まれた赤ちゃんだった。子宝に恵まれるらしい。でも今夜は意味深すぎるから、どこかに隠さないといけない。こんなものをベッドサイドに置いて陛下をお迎えできるかっていう。
「クローゼットの一番奥なら大丈夫よね」
私は腕を伸ばして人形をしまいこんだ。これで陛下にクローゼットの奥を見る趣味がない限り、決して見られることはないだろう。
陛下も私がこれを当てたのは見ていたが、何も言及しなかった。なお、陛下が選んだパイには、見事小さな王冠のミニチュアが入っていて、みんな笑ってしまった。流石ルカルディオ陛下だと思う。
「結婚したら出してあげるから。暗いけど我慢してね」
人形に話しかける趣味はなかったけど、罪悪感にかられて私はごちゃごちゃ言いながらクローゼットを閉める。結婚前はダメだけど結婚したら突然、ある種の任務になるのだからおかしなものだと思う。
髪の毛のどこかがツンとして、陛下の接近を知らせていた。
「どうぞ」
ノックをされる前に、先に返事をしてしまう。静かにドアが開くが、そこには誰もいなかった。扉を閉めてから陛下が魔法を解除して、湯上がりの美しい姿を現す。緩い紺色のシャツに、紺色のローブを羽織っていた。
「サーラの特殊能力は本当にすごいな」
「これは陛下専用です」




